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2007年8月12日(日)開設
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名古屋市科学館の2412と市電1401
3月24日の話。前回記事の続きです。

名古屋駅で少し撮影をした後は、地下鉄に乗って、名古屋市科学館の2412号機と名古屋市電1401号車を訪問。



2412号機。

・車歴
製造年 1904年
製造所 ハノーファー社
1948年1月29日 高山機関区にて廃車
1968年7月31日 四日市工場で使用停止

機関車の称号であるB6の基本設計はイギリスで行われ、製造年、製造所によって4つの形式に分類されています。
この車両は1904(明治37)年にドイツのハノーファー社で製造され、日露戦争の軍事物資を輸送するために輸入されました。
大正時代は中央線、昭和になってからは武豊線、高山線を走っていました。1948(昭和23)年1月に高山機関区で廃車となり、石原産業株式会社四日市工場に払い下げられました。1968(昭和43)年7月まで、工場内の専用線で貨物、社員の輸送のために使われていました。
中部地域にはゆかりの深い蒸気機関車のひとつです。(案内板より)

明治に製造されたB6の1両。



屋外で、こういった小型SLが保存されているのは珍しいですね。科学館のリニューアルに合わせて整備されたようで、状態は良好です。



側面プレート。



薄暗い時間に訪問したのですが、なんとか刻印も確認できました。



後ろから。



続いて、市電1401号車。

・車歴
製造年月 1936年12月
製造所 日本車輌製造・住友金属工業・日立製作所

1400型車両は、1937(昭和12)年に開催された凡太平洋平和博覧会に合わせて「博覧会にふさわしい世界一の電車」「将来の名古屋市電のスタンダードモデル」を合言葉に、名古屋市電気局や日本車輌製造(株)の技師が設計し、1936(昭和11)年に製造されました。軽量化を目指すとともに、流線型のデザインを取り入れた画期的な車両でした。
ボギー車とは、ある程度自由に回転する台車に車軸を固定した車両のことです。(案内板より)

名古屋市電の車両は初訪問。結構残っているようなのですが。



こちらも良い状態を保っていました。



反対側も、方向幕は「今池」を表示。



この後は、東海道本線をひたすら上る・・・予定だったのですが、気がつくと自由席券を握りしめて新横浜に着いてました・・・。

新幹線って速いんですね。本当に。

これにて名古屋遠征の記事は終了となります。長々とお付き合いありがとうございました。

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リニア・鉄道館の保存車(9)
3月24日の話。前回記事の続きです。

引き続き、リニア・鉄道館の保存車。最後は、屋外展示の保存車です。

ケ90号機。

・車歴
製造年月 1918年12月
製造所 大日本軌道
1918年 東濃鉄道
1926年 ケ90に改番
1930年 廃車

1918(大正7)年に新多治見〜広見間で営業を開始した東濃鉄道で使用された蒸気機関車。線路幅は通常よりも狭い762mmの軽便鉄道と呼ばれていた路線で使用された。
 新多治見〜広見間は1926(大正15)年に鉄道省に買収されて、ケ90形式も鉄道省所属の機関車として、1928(昭和3)年に太多線が1067mmに改軌されるまで使用された。 (案内板より)

廃車後は研修用として残され、ボイラーの切開が行われました。JR東海研修センターで保存されてきました。



キャブ内。当時の面影はありませんね。残念。



小さな機体。



続いて、117系3両。

117系は1980(昭和55)年1月に、関西圏の新快速電車として運転を開始。従来の近郊形電車とは別格の居住性を提供し、「シティライナー」の愛称で親しまれた。1982(昭和57)年3月には名古屋地区でも運転を開始し、「東海ライナー」の愛称がつけられた。(案内板より)

クハ117−30。

・車歴
製造年 1982年
製造所 近畿車両

HMは「新快速」。現在も東海・関西地区で快速以下の列車を中心に運用されています。



車内。



運転台。



後ろから。



続いて、モハ117−59。

・車歴
不明。



車内。



ホーム側から。



クハ116−209。

・車歴
不明。



正面から。



車内。



運転台。



車両後部から。



ホーム側から。



これにて、リニア・鉄道館の保存車は終了!大変長くなってしまいました。

この後は、名古屋駅へ。ほんの少しだけ、撮り鉄します。続く。

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リニア・鉄道館の保存車(8)
3月24日の話。前回記事の続きです。

引き続き、リニア・鉄道館の保存車。今回は収蔵車両コーナーの右半分です。

キハ82 73。

・車歴
製造年 1965年
製造所 日本車輌製造

1961(昭和36)年から運転を開始した特急形気動車キハ82系の先頭車。特急車両にふさわしい高い信頼性と優れた居住性を備え、またたく間に全国に非電化幹線に進出し、特急網を構築した。洗練された先頭部のデザインは、その後に登場するさまざまな車両にも大きな影響を与えた。(案内板より)

