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2007年8月12日(日)開設
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高崎川南公園の58683
昨年11月4日の話。
この日は、千葉県方面の保存車訪問と銚子電鉄へ行ってきました。まずは、佐倉市高崎川南公園の58683号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1922年10月18日 製造所 汽車製造 1922年10月18日 国府津機関区 1931年4月 田端機関区 1933年3月 新小岩機関区 1944年12月 成田機関区 1955年2月 佐倉機関区 1969年12月11日 佐倉機関区にて廃車 この58683号は通称ハチロクと呼ばれて親しまれてる8620形式の蒸気機関車です 日本で最初に機関車を作ったのは明治26年(1893年)であるが8260は明治末年ドイツから輸入したシエワルクコック製の8800を参考に国産化した急行用機関車で大正3年(1914年)より15年間にわたって初番8620に始まり総数687両が作られ旅客用機関車で最も両数が多い この58683号は大正11年10月18日(1922年)汽車製造会社にて作られ国府津機関庫、大宮機関庫、田端機関庫を経て昭和7年3月新小岩機関庫昭和19年12月〜昭和30年2月成田機関区に所属され昭和44年12月11日廃車まで佐倉機関区に籍を置き昭和48年3月29日現位置に据付けられた 新製から廃車までの走行距離は2287115Kmで地球1周約4万Kmとすると約57周です。(案内板より) 大正生まれのハチロクの一両。生涯を関東地方で過ごし、最終配置の佐倉機関区にも近い佐倉市内に保存されました。 普段は公開されていませんが、国鉄OBの方々の手によって整備され、毎年8月に公開が行われています。全体的に塗装も落ち着いています。 側面プレート周り。プレートはレプリカ、製造銘板は本物のようです。 動輪は塗装されています。 後ろから。腕木式信号機も一緒に保存されています。 公開日も非常に少なく、なかなか近づけない保存車ですが、部品の破損や紛失等も見受けられず、非常に良い状態でした。 続いて、成田市栗山公園のD51 609号機を訪問。続きます。 PR
ダガシヤダイチャンの日立電鉄モハ1003
4月14日の話。前回記事の続きです。
ユーカリ交通公園のD51 405号機を訪問した後は、小金原団地内「ダガシヤダイチャン」で利用されている日立電鉄モハ1003のカットモデルを訪問。 ・車歴 不明。詳細が分かり次第追記します。 相鉄を経て、日立電鉄で1990年代前半まで使用されていた車両。廃車後は茨城県内で個人で保存されていましたが、2008年に車体をカットした上でここ小金原団地へ搬入されました。なおカットされたもう半分は、「昭和の杜」で保存されています。 建物の1階部分にはまり込んで保存されています。 訪問日は営業日だったので、店内は地元の子供たちで賑わっていました。駄菓子屋もすっかり見かけなくなりましたね。 早朝から活動していたこともあり、この日はこれにて帰宅となりました。
ユーカリ交通公園のD51 405
4月14日の話。前回記事の続きです。
流鉄流山線を撮影した後は、北小金駅からバスでユーカリ交通公園のD51 405号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1940年3月31日 製造所 日本車輌 1940年3月31日 新津機関区 1944年5月15日 坂町機関区 1944年8月28日 長岡機関区 1950年3月2日 長野機関区 1966年11月5日 山口線管理所 1972年11月30日 山口線管理所にて廃車 この機関車は「デゴイチ」の愛称で親しまれ、国鉄で最も多く造られ、また、国鉄独自 、純国産の代表的な貨物旅客機関車であります。D51405は昭和15年3月31日、日本車輌名古屋工場で製作され、昭和15年4月13日新津機関区(新潟)に新製車として配置され、昭和19年5月15日坂町機関区(新潟)、昭和19年8月28日長岡機関区(新潟)、昭和25年3月3日 長野機関区(長野)、昭和41年11月14日津和野機関区(島根)、昭和48年11月30日現役のまま廃車となり、昭和の興隆期に経済輸送の花形として、この間33年3ヶ月の大活躍、大量貨物、旅客列車1230tを牽引して延延2193572.4km(地球を約50周)を疾走した猛者であります。