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2007年8月12日(日)開設
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エキスポランド→ファームエキスポ跡地のD51 764[解体]
12月26日の話。前回記事の続きです。
DE50 4号機の後は、阪急線から大阪モノレールに乗り継ぎ、万博記念公園内「エキスポランド」→「ファームエキスポ」跡地のD51 764号機を訪問。 阪急線は日中無灯火なんですね。 万博記念公園前から、反対側の太陽の塔を。 太陽の塔の横を通過する大阪モノレール。 ・車歴 製造年月日 1943年1月22日 製造所 川崎車輛 1943年2月11日 原ノ町機関区 1967年8月28日 鷲別機関区 1974年3月 追分機関区 1975年1月23日 追分機関区にて廃車 入場客減少によって閉園した遊園地「エキスポランド」は、2010年3月から「ファームエキスポ」として再出発していましたが、契約期間が終了した関係でそちらも2011年5月15日を以て閉園。現在は外の歩道から見学するだけとなっています。 モノレール軌道のすぐ横に保存。近年塗装されたようで状態は良好、跡地の活用方法によっては今後手が入れられることはないかもしれないと思うと非常に残念。植え込みが高く足回りは見えませんでした。 側面プレート周り。キャブ窓は枠ごと無くなっていました。計器類も残っており、キャブ内も状態は良さそうです。 後ろから。 今後、このカマが再び多くの人々の前で輝くことを願って止みません。 この後は、万博記念公園駅に戻り大阪駅へ。続きます。 ※2013年11月、再開発事業の進行に伴い解体されました。状態が良かっただけに非常に残念です。 PR
菅原天満宮のDF50 4
12月26日の話。前回記事の続きです。
EH10 61号機の後は、15分ほど歩いた菅原天満宮のすぐ横にあるDF50 4号機を訪問。 製造年月日 1957年3月27日 製造所 三菱重工 1957年3月27日 敦賀機関区 1965年8月27日 亀山機関区 1980年3月17日 亀山機関区にて廃車 この機関車は 昭和32年 蒸気機関車にかわる本格的なディーゼル機関車として登場し 昭和38年までに138両が製造されました 機関車番号のDはディーゼルエンジン Fは動輪の軸数 50は速度記号 4は製造順位を表しています ディーゼルエンジンは スイスのスルザー社製で このディーゼルエンジンで発電した電気を動力源として6個の電動機で動輪を駆動して走ります この機関車は 昭和32年から23年間に 山陰 北陸 篠ノ井 中央 紀勢本線で228Km(地球を約57周)走り続け 旅客列車の無煙化に大いに貢献しました なお この形式のディーゼル機関車の展示は わが国では初めてのことです (案内板より) シェルターと金網に囲まれて保存されています。以前は内部が公開されていたようですが、現在では公開されず、また倉庫代わりとして使われているようです。 貴重なDF50、どうやら近くの幼稚園?保育園?所有らしいのですが、面倒になって公開も整備もやめてしまったのでしょうか?残念です。 反対側はかなり霞んだ状態。 訪問した際、道に迷って困っていた所を地元の方に案内していただいたのですが、その方もこの車両があることを知らなかったようです。こんな状態では地元での知名度も低いのでしょうね。 この後は、閉園した「エキスポランド」→「ファームエキスポ」のD51 764号機を訪問。続きます。
東淡路南公園のEH10 61
12月26日の話。前回記事の続きです。
三国ヶ丘の焼肉店「民芸料理店 はや」のC11 218号機の後は、東淡路南公園のEH10 61号機へ。 ・車歴 製造年月日 1957年6月27日 製造所 東芝 1957年6月28日 吹田第二機関区 1982年2月4日 吹田第二機関区にて廃車 昭和30年の東海道本線米原電化に際し、関ヶ原の10‰の勾配区間を1,200tonの貨物列車をけん引するためには、従来のEF15形式では不可能なためそれに変わる高出力の電気機関車が要求された。 そこで生まれたのがこのEH10形式で、この第1号車は昭和29年に完成し、電気機関車で初めてボギー台車(DT101)を採用し、出力2,530KW、最高速度80KM/h/のユニークな二分割車体で、東海道本線貨物列車の主力機関車として活躍することとなった。東海道本線の電化は順次西進され、昭和31年全線電化完成EH10形式は全部で64両制作された。しかし時代の流れとともに老朽化が進み後進のEF60、EF65形式にその主力の座を明渡し昭和57年、この61号機を最後に唯一のユニークな二分割車体のEH10形式は国鉄のレール上から姿を消すこととなった。 (案内板より) 唯一現存するEH10。全体は柵に囲まれており、車両に近づくことは出来ません。 周辺には放置自転車が常に置いてあるようで、機関車の前にあることも多いようですが、この日は運良く前面には放置自転車がありませんでした。 柵に近づいて見てみると…やはり長年整備されていないためか車体の腐食が進行しています。 側面ナンバーと製造銘板。側面ナンバーが残念なことになっていますね。 反対側にはわざわざ柵の内側に看板が立てられており大変残念。 車体の腐食は進行するでしょうが、これ以上機器面での荒廃はないでしょう。たまには公開してほしいものですが・・・。 この後は、菅原天満宮のDF50 4号機へ。続きます。
民芸料理店はやのC11 218
12月26日の話。前回記事の続きです。
水間鉄道の後は、南海→阪和線に乗り継いで三国ヶ丘駅へ。 阪和線の支線、羽衣線の103系を改めて撮影です。 徒歩3分ほどの民芸料理店「はや」さんの店頭には、C11 218号機が保存されています。 ・車歴 製造年月日 1941年7月29日 製造所 日本車輛 1941年7月29日 広島機関区 1942年8月20日 苗穂機関区 1943年9月30日 深川機関区 1953年9月1日 遠軽機関区 1955年5月14日 岩見沢機関区 1968年4月16日 苫小牧機関区 1973年12月24日 釧路機関区 1975年3月4日 釧路機関区にて廃車 国鉄についての案内板はありましたが、機関車についての案内板はありませんでした。北海道で一生を過ごしたカマ。煙室ハンドルは紛失。 動輪は塗装されていません。サビが出ています。 キャブ内には入れませんが、階段が設置されているため様子を観察できました。悪くない状態です。 後ろから。給水タンクが接近しているためすっきりと見ることはできません。 食事もしましたが、ランチの定食はとても美味しかったです。今後も店の看板として大切にしてほしいものですね。 この後は、東淡路南公園のEH10 61号機へ。続きます。
水間観音駅のクハ553
12月26日の話。前回記事の続きです。
水間観音駅ホーム横の駐車場には、クハ553号車が保存されています。 ・車歴 製造年 1942年 南海元モハ1201号車。 1973年 南海電鉄にて廃車 1973年? 譲渡 詳細が分かり次第追記します。 元南海の先頭車。以前は水間鉄道のオリジナル色だったようですが、旧塗装に塗り替えられました。クハなのにパンタグラフを装備。 もっと車が少ない日もあるようですが、この日は生憎かなり車が停まっており、全体の撮影は難しい状態でした。 後ろから。なお、ホーム側に階段が設置されていますが、車内は見づらかったです。 きちんと管理されており、全体的に良い状態が保たれていました。 この後は、水間鉄道で貝塚に戻り、南海線→阪和線で三国ヶ丘に向かいます。続く。 | カレンダー
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