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2007年8月12日(日)開設
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氷川中公園のC56 110
3月17日の話。前回記事の続きです。

ららぽーと新三郷の夢空間2両の後は、草加駅近くの氷川中公園に保存されているC56 110号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1937年9月30日
製造所 三菱造船
1937年12月 木次機関区
1972年12月19日 浜田機関区にて廃車

C56形の蒸気機関車は、昭和10年2月その第1号機が誕生しました。このC56形は今までに165両製造され、そのうち90両がタイ・ビルマにおくられ、今でも12両がタイの泰麺鉄道で活躍しています。C56形の最初の配置は日高本線(北海道苫小牧)小海線(長野県中込)七尾線(石川県七尾)などありついで木次線(島根県木次)越後線(新潟県白山)山野線(鹿児島県薩摩大口)などに配置されました。そして現在(昭和47年末)18両が全国に配置されています。C56形は小型ながら、テンダー(炭水車)をしたがえ、長距離支線区用機関車として設計されています。そしてバック運転が簡単にできるようにテンダー(炭水車)の上方両側を切りとり、後部の見とおしのよいことが大きな特徴となっています。
 ここに設置されているC56形110は昭和12年9月に三菱造船で製造され同11月に島根県米子管理局に配置されました。そして12月に木次機関区(島根県)に配置され、山陰本線、木次線(島根県松江−備後落合)で旅客貨物用として昭和44年4月まで活躍しました。その後、浜田機関区(島根県)に配属され、山陰本線、三江北線(島根県江津−浜原)で貨物入換用として活躍していましたが、昭和47年12月に廃車されることとなり、この****に設置保存されたのです。   (案内板より)

関東では珍しいC56の保存機。8年前に整備がされたようですが、さすがにくたびれてきています。



全体を柵で囲まれているため、部品の欠損は目立ちません。



動輪は塗装されています。



窓ガラスが無いためキャブ内も汚れていますが、計器類はよく残っています。



側面プレート周り。製造銘板も残っています。



後ろから。



全体が錆始める前に、何とかしてほしいものですが・・・このままだと荒廃の一途を辿るかと思われます。

この後は、北千住でスーパーひたちを撮影しましたが、651系だったので、下りは撮らずに帰宅。画像は今後形式別全編成にて掲載予定です。

※2016年初頭に整備が行われ、綺麗な状態になりました。

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ららぽーと新三郷の夢空間2両
3月17日の話。前回記事の続きです。

吉川美南駅を調査した後は、新三郷駅へ。ららぽーと新三郷の夢空間2両を訪問。

まずはオシ25−901。

・車歴
製造年 1989年
製造所 東急車輌(内装 東急百貨店)
1989年 横浜博覧会にて展示
〜2008年3月 ”北斗星””夢空間エルム”等の臨時列車に活躍
2009年9月17日 展示開始

「夢空間」とは、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)が、1989(平成元)年に、寝台列車による新しい旅の形を提案しようと製造した豪華客車。
食堂車であるダイニングカー、喫茶や飲酒を楽しむためのラウンジカー、そして寝台車であるデラックススリーパーという個性豊かな3つの車両で構成された。
東日本地区を中心に、観光シーズンやスキーシーズンなどに様々な寝台特急の臨時列車として活躍し、上野〜札幌間を結ぶ「北斗星」に連結された際は「夢空間北斗星」の愛称で運行された。
 ダイニングカーの車内装飾およびデザインは東急百貨店によるもので、パリのビストロをイメージしたポスト・モダン調のインテリアと、大きな窓が開放的な展望車感覚の空間が特徴。他の車両の乗客が通路を行き来することなくゆったりと食事ができるよう、列車構成の端に連結された。
 オーブンフロアの18席に加え、4人用の個室も設けられ、豪華な内装空間の中でフランス料理のフルコースを楽しむことができた。(案内板より)

駅からの連絡通路から、1階に降りてしばらく行った左側の駐車場に保存。状態は良好です。



普段公開はされていませんが、以前イベント等で公開されたこともあったようです。



こちらの車両はダイニングカー。



後ろ側はヒキが無く、広角20mmでギリギリといったところ。



続いて、オハフ25−901。

・車歴
製造年 1989年
製造所 富士重工業(内装 松屋百貨店)
1989年 横浜博覧会にて展示
〜2008年3月 ”北斗星””夢空間エルム”等の臨時列車に活躍
2009年9月17日 展示開始

