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2007年8月12日(日)開設
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大宮総合車両センター前のD51 187
10月15日の話。前回記事の続きです。
今回は、大宮総合車両センター前に保存されているD51 187号機。 ・車歴 製造年月日 1938年9月8日 製造所 大宮工場 1938年9月8日 田端機関区 1948年7月1日 姫路第一機関区 1957年11月1日 浜田機関区 1971年8月26日 浜田機関区にて廃車 D51形式蒸気機関車は、1936年(昭和11)に誕生した優秀な大形貨物列車で、1945年(昭和20)までに民間工場をはじめ国鉄の8工場でも製造され、合計1115両製造された。 大宮工場においては、1938年(昭和13)4月から1942年(昭和17)3月までに、当時の社会的な要請に対応して31両製造したが、このD51 187号機は、そのうちの第1両目の由緒ある機関車で、1938年(昭和13)4月12日に着工し、同年9月8日に完成した。当時の工場職員が寝食を忘れ、心血を注いで製造に当り、その構成部品の全てを工場独自の力で製作したもので、歴史的にも技術の大宮工場の真価を現したものであり、記念物として先輩の偉業を讃えるとともに、当時の職員の21世紀の国鉄へ向っての自覚を具現する象徴として、この地に長く保存することになり、1971年(昭和46)10月14日準鉄道記念物に指定された。 (案内板より) 大宮工場製造D51の記念すべき1機目。 鉄道博物館開館に合わせてトンネル風の屋根が設置されました。プレート周り。 キャブには透明プレートが取り付けられているため詳しくは観察できませんが、良好そうです。 当たり前ですが、状態は大変良好、刻印も確認できました。なお、公開日は限られています。ご注意ください。 この後は、さいたま中央区役所前の39685号機へ。続きます。 PR
大荒田交通公園のC11 304
4月2日の話。前回記事の続きです。
青木町公園に行った後は、大荒田交通公園へ。C11 304を見に行ってきました。 製造年月日 1945年5月10日 製造所 日本車輛名古屋工場 1955年 茅ヶ崎機関区 1960年3月 大宮工場 1964年 茅ヶ崎機関区 1970年 大井工場で廃車 この蒸気機関車は、昭和20年5月10日に日本車輛製造株式会社にて製作された近距離用旅客機関車です。当初は茅ヶ崎機関区に配置され、相模線(茅ヶ崎〜橋本間)で旅客用として活躍しました。昭和35年以降は貨車用として使用されましたが、昭和40年にその使命を果たしました。この間20年と20日延べ7325日間走行し運転距離は5569680kmで地球を138周まわったことになります。 今回JR(旧国鉄)のご厚意により皆さんの勉強の糧になりますようここに保存するものであります。 (案内板より) 機関車の回りには柵があり、近づけないようになっています。 側面はすっからかん。窓ガラスが覆われているため、キャブ内を見ることはできません。 テンダー側から。 少し前に整備されたようですが、痛みが出ています。そろそろ再整備の時期では無いでしょうか? 4月2日の保存車めぐりの記事はこれにて終了です。
青木町公園の9687とデハ236
保存車の記事を進めます。4月2日の話。
せせらぎ公園に行った後は、川口へ。青木町公園に保存されている、9687とデハ236を見学してきました。 まずは9687から。 製造年月日 1915年12月 製造所 川崎造船兵庫分工場 1929年 高崎 1947年 五稜郭 1969年11月6日 大宮で廃車 9600型蒸気機関車は、大正年間に大量生産された貨物用機関車で、旅客用の8620型と双璧をなす大正の代表的中堅機です。 展示されている9687蒸気機関車は、大正4年11月(1915年)に川崎造船兵庫分工場で製造されました。それから、大阪鉄道管理局内や北海道五稜郭機関区管内を客車や貨車を引いて走っていました。 