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2007年8月12日(日)開設
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小石川公園のC50 96
3月30日の話。前回記事の続きです。

西焼津駅から焼津駅に移動し、焼津駅から徒歩5分ほどの小石川公園に保存されているC50 96号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1929年12月4日
製造所 日本車輌
1929年12月4日 米原機関区
1939年6月 稲沢機関区
1940年9月 名古屋機関区
1943年9月 稲沢機関区
1950年12月1日 美濃太田機関区(入換用)
1966年6月8日 豊橋機関区(入換用)
1972年2月16日 豊橋機関区にて廃車

私は、昭和4年12月に名古屋市で生まれました。当時は、旅客列車用の花形機関車として米原機関区に配置され、東海道本線の急行旅客列車などをけん引しました。
 その後、稲沢・名古屋・美濃太田・豊橋の各機関区に転属し、主として、東海道本線・関西本線・高山本線で活躍し、最後は、豊橋駅の構内で入換用機関車として、昭和46年3月まで活躍いたしました。しかし私も年寄りになりましたし、国鉄の動力の近代化ということもあって、電気機関車に後をゆずり、私の役目は終わったわけです。
 昭和46年12月には、廃車の指定を受け、42年という長い生涯を終え、まさにスクラップ寸前といったところを、焼津市の皆様のご好意で、ここ小石川公園に引取られました。
 お化粧しなおして、よい子の皆様の前に二度目のおつとめをすることになったわけです。
 焼津の皆様の前に、姿を見せてから10年以上になりますが、あいかわらずかわいがっていただきたいと思います。(案内板より)

晩年は入換用で使用されていたカマ。経歴を見る限り、このカマも静岡県とはあまり縁がありませんね。



かなり綺麗に整備されており、屋根もあるので状態は良好です。ただし窓枠はありませんでした。刻印は確認できず。



キャブ内。屋根が青くなっているのが残念。



後ろから。後部プレートは紛失しているのかありませんでした。



この後はただ帰路を急ぐのみ、焼津駅から熱海行きに乗車。焼津駅は橋上駅舎になっています。



静岡〜熱海間はひたすら苦痛な区間なので熟睡し、熱海に到着。熱海では乗り換えの東京行き入線まで時間があったので少し撮影。


↑1665M 伊豆急行8000系TB-1編成+**編成6B "伊東行"@熱海


↑473M 211系LL4編成+**編成6B "浜松行"@熱海

この後は伊東線から直通の東京行きに乗車して帰宅。

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掛川市中央公園のC58 49
3月30日の話。前回記事の続きです。

大井川鐵道を撤収して、金谷から東海道本線沿いの保存車訪問へ。少し浜松方に下ることになりますが、掛川で一件未訪問の保存車があったので掛川駅へ。

掛川駅は建て替え工事中、木造の旧駅舎は保存される予定だそうです。



そんなわけで、掛川駅から徒歩10分ほどの中央公園に保存されているC58 49号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1938年11月22日
製造所 川崎車輛
1939年1月 長町機関区
1939年4月26日 新津機関区
1939年10月 長岡機関区
1942年1月28日 一ノ関機関区
1945年8月 正明市機関庫
1948年7月1日 備後十日市機関区
1958年4月1日 三次機関区
1970年11月4日 敦賀第一機関区
1971年8月19日 敦賀第一機関区にて廃車

このC58-49号蒸気機関車は日本国有鉄道(現在JR東海)より昭和46年に譲り受けたものです。
私たちの貴重な教材ですからお互に、大切にしましょう。(案内板より)

静岡県を含め、東海道本線には一切ゆかりの無いカマですが、SLブームの頃に保存されたのでしょう。塗装の厚塗り感や部品の紛失など状態は良くありません。



訪問時は子供達の遊び場になっており、ちびっこがランボードに上っていました…案内板にも上らないように書いてあるのですが…こういった行為を許している親にも問題があると思います。動輪は塗装が厚く刻印は確認できません。



こちらは公式側、塗装が剥がれている痛々しい箇所も目立ちます…側面プレートは両側ともありません。



キャブ内も立ち入ることができますが、ボロボロです。



後ろから。プレートは黒く塗られており大変見辛くなっています。



現状ではこの後も荒れ放題でしょうが、かろうじて屋根があるので、車体の腐食はそれほど進んでおらず、きちんと整備すれば子供が上るようなこともなくなると思うのですが。

この後は焼津市小石川公園のC50 96号機を訪問しますが、その前にEF66 24が下ってきているとの情報があったので西焼津駅で狙います。続く。

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島田市中央小公園のD51 101
10月9日の話。前回記事の続きです。