「夢空間」とは、東日本旅客鉃道株式会社(JR東日本)が、1989(平成元)年に、寝台列車による新しい旅の形を提案しようと製造した豪華客車。
食堂車であるダイニングカー、喫茶や飲酒を楽しむためのラウンジカー、そして寝台車であるデラックススリーパーという個性豊かな3つの車両で構成された。
東日本地区を中心に、観光シーズンやスキーシーズンなどに様々な寝台特急の臨時列車として活躍し、上野〜札幌間を結ぶ「北斗星」に連結された際は「夢空間北斗星」の愛称で運行された。
ラウンジカーの車内装飾およびデザインは松屋百貨店によるもので、テーマを「知的遊空間」としたアール・ヌーボー調のインテリアは、ホテルロビーやバー、ラウンジをイメージして造られた。
中央にカウンター、その両側に14席のソファーが配置され、ピアノのメロディが流れるアンティークな雰囲気の空間で、カクテルやビールを楽しむことができた。  (案内板より)

駅からの連絡通路から見えるところに保存されています。こちらも状態良好。上から眺められる保存車も珍しいですね。



こちらの車両は「ラウンジカー」。



車内は公開されています。





どちらの車両も現役時代には結局撮影できませんでしたが、こうした形で保存され、じっくりと見ることができるのは大変幸運なことですね。なお、もう一両の「デラックススリーパー」は、木場のフレンチレストランにて使用されています。

この後は、氷川中公園のC56 110号機を訪問。続きます。

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山丸公園のC12 29
12月3日の話。前回記事の続きです。

大宮駅から徒歩10分ほどの山丸公園に保存されているC12 29号機を訪問してきました。

・車歴
製造年月日 1933年2月28日
製造所 日立製作所
1933年3月 横浜機関区
1933年3月31日 出雲三成機関区
1941年3月31日 滝川機関区
1949年3月1日 渚骨機関区
1959年2月4日 大宮機関区
1969年9月 大宮機関区にて廃車
この蒸気機関車は、昭和8年2月日立製作所笠戸工場で製造した過熱蒸気式タンク機関車である。横浜機関区に配置され、横浜港の入換えに使用されていた。その後旭川、釧路で活躍したが昭和34年2月4日から川越線及び大宮工場交換機として使われ、昭和44年廃車となり、昭和45年2月26日大宮工場から借り受けたものである。                        (案内板より)

最後は地元の大宮工場で入換えを担当していたカマ。



足回りは塗装されていて、刻印は確認できませんでした。



このカマの特徴は何と言っても煙突前の「鐘」、大宮工場の入換え機にはこういった鐘が取り付けられていました。



保存されているスペースが狭いため、全体を見る事が難しいのが難点・・・。なお、キャブ内は公開されていません。



最近整備されたようで、状態は良好でした。今後もこのような状態で保存されることを願ってやみません。



この後は、トレーディングカード集めのため都内へ。その途中で、上野の国立科学博物館のD51 231号機を訪問してきました。続きます。

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川越市の営団444
11月23日の話。前回記事の続きです。

東上線ファミリーイベントの後は、東上線に乗って川越市へ。個人業者?に保存されている営団丸ノ内線444号車を訪問してきました。

・車歴
不明。詳細が判明し次第追記します。

両運転台の先頭車。



以前は焼き焦げたように錆が出ており、朽ち果てていくのだろうと思っていたのですが、最近になって再塗装されて見違えるように綺麗になりました。錆は落としていないようで、車体には凸凹がありました。



とにかく、再塗装されたということはあくまで放置ではなく、保存だということですね。



個人所有の保存車のため、詳しい住所は明記できません。

この後は、途中で中央線思い出のアルバム記念入場券を購入しつつ帰宅。

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さいたま中央区役所前の39685
10月15日の話。前回記事の続きです。

大宮の後は、埼京線与野本町駅から徒歩5分ほど、さいたま市中央区役所前に保存されている39685号機へ。

・車歴
製造年月日 1920年2月10日
製造所 川崎造船所
1920年2月10日 大里機関区
1933年4月1日 大分機関区
1961年4月1日 坂町機関区
1971年11月29日 坂町機関区にて廃車

この蒸気機関車は大正9年2月10日川崎造船所兵庫工場で造られ、昭和46年11月29日まで九州、新潟および長野方面で、貨物列車用蒸気機関車として活躍してきました。この間51年と292日間に約250万Kmも走りました。
 この距離は、地球を約62周したことになります。9600型はけんいん力が強い貨物列車用蒸気機関車なのでスピードはあまりありませんが、動輪が小さくボイラーが大きいその姿から「甲虫」という愛称で親しまれてきました。
 この型の機関車は全部で770両造られましたが、現在では残り少なくなっています。昭和47年7月15日国鉄大宮工場より運ばれ、皆さんのアイドルとして末長く保存することになりました。              (案内板より)

大正製のキューロク。



以前はキャブ内が公開されていましたが、アスベスト問題が発覚してから階段は撤去されたようです。



後ろから。



腕木式信号も一緒に保存されています。



キャブ内の状態は悪くなさそうです。



車体は長年露天で保存されてきたため腐食していますが、貴重なキューロクですので、今後も残してもらいたいものです。



この後は、小田急海老名検車区で開催された「ファミリー鉄道展」へ。続きます。

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