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2007年8月12日(日)開設
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河口湖駅前の富士山麓電気鉄道モ1号
昨年1月25日の話。前回記事の続きです。
河口湖駅に立ち寄った際に、河口湖駅前の富士山麓電気鉄道モ1形モ1号を訪問。 ・車歴 製造年 1929年 製造所 日本車輌製造 1929年 富士山麓電気鉄道モ1号として新造 1952年頃 モ501号に改番・車体更新に伴い旧車体は上田丸子電鉄に譲渡 1983年 上田丸子電鉄で廃車 富士急行の前身である、「富士山麓電気鉄道」が1929年(昭和4年)の開業に際して新造した車両。モ1号からモ5号までの5両が製作され、富士山に向かって走る日本有数の急勾配路線用として、電気ブレーキや砂まき装置を装備するなど、急勾配対策を万全に施した、当時の最新鋭車両であった。本展示車両は、富士急行創立60周年記念事業にて、上田丸子電鉄(現・上田電鉄)に譲渡されていた車体を引き取り、整備、復元したものである。(案内板より) 開業時に製造された車両、こちらは1952年頃に17m車体に更新された際に上田丸子電鉄に譲渡された車体。復元時には東急デハ3458の台車が使われています。 富士山麓電気鉄道在籍時は両パンタ付きでしたが、上田丸子電鉄時代の片パンタのまま復元されました。この日は検査で走行していませんでしたが、「富士登山電車」の外観の"さび朱色"もこの車両の塗装を元にしています。 車体には富士山麓電気鉄道の社紋。 屋外保存ですが状態は良好。背後の富士山とともに。 車内は普段公開されていませんが、河口湖駅構内で毎年10月に行われている「富士急電車まつり」では車内が公開されているようです。10月はイベントが多いので、なかなか河口湖までは足を伸ばせないのですが、機会があればイベントとあわせてこちらも再訪してみようと思います。 PR
清里駅前のC56 149
8月4日の話。前回記事の続きです。
信濃境の富士急3100形の後は、清里駅前のC56 149号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1938年6月28日 製造所 三菱重工業 1938年6月28日 米沢機関区 1941年3月31日 釜石機関区 1943年12月31日 中込機関区 1973年7月20日 木曽福島機関区?にて廃車 C56149号蒸気機関車は戦前戦後を通し輸送の主力として八ヶ岳山麓を力強く走り続け地域の発展に大きく貢献し、また高原「ポニー号」と称され多くの方々から親しまれてきました。まだ充分活躍出来る能力はありましたが、時代の進歩には勝てず退役となりました。引退までの34年5ヶ月、実に31年間も小海線で走り続け優美な清里高原を全国に伝える原動力になりました。 退役後、永年親しまれ活躍してきたC56の学術的、歴史的功績をたたえると共に郷土を語る貴重な資源として、また未来を担う子供達の豊かな心を育てる教育的、社会的教材として後世に伝えるべく、「たかね荘」の敷地内で静態保存されていたものを清里駅周辺地区の整備の一環として地元からの要望に基づき観光復興に役立てばとの思いから、清里駅前に設置しました。(案内板より) 小海線で活躍した”高原のポニー”。木曽福島機関区で廃車となったという話もありまが、1973年に「高原のポニー号」を牽引していたという記録もあります。廃車後は町営「たかね荘」で保存され、放置状態となっていましたが、2009年に整備されたうえで清里駅前に移転されました。 よくぞここまで綺麗になったなぁと・・・ スタイルの良いカマですねぇ。 動輪は塗装されていますが、かなり自然な塗り方で良い状態です。 側面プレート周り。製造銘板が印刷されたものになっており残念・・・。 キャブ内。 後ろから。 この後は、野辺山歴史民俗自然公園のC56 96号機を訪問。続きます。
小淵沢小学校のC56 126号機
8月4日の話。前回記事の続きです。