(案内板より) 長野工場式デフ装備、集煙装置もついたままという関東地方では見られない珍しい形態で保存。というのも車歴の通り、現役時代は関東には縁が無かったカマで、こちらの姿は基本的には長野時代のもののようです。 スノープロウは外されて保存されています。 車体は全体的に埃を被っています。動輪は塗装されていました。 キャブの窓ガラスは割れていました。製造銘板は黒塗りながら残っています。キャブ内への通路はありますが、立ち入りはできません。 後ろから。テンダは部品の欠損が目立ち残念。 全体的に見れば、部品の欠損はほとんど無く、また車体の腐食も進んでいません。こちらの公園は昼間は子供連れが遊んでいて人目がありますし、夕方には完全に閉まるので盗難やいたずらも少ないのでしょう。 続いて、公園から少し歩いた小金原団地内「ダガシヤダイチャン」で店舗として利用されている日立電鉄モハ1003を訪問。続きます。
いすみ学園の東急デハ3455
9月1日の話。前回記事の続きです。
ポッポの丘の保存車の後は、県道465号線に戻って、いすみ学園の東急デハ3455を訪問。 ・車歴 製造年月 1952年10月 〜1984年5月31日 運用終了 この電車は東京急行電鉄(株)の御好意により寄贈されたものです。昭和27年10月に製造され昭和59年5月31日まで東急池上線で活躍していた電車です。(案内板より) 戦後の東急を支えたデハ3450形の先頭車、塗装が薄くなっていますが定期的に清掃が行われているようで状態は良好です。 ホームも設置されていますが、敷地内ですので立ち入らないように。 生け垣があり台車は綺麗に見ることができませんが、こちらも良い状態のようです。 後ろから。 車両自体は入口付近に保存されているため外観の観察は可能です。車両に近づいた場合は敷地内侵入となりますので、許可なく立ち入るようなことは絶対に行わないようお願いします。 保存車訪問を終えて、国吉駅に戻ってきました。いすみ202号車の上総中野行きを撮影。 ↑23D いすみ202号1B"上総中野行"@国吉 交換する大原行きに乗って帰ります。 ↑22D いすみ302号1B"大原行"@国吉
ポッポの丘の保存車(2)
またまた記事の間隔が開いてしまいましたが、9月1日の話。前回記事の続きです。
引き続きいすみポッポの丘の保存車を続けます。 銚子電鉄デハ702。 ・車歴 製造年 1928年 製造所 川崎造船所 1941年 日本鉄道自動車にて鋼体化(近江鉄道モハ52) 1961年 改造工事 1978年 西武所沢工場で改造、銚子電鉄に譲渡 現役末期は銚子電鉄の旧塗装(デハ700形は纏ったことがありませんでしたが)に塗り替えられて運用されていました。2010年1月にさよなら運転が行われ、そのままの塗装で保存されています。 車内は「手づくり手芸コーナー」になっています。 運転台。状態は良好。 反対側は入換動車が迫っていますが、ギリギリ全体を見ることができました。 続いて、銚子電鉄デハ701。 ・車歴 製造年 1928年 製造所 川崎造船所 1941年 日本鉄道自動車にて鋼体化(近江鉄道モハ51) 1961年 改造工事 1978年 西武所沢工場で改造、銚子電鉄に譲渡 デハ702とともに銚子電鉄に譲渡され運用に就いた車両。現役時代には衝突事故に遭い、台枠が損傷したまま運用されたこともありました。2010年9月にさよなら運転が行われ、しばらく銚子電鉄で保管の末にこちらにやってきました。 車内は銚子電鉄のぬれせんべいコーナーに使われているようでした。反対側はこちらも入換動車が迫っています。 続いて、入換動車とヨ4両。こちらはすべて車歴不明のため車歴は省略します。 入換動車。動態保存ということで、数mなら走行できる状態のようです。 ヨ8818。 ヨ14157。 ヨ14202。 ヨ13959。 この他にDE10 30号機も保存されていたのですが、なんとこの時はすっかり忘れておりまして、見ておりません。現在では更に24系が2両増えたようですので、いすみ鉄道に訪問の際に必ず再訪したいと思います。 この後はキハ52の臨時急行を狙います。続く。 | カレンダー
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