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2007年8月12日(日)開設
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五井機関区の保存車
2月11日の話。前回記事の続きです。
EF65−535展示会の後は、五井機関区の3両の保存機と1両の保存車を訪問。 小湊鉄道株式会社は、大正6年(1917)年に設立され、五井〜上総中野間39.1Kmの鉄道路線を有している。 現在、同社には3輛の蒸気機関車が保存されており、本県における鉄道交通史上意義が深く、かつ学術的価値の高いものとして評価されている。 3輛のうち2輛は、六輪連絡十輪タンク機関車で、大正13年(1924)に同社が翌年の開業に向けて、アメリカから輸入したもので、ボールドウィーン機関車会社が1924年に製造した57776号、57777号であり、昭和31年(1956)まで同社で活躍した機関車である。ともに重量(空車状態)は30.1トン、全長約9.8メートル、最大出力712馬力である。 残り1輛の四輪連結十輪タンク機関車は、イギリスのベイヤーピーコック社が明治27年(1894)に製造したものを、当時の日本鉄道が輸入し、宇都宮機関区、千葉駅構内等で使用した後、同社が昭和21年(1946)に当時の国鉄から払い下げを受け、昭和25年まで使用していた。重量(空車状態)は約36,3トン、全長11.3メートル、最大出力550馬力である。 なお、五井〜上総中野間の運転に要した時間は概ね2時間で、一往復の石炭消費量は約2トンであった。 (案内板より) まずは小湊鉄道1号機。 ・車歴 製造年 1924年 製造所 ボールドウィン 1925年3月7日 小湊鉄道開業と同時に使用開始 1962年3月21日 廃車 続いて、小湊鉄道2号機。 ・車歴 製造年 1924年 製造所 ボールドウィン 1925年3月7日 小湊鉄道開業と同時に使用開始 1962年3月21日 廃車 続いて、小湊鉄道B10 4号機。 ・車歴 製造年 1894年 製造所 ベイヤー・ピーコック 1894年 日本鉄道94号機として使用開始 1909年10月1日 改番 鉄道院5507号機 1949年 小湊鉄道に譲渡 1952年 廃車 横浜線でも同型機が運用されていた形式です。形式入りナンバーが立派。 続いて、展示されているわけではないのですが、キハ5800。 ・車歴 製造年 1914年 改造所 日本車輌 1914年 製造 1936年 三信鉄道に譲渡、デハ300形となる→後に三信鉄道は国有化、飯田線に 1953年 クハ5800に改称 1960年 小湊鉄道譲渡、気動車に改造 1997年3月 廃車 機関庫の中で大切に保管されている、飯田線育ちの買収国電。最近は運転体験のイベント時に撮影会をやったりしているようで、整備されればいいなぁ・・・と。 反対側は、敷地外の道路から。 この後は、SL内房100周年記念号を爆煙ポイントで狙います。リベンジ。続きます。 PR
小櫃公民館のC12 287
2月4日の話。前回記事の間の話。
小櫃駅から見える小櫃公民館には、C12 287号機が保存されています。 ・車歴 製造年月日 1947年9月26日 製造所 日本車輌 1949年3月 後藤寺機関区 1949年12月7日 鹿児島機関区 1973年4月18日 南延岡機関区 1974年6月12日 南延岡機関区にて廃車 定期的に塗装はされているようなのですが、厚塗りで状態は良くありません。またプレートは側面の1枚しか残っていません。 せめて塗装を落としてから塗ってくれればねぇ・・・。 キャブ内への階段はありませんが、手すりがあるので上れます。計器類が残っているのが不思議。 唯一残っているプレート。 車歴を見れば分かりますが、カマ自体はこの地とは全く関係無い、九州型のカマです。九州型の特徴、風穴が見られる後ろから。 完全修復がされると良いのですが・・・。ひとまず、人の手が入っていますので解体の危険性は無いと思われます。 次回は、DLの試運転(前回記事の続き)です。続く。
流山総合運動公園のD51とキハ31
10月16日の話。前回記事の続きです。
所用を済ませ、TX線に乗って流山セントラルパークへ。駅から徒歩5分ほどの位置にある「流山総合運動公園」には、D51 14号機と流山鉄道のキハ31が保存されています。 まずはキハ31から見ていきましょう。 ・車歴 製造年月 昭和8年3月 製造所 汽車製造株式会社 東京支店 流山鉄道にて、昭和8年〜昭和24年まで17年間活躍した、ガソリンを燃料とした気動車です。当時はガソリン不足のために薪を燃やして走行したこともありました。昭和24年12月に電化後はエンジン・機関を取り外して昭和27年まで、客車として使われました。 戦前の気動車として大変貴重であり、保存されていることをとても嬉しく思います。しかし、ボロボロの状態で流山の車両基地に留置されていた時期もあったそうで、車体の腐食が心配されます。 というわけで、キハ31と初対面です。 流山鉄道の社紋と車番表記。 反対側の先頭も撮影。 続いて、D51 14号機を見ていきましょう。 ・車歴 製造年月日 1936年2月29日 製造所 汽車製造株式会社 1936年3月6日 吹田機関区 1936年6月28日 鷹取機関区 1940年9月22日 函館機関区 1941年3月 岩見沢機関区 1949年3月 旭川機関区 1952年10月10日 名寄機関区 1973年7月20日 名寄機関区にて廃車 記念すべきD51の完成1号機。D51 1号機の完成は3月22日で、ナンバーは若いものの少し遅れて完成しています。また、初期形なので(初期形以外にも何機かはそうですが)屋根上が一体となっており、その形から「ナメクジ形」とも呼ばれます。どうしても色褪せが目立ってしまいますね。整備してほしいところですが・・・。 キャブ付近。 後ろから。プレートが紛失していない点はいいですね。 これからもこの2両がこの地で大事に保存されることを切に願います。 おまけ 帰宅時の新宿駅にて。誤表示で「海老名」行きになっていました。この後しっかり訂正してました。 | カレンダー
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