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2007年8月12日(日)開設
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浜寺公園交通遊園のD51 469と阪堺モ130
12月26日の話。前回記事の続きです。

天王寺駅から阪和線に乗車して浜寺公園に向かいます。天王寺では阪和線の103系、羽衣線用にワンマン改造されているHJ407編成が停車中でした。



225系5000番台のB快速に乗車します。



鳳で羽衣線に乗り換え。こちらは羽衣線専用になっている3両編成の103系HL101編成。



東羽衣駅から徒歩15分ほど、浜寺公園交通遊園にはD51 469号機と阪堺モ130号車が保存されています。
それではD51 469号機から。

・車歴
製造年月日 1940年1月22日
製造所 国鉄大宮工場
1940年1月22日 大宮機関区
1944年9月8日 宇都宮機関区
1959年9月16日 鳥栖機関区
1965年10月6日 紀伊田辺機関区
1971年8月10日 紀伊田辺機関区にて廃車

この機関車は「デゴイチ」の愛称で親しまれ、国鉄で最も多くつくられた、貨物用蒸気機関車です。
 ここに展示してあるD-51 469は昭和15年1月に埼玉県大宮工場でつくられ、全国各地を走り続け、最後は和歌山県紀伊田辺機関区に配置され昭和46年8月まで活躍しました。その間、大量の貨物列車を牽引して、延々2,020,212km(地球約50周)も走りました。               (案内板より)

大宮工場製、製造当初は関東でも活躍していたカマ。阪和線にゆかりのある機関車として保存されたのでしょう。露天で保存されていますが、状態は悪くありません。



足回りはペンキで塗られています。刻印は確認できませんでした。



プレート周り。製造銘板などは欠損。キャブの窓枠が不思議な色です。



キャブは公開されていませんが、状態は良好そうです。



後ろから。



プレートが錆びているのが残念でしたが、全体的な状態は良かったです。



続いて、阪堺モ130。

・車歴
製造年 1931年

阪堺電気軌道で活躍した モ121型130号です。昭和4年に製造され平成6年まで多くの乗客を運び、以降は貸切専用電車として親しまれましたが、平成12年にその役目を終え、浜寺交通遊園には平成13年3月から展示されています。(案内板より)

最近になって塗り替えられ、車番が消されてしまいました。こちら側の方向幕は「えびす町」。



反対側の方向幕は「浜寺駅前」。



車内は公開されています。状態も良好です。



現役末期のビール電車として改造された状態がそのまま残されています。

  

露天にしては、両車とも綺麗な状態で嬉しかったです。

 

この後は、南海線を撮影します。続く。

2011年も拙ブログを閲覧くださり、本当にありがとうございました。相変わらず文章力が無く、画像ばかりになってしまうことも多いのですが、多くの方に見ていただけることで更新意欲が湧きました。来年もより一層頑張って行きますので、よろしくお願いします。

それでは皆様、良いお年を。

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大阪城公園レストハウスつどいのC58 66
8月12日の話。前回記事の続きです。

交通科学博物館を見学した後は、共栄興業さん本社に保存されているC57 148号機へ。こちらはいつのまにか撮影が禁止になっていましたので、大阪城公園のレストハウスつどいに保存されているC58 66号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1939年3月20日
製造所 川崎車輌
1939年3月27日 米子機関区
1943年11月 奈良機関区
1945年8月31日 王寺機関区
1960年8月 竜華機関区
1961年12月 奈良機関区
1971年10月 亀山機関区
1974年3月8日 亀山機関区にて廃車

関西地方で活躍した機関車。廃車後は、共栄興業で保管ののち、ここに移設されて保存。ガラス庫内に展示されているため、細部を観察することはできません。



レストハウスの外から。もうちょっと見学しやすいと良いのですが。



とはいえこの完璧な状態であれば、よほどのことが無い限り荒廃するようなことは無いと思われます。

※2015年1月現在、レストハウスの経営元が当時と変わっているようです。見学の可否等、訪問の際にはご注意ください。

この後は東海道線を西に進みますが、その前に大阪環状線で撮影した103系・201系をまとめたいと思います。続く。

−おまけ−
大阪城公園からは大阪城も見えました。レストハウスつどいがある方角からだと、林があって一部しか見えません…。

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交通科学博物館の保存車(3)
8月12日の話。前回記事の続きです。

屋内の実車以外の展示物と、屋外展示場2の保存車へ向かいます。

101系のモックアップ。ほぼ実物に見えますね。まだ製造期間中に開館した博物館ですから、使用されていない実物といってもいいレベルではありますが。



151系モックアップ。こちらは実車の製造終了直後に作られたもの。今では貴重な展示物になっています。



ナンバープレートも大量に保存されています。





では屋外第二展示室へ。続きからどうぞ。

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[交科博はこちら]
交通科学博物館の保存車(2)
8月12日の話。前回記事の続きです。

