忍者ブログ
2007年8月12日(日)開設
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あけぼの団地児童公園のC11 96
3月23日の話。前回記事の続きです。

築地公園のC58 353号機を訪問した後は、そのまま紀伊勝浦駅へ。



紀伊勝浦からは、105系の普通列車に乗って新宮へ。


↑2329M 105系F4編成2B "新宮行"@紀伊勝浦

普通列車は約2時間〜3時間に一本しかないので、2両のロングシートでも混雑。20分ほど乗車して新宮駅に到着。新宮駅はJR西日本とJR東海の境界駅であるため、2社の車両が見られます。乗車してきた105系は紀伊田辺行きとして折り返し。


↑2330M 105系F4編成2B "紀伊田辺行"@新宮

東海区間は非電化なので、普通列車はキハ11と東海色のキハ48が担当します。


↑328C キハ48-6302+キハ48-5807 2B"多気行"@新宮

改札を出てポタリング。あけぼの団地児童公園のC11 96号機を訪問。

・車歴
製造年月 1936年6月
製造所 川崎車輛
1936年6月 紀伊勝浦機関区
1940年4月30日 新宮機関区
1948年4月1日 亀山機関区貴生川駐泊所
1963年2月9日 梅小路機関区
1972年9月16日 梅小路機関区にて廃車

住宅地の奥まったところにある小さな公園に保存。厚塗り気味で状態は良くありません。プレートは全て金色で塗られています…。前照灯のガラスも無くなっています 。



錆の上からそのまま塗料を塗り重ねた結果でしょうが、鉄板には大きな穴が複数箇所開いていました。



キャブ内にも立ち入れますが、こちらも真っ黒に塗られており、部品も損失が目立ちます。



後ろから。非公式側は屋根の支柱が邪魔ですっきり見ることはできませんでした。キャブの窓も一切ありません。



「現状維持」が精一杯のような保存機です。これ以上酷くならないと良いですが…。

この後は、新宮駅から少し三輪崎駅方面に行った海岸沿いから紀勢本線を撮影します。続く。

拍手

PR
那智勝浦町築地公園のC58 353
3月23日の話。前回記事の続きです。

2日目は保存車訪問からスタートとなりますが、ホテルからの帰りも専用船で。明るい時間に見ると、やっぱり凄いところにありますね。従業員の方が、見えなくなるまで手を振ってくださっていたのがとても印象に残っています。いいホテルでした。



勝浦漁港。毎週日曜日には朝市が行われるそうですが、この日はあいにく土曜日でしたのでホテルで朝食を済ませました。



そんなわけで、紀伊勝浦駅横の築地公園に保存されているC58 353号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1944年1月14日
製造所 川崎車輛
1944年1月 王寺機関区
1962年4月1日 和歌山機関区
1963年4月1日 亀山機関区
1974年3月8日 亀山機関区にて廃車

現役時代も奈良県・和歌山県を中心に運用されていたカマ。

 

海が近いこともあり、錆が酷く荒れ果てていたのですが、昨年有志の方々による大掛かりな整備が行われ、とても綺麗な状態になりました。



動輪は塗装されていましたが、刻印も確認できました。側面プレートは公式側はありませんでした。非公式側は柵と線路が迫っているため確認できませんでした。



後ろから。テンダのプレートもありません。



大きな屋根もあり、今後も継続的な整備がなされることを期待します。

この後は、新宮に移動してC11 96号機を訪問。続きます。

拍手

会津児童公園のC57 7
3月22日の話。前回記事の続きです。

くろしお9号で紀伊田辺に到着。会津児童公園に保存されているC57 7号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1937年7月8日
製造所 川崎車輛
1937年7月8日 小郡機関区
1939年8月31日 広島機関区
1941年10月 岡山機関区
1945年4月1日 門司港機関区
1956年11月 尾久機関区
1957年9月 山田→(改称)伊勢機関区
1964年4月1日 亀山機関区
1970年3月31日 紀伊田辺機関区
1972年10月14・15日 鉄道開業100周年記念列車 汐留〜東横浜間牽引
1973年9月9日 さよならSL南紀号 和歌山〜紀伊田辺間牽引
1973年11月8日 紀伊田辺機関区にて廃車

わたしは昭和12年7月8日に川崎車輛株式会社でうまれました。その年に広島鉄道管理局の小郡機関区に配属されたのをふりだしに14年広島機関区、16年岡山機関区、19年門司機関区、31年東京の尾久機関区、32年天王寺鉄道管理局の山田機関区、38年亀山機関区、そして昭和45年田辺機関区にきました。それから紀勢本線沿線の皆様にかわいがられて走り続けてきましたが、昭和47年3月わたしの役目はおわりました。
生まれてからわたしは2695259km走りましたがこれは地球の赤道上を約68周したことになります。この間わたしの最大の思い出は、日本の鉄道発生の地、新橋−横浜間を鉄道100年記念祭の昭和47年10月14日特別列車を引いて走行したことです。
このたび国鉄と田辺市のはからいで田辺機関区からトレーラーに乗せられてこの会津児童公園に定住の地をいただきました、みなさんどうかいつまでもわたしをかわいがってください。(案内板より)

