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2007年8月12日(日)開設
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梅小路蒸気機関車館の保存車 2012.5
5月27日の話。前回記事の続きです。
大宮交通公園の後は、梅小路蒸気機関車館を訪問。前回2011年8月に訪問した際の記事はこちらとこちらに掲載してあります。カマのデータについてはこちらもご参照のほどをお願いします。 まずは、前回は塗装作業中だったD51 200号機。 ・車歴 製造年月日 1938年10月6日 製造所 浜松工場 1938年10月6日 稲沢機関区 1945年11月27日 大垣機関区 1950年5月10日 中津川機関区 1972年10月5日 梅小路機関区 転車台横に留置されており、全体をすっきりと見ることができました。 JR東日本のD51 498号機と並んで、こちらも動態保存機。 プレート周り。さすがというか、製造銘板も残っていました。区札は「梅」。 遠目でしたが、動輪も確認できました。 後ろから。今度はSLスチーム号を牽引している姿も見てみたいところです。 続いて、前回は転車台横に留置されていたC62 2号機。今回は扇状庫内にて展示されており、近づいて観察できる状態でした。 ・(車歴は省略させていただきます) 近づいてみるとやはり巨大、迫力が凄いですね。 現在は故障のため静態保存となっていますが、修理して動態復元が決定したと聞きました。再び走り回る同機の姿を早く見たいですね。 刻印も。 プレート周り。タブレットキャッチャーが装備されているんですね。 続いて、前回と形態が変わったカマ。まずはC58 1号機。前回は日章旗掲出でした。 ・(車歴は省略させていただきます) 少し機関車の間隔が開いていたので全体が見られました。 やっぱりこの角度で撮ってしまいますねぇ。 キャブ内。 続いて、C62 1号機。再塗装されたようで綺麗になっていました。 ・(車歴は省略させていただきます) 前回はD51 1号機が前にいましたので顔は見れませんでしたが、今回は顔を拝むことができました。 相変わらず側線に置いてあるわけですが、たまには扇状庫に入れてもらえないものでしょうか・・・。 プレート周り。 後ろから。 C55 1号機も側線に。そろそろ再塗装でしょうかね。 ・(車歴は省略させていただきます) 続いて、オハフ50−66。 ・(車歴は省略させていただきます) 再塗装されてピカピカになりました。50系客車はほとんど残っていません。前回ボロボロな状態で、旧型客車の件もあり心配でしたが、見事にこのような状態になりました。 柵が取り付けられ床下機器が見えなくなり、模型をやっている方などからすれば残念かもしれませんね。 続いて、前回は煙室ハンドルが取り外されて庫内で整備中だったC61 2号機。この日はSLスチーム号の牽引に当たっていました。 ・(車歴は省略させていただきます) 客車は1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」で使われた簡素なもの、これで本格的な客車だったら最高なんですけどね。 発車も見送りましたが、暑かったこともあり無煙でした。 今後も京都を訪れた際には、各機の状況を確認していきたいと思います。 −おまけ− 横の梅小路運転区では、吹田機関区のDE10−1561が入れ換え中でした。 C62 1号機の前には、嵯峨野観光鉄道のDE10−1104が留置中でした。 帰りの新幹線からは、綺麗に富士山を望むことができました。 京都編は以上になります。 PR
大宮交通公園の保存車
5月27日の話。前回記事の続きです。
この日は、京都滞在最終日となりますが、行程の途中で少しだけ保存車へ、最初に大宮交通公園の保存車を訪問。 まずはC−160号機から。 ・車歴 製造年 1942年 昭和17年につくられたC型のタンク車で当初は、京都府北部の大江山鉱山で使用されていました。 昭和21年加悦鉄道(丹後山田から加悦5.7Km)にうつって客車を引いて活躍していましたが、昭和27年に休車を保って現役をしりぞきました。(案内板より) 小さな蒸気機関車。加悦鉄道で活躍しました。 立派な形式入りプレートを掲出。 続いて、C−160号機の後ろに連結されているヨ6720。 ・車歴 不明。詳細が分かり次第追記します。 車掌車”ヨ”、C−160号機と比べて大きいですね。不思議な編成を組んでいます。表記類は一部のみ残っていました。 こちら側の車番等は一切書かれていませんでした。 続いて、京都市電N1号車。 ・車歴 製造年 1911年 製造所 梅鉢鉄工所 1961年4月11日 廃車 明治28年に日本で最初の電車として走り、チンチン電車として親しまれていました。 昭和36年、北野線(京都駅前〜北野)の廃止により路面から姿を消した歴史的価値の高い電車です。(案内板より) 車体にはN6号車と書いてあるのですが、N1号車だそうです。整備時に誤って記入されたのか?詳細は分かりません。 「でんしゃ文庫」として、今も子供達に愛されています。明治の製造でここまで綺麗に残っているのは素晴らしいですね。 車内。 市電を知らない子供達にも、この車両を通じて市電の歴史を知ってもらいたいものです。 続いて、京都市電1860号車。 ・車歴 製造年月 1951年5月 製造所 ナニワ工機 1978年10月1日 市電廃止に伴い廃車 昭和25年に800型としてつくられた中型の車両で、その後昭和43年にワンマンカーに改造されて、1800型となりました。 