交通科学博物館の屋外展示場を見学した後は、屋内展示場に入っていきます。

狭い館内に、0系が4両展示。

1964(昭和39)年10月1日、世界中の注目をあび、東海道新幹線は開通された。軌間(2本のレールの幅)を在来線(1067mm)より広く1435mmとしたり、全線を盛土、高架にして踏切をなくしたり、従来の鉄道を一新するものであった。新幹線はその後さらに全国に路線を広げ、「安全、高速、大量輸送」運転につとめ、日本の基幹交通として大きな影響と役割を果たしている。
 0系新幹線電車の最高速度210Km/hは、当時世界一の営業速度であり、「SHINKANSEN」という言葉がそのまま各国で用いられるほど、世界中から注目され、高速鉄道のさきかげとなった。
 ここに保存展示する0系新幹線電車(4両)は、開通当初のそれぞれの1号車で、1978(昭和53)年3月の引退までに約600万キロメートルを走行している。
                             (案内板より)

21−1号車。





グリーン車、16−1号車。



ビュッフェ車、35−1号車。



先頭車、22−1号車。全く引きがありません。





ここまでスペースギリギリに展示されている車両も無いでしょう・・・。大変見づらく残念です。

その他の保存車両は、続きに。

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[交科博の保存車はこちら]
交通科学博物館の保存車(1)
8月12日の話。前回記事の続きです。

阪和線を撮影した後は、大阪環状線に乗り換えて弁天町へ。隣接する交通科学博物館へとやってきました。



ということで、まずはプラットホームプラザの保存車から見て行きましょう。D51 2号機。

・車歴
製造年月日 1936年3月26日
製造所 川崎車輌
1948年7月1日 稲沢機関区
1955年8月1日 多治見機関区
1957年11月1日 稲沢第一機関区
1971年12月13日 稲沢第一機関区にて廃車

昭和10年代、貨物が激しく増えつづけ、より強力な蒸気機関車が必要となって製造された 大形の貨物用蒸気機関車である。長年つちかってきた知識と経験のすべてがそそがれ性能、実用性ともにすぐれた蒸気機関車となった。昭和10年代に1115両が製造され、昭和40年代ころまで全国で貨物輸送をになったが、やがて電機やディーゼル機関車と交代してすべて廃車された。製造両数、性能とも日本を代表する蒸気機関車であった。                     (案内版より)

状態は大変良好。反射して輝いてます。





キャブ内は公開されていませんが、なかなか良さそうです。



後ろから。ナシ20の柵がかかってしまいます。



D51 2号機の後ろには、ナシ20 24。

・車歴
製造年 1970年
製造所 日本車輌

20系寝台車の食堂車、今も食堂として使用されています。



次回訪問時には食事もしてみようかと思います。



続いて、233号機

・車歴
製造年月日 1903年8月13日
製造所 汽車製造
1903年8月 米子機関区
1953年5月 高砂工場
1959年3月20日 高砂工場にて廃車

明治36(1903)年、大阪汽車製造合資会社の初期の製品で、当時の短距離列車用汎用機として大量に輸入された英国製A8系、軸配置1B1形のラジアル・タンク蒸気機関車(先従輪が線路の曲線に従って左右に移動できる構造で、急曲線の通過が容易)を忠実に模倣した設計であった。ただし、当時の日本では銅材の生産能力がなかったためにそのすべてが輸入であり、とくに車輪、車軸、煙管などは完成品を輸入して組み立てられた。
大阪汽車製造合資会社は明治29(1896)年、大阪の安治川口で創業し、その当時は蒸気機関車の製造ができる国内唯一の民間メーカーであって、明治34(1901)年に最初の機関車製造に成功したが、その後約10年間の製品はほとんどがA8系蒸気機関車で占められた。
鉄道作業局の発注機38両を主力とし、北越鉄道と北海道鉄道の発注機3両を含めて、鉄道院成立後は形式230となり、これだけで明治42(1909)年までの同社製品の過半数を占めた。
本機は鉄道作業局発注の機関車で、その233号となった。本機の最後の配置は旧国鉄高砂工場で、同工場における入換用機として活躍した。昭和37(1962)年、交通科学館(現・交通科学博物館)の開館とともに鷹取工場で復元の上、ここに保存された。現存する最古の国産機関車として貴重な存在である。昭和61(1986)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。            (案内板より)



こちらも、綺麗な状態でした。



長くなりましたので、この先は続きに。

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