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2007年8月12日(日)開設
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府中郷土の森交通遊園の保存車
流れをぶった切ってしまって申し訳ありませんが、記事にし忘れていたので。

10月30日の話。この記事の続きです。

多摩川サイクリングの途中で、府中郷土の森にある交通遊園の保存車も訪問。まずはD51 296号機から。



・車歴
製造年月日 1939年10月18日
製造所 川崎重工
1943年10月10日 坂町機関区
1957年11月1日 直江津機関区
1968年4月1日 長岡機関区
1969年8月16日 新鶴見機関区
1970年10月19日 青森機関区
1972年3月27日 青森機関区にて廃車

D51型蒸気機関車は「デゴイチ」の愛称で親しまれ昭和11年から昭和20年までに1115輛も製造された日本の代表的な蒸気機関車であります。
 このD51−296は国鉄の発注により昭和14年10月川崎車輛株式会社が製造し、新潟、長野、東京、仙台、秋田各鉄道管理局に配属され、青森県内の奥羽本線を最後に引退するまで客貨輸送に活躍し、関東、東北地方の産業、経済、文化の発展に多大の貢献をしました。
 この間30余年約242万キロメートル(地球を60周)を走行しましたが昭和45年から青森機関区に所属し、国鉄の動力近代化にともなって昭和47年3月引退したものです。
 府中市では引退後のこの機関車が市民健康センターで静かな余生を市民に愛されながら送りつつ子供たちへの夢を育てるようまた教材として生かすため国鉄から貸与を受けここに展示したものであります。昭和47年12月      (案内板より)

補助灯つき、旋回窓の寒冷地仕様。現役時代は主に東日本を走行しました。3年ほど前に整備されたそうで、状態は良好そうです。



側面プレート周り。キャブ窓はオリジナルのものではないですね。なお動輪は塗装されており、刻印は確認できませんでした。



キャブ内も公開されています。柵が設置されており機器に触れられないようになっているため、良い状態でした。しかし右側の水面灯や一部の機器は紛失しています。



テンダー側から。後部灯が紛失。



D51の後ろには、EB10 1号機。



・車歴
製造年 1926年(AB10として)
製造所 汽車製造・芝浦電気
1927年3月30日 東京機関区?
1932年10月1日 EB10に改番・改造
1933年6月30日 田端機関区
1972年2月 田端機関区にて廃車

EB101は、昭和2年に蓄電池機関車AB10として東京芝浦電気株式会社(前の芝浦製作所)と汽車会社によって製作され、日本国有鉄道で初めての蓄電池機関車として東北本線の王子・須賀間の貨物輸送に使用されたものです。
 当時、同貨物線の付近には、危険物が貯蔵されていたため、火気をさけるため蒸気機関車にかえてこの蓄電池機関車が採用されたものでありますが、昭和6年に同線が電化されるに伴いAB10は電気機関車に改造され、現在のEB10形EB101に改められ(戦災を免れ戦後の25年間を経て)昭和46年1月までに44年間にわたり貨物輸送の電気機関車として活躍してきました。
 その間、全国的に電化が発展し、電気機関車は大形化されましたが、EB101はその中にあって独特の凸形車体で国鉄最小の電気機関車として、とくに鉄道ファンの人気を集めています。
 府中市では、引退後の機関車が、市民健康センターで静かな余生を市民に愛されながら送りつつ子供たちの科学への夢を育てるようまた教材として生かすため国鉄から貸与を受けここに展示したものであります。昭和47年12月   (案内板より)

王子の貨物線で活躍していた、小型電気機関車。



キャブ内は大変荒れており、機器は全て無くなった状態でした。



逆エンド側のプレートも紛失。D51の状態が良いだけに残念です。



少し離れたところには、都電6191号車。

・車歴
製造年月日 1950年11月15日
製造所 日本車輌
1950年11月16日 南千住車庫
1970年8月1日 荒川車庫
1978年4月27日 荒川車庫にて廃車