・車歴 製造年月日 1938年3月16日 製造所 三菱重工業 1938年3月16日 岩見沢機関区 1939年11月11日 深川機関区 1941年8月8日 吉松機関区 1947年3月1日 薩摩大口機関区 1949年6月21日 鹿児島機関区 1949年12月17日 南延岡機関区 1951年4月26日 飯山機関区 1965年4月1日 松本運転所 1967年3月31日 上諏訪機関区 1972年4月15日 長野運転所 1973年3月28日 浜田機関区 1975年2月17日 浜田機関区にて廃車 新製配置は北海道、その後九州→長野→中国と現役時代は大きな移動が多かったカマ。一時期長野で活躍していたことから引き取られたのでしょう。状態は良好。 前面プレートはレプリカのもの。集煙装置もレプリカだそうです。 側面プレート周り。製造銘板も残っており部品の損失は目立ちません。 遠目でしか見ませんでしたが、動輪は塗装されているようでした。 後ろから。 ※画像は全て敷地外から撮影。近年小学校等の施設は無断での立ち入りは厳禁ですので、充分ご注意ください。 この後は、信濃境の廃線跡の富士急3100形を訪問。続きます。
韮崎中央公園の保存車
8月4日の話。前回記事の続きです。
甲斐市の富士急5716号車の後は、韮崎中央公園の保存車を訪問。 韮崎中央公園の保存車は2箇所に分かれており、大変離れています。まずはEF15 198号機と貨車群側の保存車から。 EF15 198号機。 ・車歴 製造年月日 1958年10月1日 製造所 汽車製造 1958年10月2日 稲沢第ニ機関区 1963年10月6日 米原機関区 1964年9月28日 岡山機関区 1969年10月17日 宇都宮運転所 1978年10月30日 八王子機関区 1979年7月12日 甲府機関区 1983年3月20日 立川機関区 1985年3月14日 八王子機関区 1986年2月10日 八王子機関区にて廃車 EF15−198号は、昭和33年10月東洋電気会社及び汽車製造会社で製作されて 愛知県にある稲沢第2機関区に新製配置され、東海道本線に使用されましたが、昭和38年10月米原機関区(東海道線)、昭和39年9月岡山機関区(山陰本線)、昭和44年10月宇都宮運転所(東北本線)、昭和 3年10月八王子機関区(中央線、南部線、武蔵野線)の各区に配置替となり、昭和58年3月立川機関区にも移りましたが、使用開始後26年余りの間約212万キロメートルを走り続け、昭和61年2月EF16型としては本邦最後の1両として廃車指定となりました。(案内板より) 末期は中央線で過ごしたカマ。色は塗り替えられていますが状態は比較的良好です。 車両の左側には見学用の通路が設置されているため、側面を見ることはできません。 1エンド側から。 以下の車両は全て車歴が不明であるため車歴欄は省略しています。 トラ72379。 トラ74778。 トラ75013。 ヨ14041。 車内。公開されていませんがかなり腐食が進んでいるようです。 編成を後ろから。 続いて、離れた場所に保存されているC12 5号機。 ・車歴 製造年月日 1933年2月3日 製造所 汽車製造 1933年2月27日 宇都宮機関区 1934年9月10日 桐生機関区 1945年9月30日 苫小牧機関区 1955年3月23日 横川機関区軽井沢支区 1969年5月7日 甲府機関区 1970年4月30日 甲府機関区にて廃車 屋根はありませんがかなり良い状態。 側面。動輪は厚く塗装されており、刻印は確認できず。 側面プレート。 後ろから。 この後は、小淵沢小学校のC56 126号機を訪問。続きます。
甲斐市の富士急5716[撤去]
8月4日の話。前回記事の続きです。
若草支所のED16 15号機の後は、甲斐市の個人所有、富士急5716号車を訪問。 ・車歴 1983年11月15日 富士急入線 1994年12月15日 廃車 元小田急デハ2327号車、小田急での運用離脱後富士急に譲渡されました。現在では唯一の小田急2320形の生き残りとなってしまいましたが、塗装は現役時代とは異なっています。ギャラリーとして使用されているようです。 車両の前は私有地の畑ですので、無断で立ち入ることはないようにお願いします。今回は近くに農作業中の方がいらっしゃらなかったため、全て公道から撮影しました。 ※個人所有の保存車ですので場所の詳細は明記できません。 この後は、韮崎中央公園の保存車を訪問。続きます。 ※2012年末に撤去されました。 | カレンダー
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