この電車は昭和52年10月1日に河原町線が廃止された記念に展示したものです。(案内板より) 屋根が付いていることもあって、こちらも状態は良好。こちら側の方向幕は「四条大宮」。 車内は、こちらも「でんしゃ文庫」として開放。 反対側の方向幕は「京都駅」京都タワーのすぐ真横を走行していたのですから驚きです。今では全く面影を見る事ができず残念です。現在まで市電が残っていれば少しは京都の観光をしやすいと思うのですが・・・。地盤の関係から地下鉄もなかなか延伸できないようですし。 屋外保存でこれだけの状態を保っているのは素晴らしいと思います。今後も末永く大事に保存していってもらいたいですね。 最寄り駅:市営地下鉄四条駅からバス この後は、梅小路蒸気機関車館を訪問。昨年夏と比べていろいろと変化がありましたので、変わったところを中心に記事にします。続く。
平安神宮南神苑の京都市電N2
12月27日の話。前回記事の続きです。
京都コンピュータ学院の後は、平安神宮南苑内の京都市電N2号車へ。 ・車歴 製造年 1911年 製造所 梅鉢鉄工所 1955年4月1日 京都市電N2に改番 1961年4月11日 廃車 この電車は、明治二十八年一月三十一日に日本最初の交通輸送業電車として、京都電気鉄道が運行したものである。 当初は伏見線・木屋町線・鴨東線(平安神宮の在る岡崎附近にも敷設されていた)を開通次いで明治三十三年には北野線、三十七年に西洞院線を増設・運行し我国電気鉄道の先駆として交通事業に貢献するところが多かった。しかし、明治四十五年六月京都市が市営にて電気軌道の営業を開始し、大正七年六月には京都市に合併された。その後、昭和二年四月までの間に、木屋町線・出町線・烏丸丸太町線等の路線が随時廃止され、主要路線は広軌に取り換えられたのだが北野線のみ、同じ狭軌のままで残されていた。 しかし、時勢の推移は如何ともすることが出来ず、最後のこの線も、昭和三十六年七月を以って廃止され、永年チンチン電車の愛称で親しまれた我国最古の電車も、その姿を消すこととなった。 ここに展示している電車は、当初のものであり、平安神宮創建とも深い関係があることから京都市より払い下げを受け、記念として保存している。 車体は梅鉢鉄工所の制作、電動機はアメリカゼネラルエレクトリック社の製品である。昭和三十一年頃、神戸製鉄株式会社によって修理が施された。 (案内板より) 奥まった所に保存されており、周囲は薄暗く、細部は観察できません。塗装などが剥げていますが、屋根つきのため状態は悪くありません。 木が生い茂っているため、全体を見る事はできませんでした。 見学には入場する必要があります。大人600円、入場時間は季節によって変動します。 保存車めぐりはこれにて終了。京都駅に戻ります。続く。
京都コンピュータ学院白河校の市電1801・2603
12月27日の話。前回記事の続きです。
京都駅で日本海号を撮影した後は、史跡&保存車巡りを再開。いくつかの史跡を回った後、京都コンピュータ学院白河校に保存されている市電1801号車と2603号車を訪問してきました。 ※以下の画像は一部を除き、敷地内にて許可を得て撮影しています。 まずは1801号車から。 ・車歴 不明。後ほど詳細が分かり次第追記します。 塗装などに疲れはありますが、悪く無い状態で保存されています。 車内は、つり革なども残っているようです。側面には「Kcg」のロゴが入っています。 とにかく、荒らされることもないので安心です。 続いて、2603号車。 ・車歴 不明。後ほど詳細が分かり次第追記します。 こちらもなかなかの状態を保っています。方向幕は「四条河原町」を表示。 反対側は塀が高く、よく観察できませんでした。 最後に、訪問するにあたって敷地内での見学を快諾してくださった京都コンピュータ学院白河校様に御礼申し上げます。ありがとうございました。 この後は、平安神宮南苑の京都市電N2号車へ。続きます。
北坂ビルの京都市電N28
12月27日の話。前回記事の続きです。
関西遠征2日目。この日は、地下鉄五条駅のそばの北坂ビルディング内に保存、京都市電N28からスタートです。 ・車歴 製造年 1911年 製造所 梅鉢鉄工所 1955年4月 京都市電N28に改番 1961年8月1日 廃車 明治二十八年二月一日 我国最初の電車による交通事業が「京電」と称された京都電気鉄道によって初代京都駅のあった東洞院通塩小路下るから伏見下油掛まで六、七粁(キロ)の間で開業、大正七年 市は「京電」を買収、昭和五十三年廃止まで八十三年間日夜市民の足として活躍した。 この電車は京都駅前北野間六、七粁の北野線が昭和三十六年廃止にされるまで走り続けてきた。 当社では明治、大正、昭和と三世代にわたって「チンチン電車」と親しまれ働いてきた電車を保存すべく払下げを受け保管していたが、今回新社屋の完成を機に永く展示保存するものであります。 (案内板より) 屋内での保存のため、大変良い状態を保っています。 壁が迫っており狭い場所に保存されていますが、贅沢はいえませんね。 手を伸ばして車内の様子。つり革も残り良い状態です。 反対側の前頭部は、壁が近いため全体の撮影はできません。 半世紀以上前に製造された車両ですが、完璧な状態で残っており感動しました。 この後は、いろいろ回って嵐電を少し撮影することに。続きます。 | カレンダー
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