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2007年8月12日(日)開設
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鎌倉海浜公園由比ガ浜地区の江ノ電107
8月21日の話。前回記事の続きです。

本牧のD51の後は、鎌倉海浜公園由比ガ浜地区の107号を見てきました。

・車歴
製造年 1931年
製造所 新潟鉄工所



この真後ろはすぐ海、2009年に整備されたようですがすでに錆が出ています。



訪問した時には、公開時間外だったため車内の見学はできませんでした。



長年大事に保存されてきた車両ですので、定期的に整備してもらいたいものですが。



この後は、逗子の京急デハ601を見に行きます。続く。

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本牧市民公園のD51 516
8月21日の話。前回記事の続きです。

横浜市電保存館の後は、本牧市民公園のD51 516号機を見に来ました。

・車歴
製造年 1941年
製造所 大宮工場
1948年7月1日 大宮機関区
1969年4月23日 新鶴見機関区
1970年11月28日 新鶴見機関区にて廃車

関東で活躍したカマ。



テンダーには金網。・・・実はこの機関車、現在も防災用水タンクとしてテンダーが使われているんです。



キャブ内は、若干荒廃。



刻印も確認できました。



機関車の後ろには、横浜機関区で使用された転車台が設置されています。



海が近いため、以前は荒廃していたようですが、2007年に整備され、綺麗になりました。この状態をぜひ保ってほしいものですね。



この後は、鎌倉海浜公園由比ガ浜地区に保存されている江ノ電107を見に行きます。続く。

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横浜市電保存館の保存車(2)
8月21日の話。前回記事の続きです。

引き続き、横浜市電保存館の保存車を紹介していきたいと思います。

1510号車。

・車歴
製造年 1951年
製造所 日立製作所
昭和23年(1948年)から乗客サービスの改善と性能を高める研究を始め、昭和26年(1951年)に老朽化した300型の代替として20両購入した間接制御方式の電車1500型の1台。前面を窓の下から流線形とし、運転台の窓も大きくした。台車に防震ゴムを使い、振動や騒音を少なくし、従来の電車と比べ静かで乗り心地も良く、しかも電気と空気ブレーキを併用する等、数多くの新方式を採用し”ちんちん電車の決定版”といわれた。市電廃止の最後の日まで走った。   (案内板より)



当時流行った流線型、こうして綺麗な状態で残っていてとても嬉しいですね。



続いて、1601号車。

・車歴
製造年 1957年
800型代替として昭和32年(1957年)、当局工場で製造した最後の新造中型ボギー車1600型の1台。後部乗降口を中央よりに移したバス型配置で、出入口を大きくとり、4枚折戸を採用した。室内灯は蛍光灯でラインライト方式、床板は明るい緑色の軟質ビニール張り、ジューゲルは自動昇降式。台枠の中梁には5インチの鋼管を使用し、これをレザーバータンクに利用した。昭和45年(1970年)廃車となった。                       (案内板より)



車内。節電の影響により真っ暗。



市電最後の新造車、市電廃止までは生き残れませんでした。



最後に、無蓋貨車10号。

・車歴
製造年 1914年
横浜電鉄時代の大正2年(1913年)、本牧にあったキリンビール工場のビールを運ぶため、有蓋と無蓋の貨車が製造された。車体中央に設けた支柱にアームを取付け、これに2トンの手動チェーンブロックを装備していた。戦後は電動になり、レール、敷石等の補修材を運搬した。関東大震災、戦災時には廃車にするしかない損んだ客車を無蓋貨車に改造し、復興に役立てた。昭和47年(1972年)の市電全廃時にこの10号車だけが残された。              (案内板より)



保存館に展示されている車両の中では最も古い、大正製造の車両です。



ということで、横浜市電保存館の保存車は以上になります。この後は、本牧のD51 516号機を見てきました。続く。

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横浜市電保存館の保存車(1)
8月21日の話。

この日は、神奈川県内に保存されている車両をいくつか回ってきました。まずは、滝頭の横浜市電保存館から。

市営住宅の1階部分が保存館となっています。



では、手前の車両から見ていきましょう。523号車。

・車歴
製造年 1928年
製造所 東京ガス・蒲田車両・雨宮製作所
昭和3年(1928年)に大量60両を購入した。屋根はスッキリとした曲面を採用。車内の大天井もアーチ型とし、内幕型の押縁、スタンションポールの木座等は手彫り模様にする等、震災復興の完成期らしい華やかな電車といわれた。戦後15両を600型に改造、昭和44年(1969年)廃車となった。    (案内板より)



車内。運転台周辺は簡易シミュレータとなっており(無料で利用可能)、雰囲気は抜群でした。



続いて、1007号車。

・車歴
製造年 1928年
初のボギー車。昭和3年(1928年)、震災復興事業により20両購入した1000型の1台。屋根は曲面アーチを採用し、中部に入口専用扉を設けた。昭和9年(1934年)、入口の幅をつめて出入口に改造し、昭和17年より中部車掌を配置した。昭和28年(1951年)に再び入口専用とし、自動ドアに改造した。昭和44年(1969年)全廃となった。              (案内板より)



車内。節電の影響で真っ暗、細かい部分はじっくりと観察できませんでした。



ヒキがなく、撮影は困難。



続いて、1104号車。

・車歴
製造年 1936年
製造所 梅鉢車両
昭和11年(1936年)に新式中型ボギー車として5両購入した1100型の1台。バンパー車から流線型となっている車両は当局唯一のもの。当初ロマンスシートを片面にそれぞれ3脚を設け、その他をロングシートとし、鋼鉄振止式のつり皮を採用するなどモダンな車両。「ロマンスカー」とも呼ばれた。昭和42年(1967年)、ワンマン車に改造され市電全廃まで活躍した。       (案内板より)



車内。「ロマンスシート」は復元されていません。



こちらも全体は入りません。



続いて、1311号車。

・車歴
製造年 1945年
製造所 汽車製造
昭和22年(1945年)、終戦直後の混乱した時代に輸送力を増強するため大量30両を製造。当初3000系としたが翌年1300系に改めた。運転台側出入口は2枚折戸、中央出入口は両開引戸、車掌側は1枚引戸と独特なドアーを装備した。車体は軽く機能も良くツーマン車としては最後の車両で昭和46年(1971年)・系統廃止に伴い廃車となった。                 (案内版より)



車内。



もうちょっと敷地を拡張できないものでしょうかねぇ・・・。



長くなりましたので、(2)に続きます。

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鵠沼運動公園のC11 245
1月8日の話。前回記事の続きです。

ドクターイエローを撮った後は、鵠沼運動公園に保存されているC11 245号機を見に行きました。

・車歴
製造年月日 1943年5月29日
製造所 日本車輌
走行距離 917851km

同じ形式であるC11が藤沢駅構内の入れ替えに使用されたことにちなんで引き取られた機関車です。実際に神奈川県内を走った事は・・・無さそうですね。

1943年3月1日 新発田機関区
1943年6月 新津機関区
1973年9月3日 会津若松機関区
1973年4月 小牛田機関区
1974年5月28日 小牛田機関区にて廃車

特製の「しおかぜ」HMを掲出して展示されています。この日は正月飾りが付いていました。



真っ正面から見てみます。大型機と比べて迫力は落ちますが、やっぱりSLは格好良いと思います。



後ろからも撮って、見学終了。



とにかく、状態が良いなぁと思った保存機でした。保存会の方々を中心に、大切に整備されているようでした。

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