レプリカであるようですが、「さよならSL南紀号」のHMを掲出して保存されています。



C57にしてはすっきりとしないスタイル、現役時代に集煙装置が取り付けられていたため短い煙突になっているんですね。集煙装置は鉄道100周年記念列車の時点ですでに取り外されていたようですが。

 

近年整備されたのか、状態は良好です。動輪は塗装されており刻印は確認できませんでした。



非公式側のプレート周り、検査表記も一応?残っています。



こちらは公式側、海側となるので少し表面が荒れています。



後ろから。



訪問時は3月末でしたが、日中はすっかりポカポカ陽気。公園で機関車を見ながらゆっくり過ごしてしまいました。



紀伊田辺からはポタリングで白浜へ。続きます。

拍手

和歌山市岡公園のC57 119と南海モ321
3月22日の話。前回記事の続きです。

くろしお3号で和歌山駅に到着、駅から2キロほどの岡公園に保存されているC57 119号機と南海和歌山軌道線モ321号を訪問。

まずはC57 119号機から。

・車歴
製造年月日 1939年11月12日
製造所 三菱重工業
1939年11月21日 宮原機関区
1943年9月 白河機関区
1945年4月 大宮機関区
1949年8月28日 高崎第一機関区
1954年4月 鹿児島機関区
1956年11月4日 宇治山田機関区
1959年5月8日 和歌山機関区
1972年3月14日 最終運用
1972年5月11日 和歌山機関区にて廃車



※今回より、更新時間の短縮のため案内板を撮影したものについては画像を掲載とします。

大きな屋根もあり、定期的に整備されているようで状態は大変良好です。



車歴から見てとれるように、割と大きな転属を繰り返していたカマですが、最終的に運用された和歌山の地でこうして保存されています。「くまの」のヘッドマークも似合っていますね。



大型の集煙装置を取り付けた状態で保存されています。



動輪は油で磨きだされていましたが、柵から遠く刻印は確認できませんでした。



側面プレート周り、製造銘板も綺麗に読み取れる状態で残っています。



後ろから。



続いて、南海和歌山軌道線のモ321。

・車歴
製造年 1963年
製造所 日立製作所
1971年3月31日 和歌山軌道線廃止に伴い引退

チンチン電車が都会の象徴でした。電車が街路の主でした。和歌山県では和歌山市だけに明治42年1月から路面をわがもの顔にゴーチンチンと電車が走っていたのです。62年3ヶ月の間、子供にも年寄りにも親しまれてチンチンゴーと走っていたのです。
それが交通マヒのやり玉の第1番にあげられて東京や大阪やあっちこっちの都市で廃止になり和歌山市でも昭和46年3月31日の夜をなごりに惜まれながら廃止になったのです。世の中はこうして移り変るのです。どんどん移り変るのです。
和歌山市にはもう電車は走っておりません。走っていた電車はみんな魚の巣(魚礁)になって南の海の底に沈められました。そのうちの2台だけが走っていたままの姿でここと海南市とに保存されて毎日みんなの来るのを待っています。大事にしましょうね。あたたかく見守りましょうね。
(案内板より)

製造から8年で引退となった車両、こちらも大きな屋根の下で保存され状態は良好です。



数年前は塗装が荒れていたようですが、現在では綺麗な状態です。こちら側の方向幕は「試運転」。



南海の社紋も残っています。

 

反対側の方向幕は「国鉄和歌山駅」残念ながら右下が少し破れています。



どちらの車両も5月5日のこどもの日には車内が公開されるようです。

和歌山駅からバスも出ていますが、本数の多い路線のバス停からは少し離れています。訪問の際には地図などをよくご確認ください。

背後には和歌山城が見えました。



和歌山駅に戻って"くろしお9号"で紀伊田辺駅へ、こちらは新型の287系で運転されていました。沿線の観光案内などの放送も入り、観光特急としてとても乗り心地の良い車両ですね。

紀伊田辺駅の3番線には当駅始発の新宮行きが停車中、単色化された105系でした。和歌山方の先頭車クハ104-551は、事故廃車となったクハの代替にモハ車を先頭車改造した車両だそうです。


↑2333M 105系W10編成2B 新宮行@紀伊田辺

紀伊田辺駅舎、1932年の開業当時からのもののようです。



この後は、会津児童公園のC57 7号機を訪問。続きます。

拍手

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
このブログについて

このブログは、鉄道撮影を趣味とする「撮り鉄」の管理人が、日々撮影した写真を掲載するブログです。
現在1年以上前の記事を更新中です。ご承知おきください。
写真の無断転載・無断使用はおやめください。
昔の記事も随時更新中です。アーカイブからご覧下さい。
カテゴリー

最新コメント

返信を送信済みのコメントにはアイコンがつきます。コメント数は増えませんので、ご注意ください。
[03/21 hosiai]
[12/10 Anemonid]
[10/29 てへ]
[09/02 ドラゴン]
[01/11 Ryo]
最新トラックバック

プロフィール

HN:
シュウ
性別:
男性
趣味:
鉄道撮影
自己紹介:
鉄道趣味は続く・・・。週末はいつもどこかに出撃。
バーコード

ブログ内検索

カウンター

アクセス解析