この電車は、むかし「チンチン電車」の愛称で親しまれていた都電で昭和22年から昭和28年までの間に290輛製造されました。昭和30年頃には東京都内では40路線の系統の電車が運転されていましたが、自動車の普及に伴いだんだんその数が減って東京都内では現在、三ノ輪橋から早稲田までの区間の荒川線だけとなりました。この電車は、荒川線を最後に28年間も休まずに働き続けてまいりました。1日最高2300人位、1日平均1000人位の人々に利用され、任務を終えて荒川の車庫で休んでいるのを府中市が、よい子のみなさんに利用していただくために、昭和56年7月東京都交通局より貰受けました。みなさんのお友だちとして、いつまでも、かわいがってください。                  (案内板より)

2008年の岩手・宮城内陸地震で亡くなられた岸由一郎さんも整備を行っていたそうです。ところどころ塗装が剥げているのは整備中なのでしょうか。



整備の記録も掲示されていました。



岸さんの心を受け継いで、今後も綺麗な状態で保存されることを願います。



最寄り駅は西武多摩川線の是政駅、徒歩約13分ほどです。

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飛鳥山公園のD51 853と都電6080
10月23日の話。前回記事の続きです。

せっかく飛鳥山交差点まで来たので、飛鳥山公園に保存されているD51 853号機と都電6080号車を見て行くことにしました。

まずはD51 853号機から。



・車歴
製造年月日 1943年8月31日
製造所 鷹取工場
1943年9月24日 吹田機関区
1946年1月1日 梅小路機関区
1946年5月8日 姫路第一機関区
1948年9月11日 長岡機関区
1968年4月1日 酒田機関区
1972年6月14日 酒田機関区にて廃車

2005年に整備されて綺麗になりました。前面プレートが緑色のペンキで塗られていたのが残念。



刻印は、D50 236の上から重ねられたもの(下画像)、D51 110を二重線で消して853が刻まれたものがありました。



プレート周り。検査表記の字体が残念。



キャブ内にも立ち入ることができます。この時は、日曜日だったこともあり子供達の遊び場となっていました。自由に入れる割には状態は悪くありません。



後ろから。



画像は人をかわして撮りましたが、機関車の上にのぼっている心無い方(子供から大人まで)がいらっしゃいました。保存車両は貴重な鉄道遺産です。遊具ではありません。きちんと理解してもらいたいものです。

続いて、都電6080号車。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

この都電6080は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両゛す。荒川線の前身は「王子電氣軌道株式会社」といい通称「王電」の名で親しまれた私営の郊外電車でした。明治44年8月大塚⇄飛鳥山上間2.45Kmの開業がはじまりで、その後王子を中心に早稲田、三の輪、赤羽を結ぶ路線が完成し昭和17年当時の東京市に譲渡されたのです。この車両は6000型と呼ばれており戦後はじめての新造車で昭和24年に製造されたものです。青山、大久保、駒込の各車庫を経て昭和46年3月荒川車庫の配属となり現役を退くまで都民の足として活躍していました。
 北区では都電のワンマン化を機会に交通局から譲り受け子供たちの施設として設置したものです。                      (案内板より)



車内は、9:00〜16:30まで公開されています。座席は復元されていませんでした。



運転台。



こちらは夜間は閉鎖されていることもあり、落書きなどもなく良い状態でした。



ということで・・・いかに屋外での保存が難しいかがよくわかる2両でした。

この日は、これにて帰宅。

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中野区立紅葉山公園のC11 368
前回に引き続き、過去に撮影した保存車です。中野区の紅葉山公園に保存されているC11 368号機。撮影日は、2008年4月2日になります。