その後昭和40年9月大宮機関区管内に移り、川越線の大宮−高麗川間の区間を運行していましたが、交通機関のめざましい発展に伴い、その勇姿を消すこととなり昭和45年1月に教材展示用として当センターに来たものです。 (案内板より) 柵が設置されているためとても撮りにくいです。 三脚にカメラを固定して、セルフタイマーで撮ったもの。 案内板。 続いてデハ236。 製造 1929年 この車両は、昭和5年(1930年)4月に、湘南電鉄デ1形として開業時に登場し(後にデハ230形と改称)、以来48年間活躍していましたが、昭和53年全車廃車されました。 当時の最高の技術を取り入れ、誕生以来関東の名車として広く知られており、現在の高速化のスタイルを確立した電車の草分け的存在でもあります。長い間に何回か改造が行われ、最終的にこのスタイルになったものです。 昭和54年4月、市民からの強い要望と京浜急行電鉄のご協力により、教育用として設置、展示されたものです。みんなで大切にしましょう。 川口市 工学博士 吉川昭吉郎 記 (案内板より) 結構荒廃しています・・・。 道路側から後ろ。 この後は、大荒田交通公園に保存されているC11に向かいます。 ※2011年10月 隣接する施設の閉館に伴い、解体撤去の話が出ているようです。 ※9687号機は2013年に整備されました。京急デハ236は2016年9月頃に京急へ里帰りすることが決定しました。
鴻巣市せせらぎ公園のC11 322
4月2日の話。前回記事の続きです。
荒川公園のD51 140号機を訪問後は、鴻巣のせせらぎ公園に保存されているC11 322号機を訪問。 製造年月日 1946年 製造所 日本車輌株式会社 この機関車は新製後、高崎第二機関区に配属され、戦後、荒廃した日本の復興に群馬県・栃木県等に伸びている国鉄ローカル線を走り、人員輸送と貨物輸送に当たった。 その後、神奈川県の浜川崎機関区に移籍され、横浜線等を貨物専用機関車として活躍し、昭和36年国鉄大宮工場に入替用機関車として配属され、以来、大宮工場内で修繕用車両の入出場車のけん引と、無動力車両の構内試運転用として、持てる力量を十分発揮した。 国鉄が昭和43年10月、SL廃止方針を決定すると同時に火を落し、昭和45年1月29日から、本市東裏1号公園に展示され、その後平成12年5月より修復に入り、同年8月28日より当『せせらぎ公園』に展示されたものです。 鴻巣市都市整備部 都市計画課 公園係(案内板より) というわけで、高崎線も走行したことがある機関車。「横浜線等を〜」と書いてありますが、横浜線内をC11 322が走行した実績は無いようです。 意外と痛みが出ています。 案内板。 炭水側から。 このままだと危険かもしれません。せっかく鴻巣市が管理しているようですので、再整備されると良いのですが。 この後は川口へ。 ※2013年に整備が行われ、その後も定期的な保存活動が行われているようです。
荒川公園のD51 140
さて、ひとまず最新の記事まで追いつきましたので、4月2日の保存車めぐりに戻ります。
秩父鉄道を撮影した後、埼玉県内の保存車めぐりへ。まずは、熊谷の荒川公園に保存されているD51 140号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1938年11月6日 製造所 日本車輌 1938年11月16日 宇都宮機関区 1944年11月13日 大宮機関区 1969年5月2日 高崎第一機関区 1970年4月9日 高崎第一機関区にて廃車 関東で活躍した機関車。金網に囲まれて機関車には近づけないようになっています。それにしても状態が悪い…赤サビが全体に出ています。プレートは全てレプリカ。 側面。区名札受けは残存しており、キャブの窓も割られていません。 炭水車側のほうが状態はまだ良い方です。 このまま手つかずの場合、解体される可能性が高いかもしれません。金網のおかげでほとんど部品は紛失していないようですので、整備され、美しい姿となる事を願います。 この後は鴻巣のC11 322号機を訪問。続きます。 ※2015年頃より、整備活動が行われています。保存会のTwitterのリンクを貼っておきます。 | カレンダー
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