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2007年8月12日(日)開設
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板橋交通公園の都電7508
1月14日の話。前回記事の続きです。
・車歴 製造年月日 1962年12月7日 1962年12月7日 青山車庫 1968年10月5日 荒川車庫 1986年3月31日 荒川車庫にて廃車 この都電7508号車は、昭和61年3月まで都内でただ一つの都電路線である荒川線を走っていた車両です。 昭和37年12月に製造され、東京都の発展とともに都内を走り続け、その使命を終るまでに70万キロメートルを走り、延べ1224万人の人を運びました。 都電の全盛期には都内に40系統の路線があり1192両の車両が都民の足として利用されました。 今は、荒川区の三輪橋から新宿区の早稲田までの一系統(12.2キロメートル)ですが、沿線の人々からは昔と変らず親しまれ、毎日の通勤、通学やお買物に利用されております。 板橋区では、このたびこの車両が現役を退くのを機会に交通局から譲り受け、子供たちの施設として設置したものです。 (案内板より) 最近になって整備されましたが、この色は・・・。 車内は管理されていることもあって良い状態です。 運転台。 次に整備される時には、ちゃんとイエローで塗ってほしいものです。 公開時間は9:00〜15:45まで。 この後は、千早フラワー公園の都営12−000形試作車を訪問。続きます。 PR
東京交通短大の営団685と西武3
1月14日の話。前回記事の続きです。
大塚台公園のC58 07号機の後は、東京交通短大の営団685号車と西武3号機を訪問。 まずは丸ノ内線685号車から。 ・車歴 製造年月 1960年12月 1992年4月 引退 1992年7月 保存される 帝都高速度交通営団モハ500形電動客車は、丸ノ内線向け車両として1957年(昭和32年)に初年製造され、以降234両の車両を日本車輛、近畿車輛、東急車輌等の鉄道車両製造メーカー7社にて製造されました。 モハ500形685号車両は、1960年(昭和35年)12月 中野検車区に搬入され、翌年2月営業運転を開始いたしました。 1992年(平成4年)4月 31年間に29885696Kmを走行し現役を退いた車両であります。同年7月 帝都高速度交通営団創立五十周年記念車両として豊昭学園に寄贈された車両であります。 (案内板より) 随分と狭い所に保存されており、道も細いため全体は入らず。 前頭部は建物が迫っているためすっきりと見る事はできません。画像には写っていませんが幕は「池袋」を表示しています。 秋の学園祭で公開されているそうです。 続いて、道の反対側に保存されている西武3号機。 ・車歴 製造年 1891年 製造所 ダブス(イギリス) 1891年 大阪鉄道6号機 1900年6月6日 合併により関西鉄道57号機 1907年10月1日 買収により国鉄57号機 1909年10月1日 湊町機関区 1917年 多摩湖鉄道に譲渡 A1号機 1927年 西武鉄道に合併 A1号機 1944年9月21日 改番により3号機 1965年7月31日 廃車 1891(明治24)年イギリスのダブス社で製造された車軸配置が1B1型のタンク蒸気機関車です。 大阪鉄道が輸入し、1900(明治33)年大阪鉄道が関西鉄道に吸収されたため関西鉄道に移り「駒月」の形式名で活躍しました。 1907(明治40)年関西鉄道が国有化され、形式220(No.220)と改称、活躍の場が神戸付近に移りました。 1917(大正6)年に廃車。その後、多摩湖鉄道(のちに西武鉄道に併合)に譲渡され、A1の番号をつけ使用されましたが、晩年は埼玉県にあった日本ニッケル鉄道でも走り、1965(昭和40)年に廃車という経歴を持っています。 1967(昭和42)年に西武鉄道から寄贈され、ここが安住の地となりました。機関車重量25.14t、動輪直径が1219mmの小さな車体ですが、日本の鉄道の歴史を物語る、大変貴重な蒸気機関車です。 (案内板より) ということで、大変な歴史を持つカマ。屋根も付き、良い状態で保存されています。 キャブ内を覗いてみます。計器類など残っておりなかなか状態は良さそうです。 約45年間、この状態を保ってきたというのは素晴らしいことですね。 この後は、板橋交通公園の都電7508号車を訪問。続きます。
大塚台公園のC58 407[再訪]
1月14日の話。前回記事の続きです。
※前回訪問時の様子や車両データについてはこちらの記事をご参照ください。 南大塚公園の都電6162号車の後は、大塚台公園のC58 407号機を再訪。 半年程しか経っていないので、状態はほぼ変わらず。 前回あまりじっくりと観察しなかったホーム側を中心に。こちら側はシリンダーブロックが酷い状態・・・。 C58はなぜか状態の悪いカマが多い気がします。 腐食が進行していないうちに整備・公開されると嬉しいのですが。 この後は、東京交通短大の営団685号車と西武3号機を訪問。続きます。
神明町都電車庫跡公園の都電6063と乙2
1月14日の話。前回記事の続きです。
都電7506号車の後は、神明町都電車庫跡公園の都電6063と乙2を訪問。 まずは都電6063号車から。 ・車歴 製造年月 1949年3月 1949年3月19日 青山車庫 1949年9月 神明町車庫 1970年12月28日 荒川車庫 1978年4月27日 廃車 ここに展示された都電は客車6000形といわれる形式で、昭和22年に1号車(6001号)が誕生し、昭和28年までに289両の車両が製造され、都内全域にわたり活躍しました。 ここにある6063号は、昭和24年3月に63番目に製造されたものです。活躍の第1号は、昭和24年3月19日から青山車庫管内の路線を走行し、それから大久保、南千住車庫管内に移り、昭和24年9月からは、神明町車庫管内を走行し、昭和45年12月28日荒川車庫管内に移籍し、昭和53年4月27日まで約29年間活躍し、廃車となりました。 (案内板より) 大変良い状態で保存されていますが、残念ながらこちらも柵の中。 窓ガラスも綺麗に残っています。 柵との距離が近いので、柵を入れないで撮ると頭しか撮れません・・・。 先日広角が良いカメラを購入したので、保存車めぐりが一段落したら再訪問しようと思います。 続いて乙2。 ・車歴 改造年 1941年 1971年3月20日 荒川車庫にて廃車 ここに展示した貨物車は乙2型といわれております。この貨物車は昭和16年に乙10型を改造したものです。 この貨物車は幸い戦火をまぬがれ、戦後も軌道敷の砕石などを輸送し、また一時は野菜、魚貝類などの食料品輸送にも活躍したそうですが昭和46年3月20日に荒川車庫で廃車となりました。 (案内板より) 6063号車と接近しており、全体は撮影できません。 シンプルな運転台。 70年前の木造車両ですが大変良い状態で残っています。屋根が欲しいものですが・・・。 この後は、南大塚公園の都電6162号車を訪問。続きます。 | カレンダー
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