・車歴
製造年月日 1946年12月26日
製造所 日本車輌

C−11は代表的なタンク機関車で、昭和7年C−10の改良型として都市近郊や支線の旅客用に誕生しましたが、やがて貨物用・入換用にと用途をひろげ、15年間で400機近く製造されました。
 C−11−368は昭和21年製作で、第4次製造に含まれる車輛です。標準型と異なり炭車上部が斜でなくなったリサイドタンクやキャブ下側の線が変更されたりしています。
 ここへ来るまでは延べ113万kmを走破し昭和47年7月まで、石巻線(宮城県石巻〜女川間)で活躍していた機関車です。           (案内板より)

震災による津波被害のため、現在も運転を見合わせている石巻〜女川間も走行していたカマ。



キャブには立ち入れません。荒廃しているようです。



全体を見るには、後ろからしか撮れません。



以前はホームレスの住処になって大変荒廃していたこのカマですが、2005年に再塗装されて綺麗になりました。これからも大事に保存されてほしいものです。

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靖国神社 遊就館のC56 31
前回に引き続き、今回も以前に訪問した保存車を記事にしたいと思います。撮影日は2008年4月2日。靖国神社内「遊就館」に保存されているC56 31号機です。

・車歴
製造年月 1936年2月
製造所 日本車輌
1936年2月 七尾機関区
1941年12月10日 七尾機関区にて廃車(記録上)
1943年10月25日 泰緬鉄道開通式にて記念列車を牽引
1943年〜1977年 タイにて「725号」として活躍
1977年頃 タイ国鉄で使用終了
1979年6月25日 日本帰還

この機関車は1936年日本車輌で製造され、石川県七尾機関区を走行していた機関車である。大東亜戦争において90両が南方に徴用されたが、タイで活躍し、この31号機は、泰麺鉄道の開通式に参加した機関車である。戦後は、タイ国有鉄道で使用され、1977年に引退することになったが、泰麺鉄道建設に関係した南方軍野戦鉄道隊関係者が拠金してタイ国有鉄道から譲り受け、1979年、靖国神社に奉納された。                             (案内板より)

戦時中にタイへと送られたC56の、90両のうちの1両。泰緬鉄道→タイ国鉄で使用された後、日本に帰還し、遊就館で保存されています。各所に、タイ時代の特徴を残しているカマ。ちなみに、同時に帰還した44号機は大井川鐵道で動態保存されています。



建物内での保存のため、極めて良い状態です。



キャブ内の状態も良好。



戦争の生き証人といえる機関車、今後も大切に保存されるでしょう。



最寄り駅:JR・東京メトロ市ヶ谷駅またはJR・東京メトロ・都営地下鉄飯田橋駅 徒歩約9分

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さるびあ図書館のD51 862
今回は、町田市のさるびあ図書館に保存されているD51 862号機について掲載します。写真は2008年10月のものですので、現在は状態が変わっている可能性もあります。ご注意ください。

・車歴
製造年月日 1943年11月18日
製造所 浜松工場
1948年7月1日 稲沢機関区
1957年11月1日 木曽福島機関区
1971年8月19日 木曽福島機関区にて廃車

この「D51型蒸気機関車」は、国鉄(現JR)東海道線「浜松-米原」関西線「稲沢-亀山」中央西線「名古屋-塩尻」の各線で、旅客・貨物列車の牽引車として活躍しました。引退した後、市民の熱意と国鉄関係者のご理解により、町田市に貸与され、昭和47年5月5日から、ここに展示されています。「まちだのデゴイチ」として、いつまでもかわいがってください。              (案内板より)

中部地方で活躍したカマ。最後の所属が木曽福島ということで、長野工場式デフN-2が取り付けられています。現役時代には集煙装置が取り付けられていたはずですが、保存時に取り外されたのか盗難にあったのかは不明。プラ製のプレートが残念です。



キャブ内は計器類に欠損が見受けられ、あまり良好な状態ではありません。



足回り。動輪は油で磨かれています。



後ろから。後部プレートもレプリカ。



屋根の下で保存されている車両ですので、状態は悪くありません。やはりプラスチックのプレートが残念です。保存会も存在するようなので、レプリカ品でももう少し本物に近いデザインになればいいのですが。

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