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2007年8月12日(日)開設
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若草支所のED16 15
8月4日の話。前回記事の続きです。

利根川公園の江ノ電801(山梨交通モハ7)の後は、南アルプス市若草支所のED16 15号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1931年7月14日
製造所 三菱造船
1931年7月25日 国府津機関区
1931年8月7日 水上機関区
1946年6月22日 八王子機関区
1959年4月17日 西国立機関区
1959年11月30日 八王子機関区
1961年4月15日 西国立機関区
1963年4月1日 立川機関区
1978年10月31日 立川機関区にて廃車

昭和6年中央線用として製造され、7月14日から中央線甲府〜新宿間を客車8両をけん引して約4時間で到着しました。
その後、八王子機関区、水上機関区等移動して活躍、昭和6年から昭和58年10月31日の廃車まで・・・・・実に47年間、走行距離は2485536kmに達しました。(案内板より)

八王子機関区・西国立機関区を中心に活躍した電機。屋根が付けられ状態は良好です。

 

側面。




反対エンド側。



公共交通機関で訪問するにはかなり大変な保存車ですので、訪問の際は自家用車等で行かれることをおすすめします。

この後は、甲斐市の富士急5716号車を訪問。続きます。

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利根川公園の江ノ電801(山梨交通モハ7)
8月4日の話。前回記事の続きです。

日本システムウェア山梨ITセンターのモハ5707・モハ5708を訪問した後は、利根川公園の江ノ電801を訪問。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

甲府盆地を県民に親しまれは知り続けた山梨交通株式会社(旧峡西電鉄)の電車は、明治から大正時代にかけて隆盛を誇った鉄道馬車にかわり、昭和5年、当時の山梨電気鉄道株式会社によって甲府〜青柳間の運行が開始された。
 この電車の開通により、峡西、南地方の人にとっては甲府を結ぶ重要な輸送機関として利用され、また、終点の甲斐青柳駅と身延線鰍沢口駅をバスで連絡し、甲府と静岡を連結される旅客輸送の一幹線となるなど、峡西、南のローカル交通として果した役割は大きいものがあった。
 甲府から甲斐青柳までの間、26の駅があり、本町には終点の甲斐青柳駅と長沢、長沢新町駅が設けられていた。甲府〜甲斐青柳間20.3キロメートルを所要時間約55分で運行し、上、下線とも30分ごとに発車されていた。
 戦後、この利用状況は、年間2〜3百万人の利用客があったが、自動車交通の著しい発展により利用客がしだいに遠のき、昭和37年6月3日の運行を最後に廃線となった。
 ここに展示する電車は、昭和23年に製造された車両で、昭和37年に甲府盆地でその勤めを終えたのち、長野県の上田丸子電鉄で走り、昭和46年から神奈川県の江の島電鉄へ移り、藤沢〜鎌倉間を観光客や通勤客を乗せて走り続け、神奈川県の人たちにも「チョコ電」の愛称で親しまれてきた。しかし老朽化が進み、昭和61年4月27日の運行を最後に廃車されたが、「思い出の電車を増穂町に」との町民の熱望により、長い旅客輸送の使命を終えた電車は、24年ぶりに増穂町に里帰りした。
 山梨交通株式会社の電車は、昭和5年から昭和37年まで、わずか32年間の運行ではあったが、太平洋戦争を挟み、幾多の変遷を経ながら山梨県民の足として地域の発展に役立ち、交通輸送歴史の1ページを刻んだ。
 数々の思い出を乗せ、愛され親しまれたこの電車を、増穂町、また、山梨県の交通輸送歴史の記念として永久に保存していくため、旧軌道沿いのここ、利根川公園に設置したものです。(案内板より)

山梨交通で廃線まで活躍後、上田丸子電鉄(現:上田電鉄)→江ノ電で活躍した車両。江ノ電で廃車時の状態ですが、山梨交通時代の塗装で保存されています。

  

前面の行先票は江ノ電仕様。



屋根は保存後数年経って設置されたようですが、車体の状態も良好。



車内は公開されていませんが、こちらもほぼ手を付けられていないようです。



後ろから。



この後は、南アルプス市若草支所のED16 15号機を訪問。続きます。

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日本システムウェア山梨ITセンターのモハ5707・モハ5708
8月4日の話。

この日は、山梨県・長野県保存車巡りをしてきました。まずは、日本システムウェア山梨ITセンターのモハ5707とモハ5708を訪問。

・車歴
1982年11月10日 富士急入線
1999年9月30日 廃車

元小田急2200形デハ2212、小田急で引退後富士急に譲渡されて活躍しました。モハ5707号車とモハ5708号車は編成を組んでいました。小田急2200形はこの他に喜多見検車区でデハ2201・デハ2202が保管されていますが、こちらは近年全く公開されませんね。喜多見検車区は中の様子が確認できませんし・・・。

 

小田急時代の塗装に復元されて保存されています。定期的に整備が行なわれているようで、良好な状態を保っています。



後ろから。



続いてモハ5708。こちらは敷地内の中央付近に保存されており、近づいて観察することはできません。モハ5707の保存場所側から見ると木が被ってしまいます。



反対側に回ってみました。こちらの方がすっきりと見ることができます。こちらも状態は良好そうでした。

 

いずれも公道から撮影、許可なく敷地内に立ち入っての撮影は禁止ですので絶対にやめてください。

この後は、利根川公園の江ノ電801号車を訪問。続きます。

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旧勝沼駅跡のEF64 18
5月5日の話。前回記事の続きです。

「かいじ180号」を撮影した後は、後続の特急まで時間があったので、旧勝沼駅跡のEF64 18号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1966年5月12日 
製造所 東芝
1966年5月12日 甲府機関区
1983年3月17日 立川機関区
1984年2月1日 八王子機関区
1986年11月1日 篠ノ井機関区
2004年4月1日 塩尻機関区
2005年3月30日 塩尻機関区にて廃車

EF64形式の電気機関車は、昭和39年(1964)に旧日本国有鉄道が勾配線区
用に開発した直流電気機関車です。昭和51年(1976)までに基本形(0番台)79両が製造されたのち、昭和55年(1980)〜57年(1982)に大幅な設計変更を行った改良形(1000番台)が53両つくられました。後継機関車のEH200形の登場に伴い、平成15年(2003)年から順次廃車されています。18号機は昭和41年(1966)5月に製作され、主に貨物車を牽引して中央本線などを走りました。単線当時の中央本線を知る貴重な機関車です。その後、南武線、青梅線、篠ノ井線などで活躍した後、平成17年(2005)3月に現役を引退しました。
甲州市では、大日影トンネルや深沢トンネルなどの鉄道遺産、駅前公園の整備にあわせてモニュメントとして平成18年(2006)11月に設置しました。鉄道がぶどうやワイン産業など地域の発展に果たした役割は計りしれないものがあります。勝沼駅を駆け抜けた往年の名機関車はそんな歴史を私たちに語りかけてくれます。(案内板より)

大日影トンネル遊歩道の手前に保存。設置されたのは5年ほど前、そろそろ錆が出てきています。



廃車時は貨物更新色でしたが、保存時に国鉄色に復元されました。



側面。



現在ではまだ64−0番台が活躍していますが、引退した場合、最近の電気機関車の保存車はほとんど無いので、貴重になるでしょう。





この一帯は桜並木が続き、春になると満開の桜に囲まれてとても綺麗です。



最寄り駅:JR勝沼ぶどう郷駅至近

この後は、予定通り後続の「かいじ」に乗って帰宅。

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