大代側線の後は、同じ島田市内の中央小公園に保存されているD51 101号機へ。



・車歴
製造年月日 1938年6月21日
製造所 汽車製造
1948年7月1日 一ノ関機関区
1959年 酒田機関区
1972年10月28日 中津川機関区
1973年6月16日 中津川機関区にて廃車

この蒸気機関車は、昭和13年6月に製造され、現役時代主として運行した線区は、信越本線、羽越本線(新潟〜新津〜秋田)、その後、中央本線(東京〜名古屋)です。所属した機関車は、岩手県一ノ関機関区、山形県酒田機関区、岐阜県中津川機関区です。
 昭和48年5月に岐阜県中津川〜塩尻間を1往復したのが最後となり、走行距離265万キロ(地球66周)を運行して昭和48年に現役を退きました。
 当時の最高速度は時速85km、牽引力は1280馬力ありました。
 その後、日本国有鉄道(現在のJR)から貸与され、昭和48年9月この公園に設置されました。この機関車があることから中央小公園は、俗称「SL公園」として親しまれています。公園に設置してある機関車は、「D51 101」号機です。
 D51型機関車の「D」は動輪の軸数が4軸あるという意味で、左右8軸で牽引します。「51」は、石炭、ボイラー用の給水タンクが本体後ろのテンダというところにある形式付番です。大きさは全長19.73m、幅2.94m、高さ3.98m、機関車と炭水車を合せた空重量は約90トンあります。      (案内板より)

以前はプレートが手書きのようなものだったようですが、それっぽいものが取り付けられたようです。



キャブ内の状態は普通。なお側面のプレートは両側ともに紛失していてありませんでした。



テンダー後部が切り取られています。こちらもプレートはありません。



夜間も自由に入れる公園なので、部品の欠如は仕方ないかもしれませんね。それにしては悪くない状態でした。

ということで、この日の遠征は以上になります。

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大代側線のC12 208・C11 312・クハ861
10月9日の話。前回記事の続きです。

新金谷周辺で大井川鐵道を撮った後は、大代側線にある2機のSLとクハ861を見に行きました。

まずはC12 208号機から。

・車歴
製造年月日 1939年7月29日
製造所 日本車輌
1961年4月23日 鳥栖機関区
1961年10月4日 西戸崎機関区
1963年7月19日 吉塚機関区
1968年1月10日 鹿児島機関区
1972年4月19日 熊本機関区
1975年3月31日 熊本機関区にて廃車

廃車後は岐阜県「養老ランド」で保存されていたカマ。1994年に大井川鐵道にやってきました。復元はされず、専ら部品取り用として使われています。なお、ボイラーはC56 44号機のものです。



雑草に覆われてボロボロ。



続いて、C11 312号機。

・車歴
製造年月日 1946年1月31日
製造所 日本車輌
1946年3月17日 仙台機関区
1956年9月2日 会津若松機関区
1975年1月24日 会津若松機関区にて廃車
1975年 ドライブイン「あら竹」に保存
1988年7月23日〜 大井川鐵道で運行開始
2007年9月8日 運行休止

動態保存されていたカマ、2007年にC11 227号機にボイラーを移植するため引退しました。



運行終了後は静態保存される予定ですが、今もここ大代側線に留置されたままです。プレートは全て外されていますが、後部灯が残っています。



昨年の11月には千頭駅にいたクハ861もここに運ばれました。



2機ともに無惨な姿になりましたが、彼らの部品は今も現役です。華々しい動態運転の裏に、支えるものがいることも理解せねばなりませんね。

この後は、同じ島田市内のD51 101号機へ。続きます。

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鷹岡でごいち文庫のD51 943とオハ35
10月9日の話。前回記事の続きです。

富士市の0系21−59の後は、富士市入山瀬駅近くの鷹岡でごいち文庫のD51とオハ35を見てきました。



まずはD51 943号機から。

・車歴
製造年月日 1944年3月18日
製造所 川崎車輌
1944年5月15日 長万部機関区
1949年4月18日 小樽築港機関区
1973年10月29日 北見機関区
1976年3月1日 滝川機関区にて廃車

このD51形蒸気機関車(SL)は、昭和11年〜20年に1115両造られ、国鉄の蒸気機関車を代表する名機で、大型貨物列車、勾配線用として全国の幹線で大活躍し、姿も日本的感覚を実によく表した機関車です。       (案内板より)



塗装は、ちょっと厚塗りという感じ。検査表記の字体がなんだか違う気が。



キャブ内は機器まで真っ黒でした。計器類は残っていました。



刻印も確認できました。



後ろから。後部ライトがカバーごと紛失。



続いて、オハ35 441。

・車歴
製造年 1941年
製造所 日本車輌

文庫として使用されているのはこちらの車両。



訪問した際は開館時間外だったので車内は見学できませんでした。



この後は、保存車両巡りを一旦中断して、大井川鐵道の重連へ。続きます。

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