東海地区では「ひだ」「南紀」で運用されました。廃車後は美濃太田車両区で留置されてきました。



HMは「ひだ」。





キハ48036。

・車歴
製造年 1956年
製造所 東急車輌製造

複数の車両を1つの運転台で総括制御を可能にしたキハ45000形式(後のキハ17形式)のグループの一つで、両運転台・トイレ付きのタイプ。1953(昭和28)年から製作されたこのグループは、単車運転が常識であった気動車の複数車両による運転を可能にして地方線区の輸送力を著しく向上させた。(案内板より)

キハ10系統に分類される車両。晩年は茨城交通キハ113として活躍。廃車後は
佐久間レールパークで展示されていました。







オロネ10 27。

・車歴
製造年 1960年
製造所 日立製作所

1955(昭和30)年から製作された10系客車グループの1等寝台車(現在のA寝台車)。この客車はヨーロッパの客車を参考にした設計により徹底した軽量化を達成。機関車などへの負担軽減、輸送力増強が実現した。ヨーロッパ調の車体デザインや客車で初めて採用した空気バネ付き台車の快適な乗り心地も好評だった。(案内板より)







マイネ40 7。

・車歴
製造年 1948年
製造所 日本車輌製造

戦後に初めて製造された1等寝台車。寝台をレールと平行に配置した「プルマン式」と呼ばれるものと、2人用個室4室を備えた豪華な設備。1948(昭和23)年に21両が製造され、東京〜九州間に運転された急行などに使用した。1955(昭和30)年に1等寝台が廃止されてからは、マロネ40形式2等寝台車となった。(案内板より)







オハ35 206。

・車歴
製造年 1941年
製造所 日本車輌製造

戦前・戦後に製作された3等客車で、国鉄鋼製客車の標準スタイルを確立した車両。1939(昭和14)年から1949(昭和24)年までの間に1308両が製作された。ガラスの製造技術の進歩によって1000mm幅の大窓を安価に3等客車で使用可能となった。明るい室内は評判となった。(案内板より)





オヤ31 12。

・車歴
製造年 1937年
製造所 田中車輛工場

「建築限界測定車」は、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認ができる構造となっている。新たに線路を敷設したとき等に使用した。この車両は、1959(昭和34)年にスハ32形式客車からの改造によって誕生した。(案内板より)





スニ30 95。

・車歴
製造年 1929年
製造所 大阪鉄工

鉄道省が初の鋼製客車として1927(昭和2)年から製作したオハ31系客車グループに属する荷物車。荷物車とは旅客の手荷物等を専門に運搬する車両で、貨車ではなく客車の一種とされている。鋼製になったことで車体強度が増した。(案内板より)





次回は最後!屋外展示の車両をご紹介します。続く。

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リニア・鉄道館の保存車(7)
3月24日の話。前回記事の続きです。

引き続き、リニア・鉄道館の保存車。今回から、建物奥の収蔵車両コーナーの車両をご紹介していきます。

0系のグリーン車、16−2034号車。
・車歴
製造年月日 1986年3月10日
製造所 日本車輌

0系新幹線電車のグリーン車。0系新幹線では、普通車は1列に5人分のシートが並んでいたが、グリーン車はフットレスト付きの大型リクライニングシートを1列に4人分配置し、普通車とは別格の乗り心地を提供した。インテリアは落ち着いた配色でまとめられ、絨毯が敷かれた床も、普通車にはない豪華な設備として乗客の憧れの的となった。(案内板より)

・・・これしか見れません。浜松工場で保管されてきました。



0系のビュフェ車、37−2523号車。
・車歴
製造年月日 1983年7月13日
製造所 日立製作所

0系新幹線の2代目ビュフェ車。当初、新幹線は東京〜新大阪間を3〜4時間の乗車時館で運行していたため、ビュフェ車による供食サービスを行っていたが、1975(昭和50)年の博多延伸で7時間となるのに伴い食堂車(36形式)を導入した。そこで1976(昭和51)年製以降の本形式では、従来のビュフェ車の椅子を廃止し立食方式とし、あわせて多目的室や車椅子対応トイレを設置しサービス向上を行った。(案内板より)

こちらもこれしか見れませんので、詳細は省略。浜松工場で保管されていました。





クロ381−11。

・車歴
製造年 1974年
製造所 川崎重工

中央本線の特急「しなの」の魅力をアップさせるために1988(昭和63)年にサロ381形式電車を改造して生まれたパノラマ車。車両の先端寄り3分の1を展望室風のグリーン車として、大型リクライニングシートを設置。前面窓、側面窓とも大型化されて、よりワイドな展望を楽しめるようになった。特急「しなの」の長野寄り先頭に連結されて使用された。(案内板より)

「しなの」のパノラマ車。同形式が現在もJR西で「くろしお」「スーパーやくも」で活躍しています。美濃太田車両区で留置されていました。





この車両に限らず、定期的に車内を公開してもらいたいものですが・・・。



クモハ165−108。

・車歴
製造年 1966年
製造所 東急車輛製造

1963(昭和38)年から営業運転を開始した165系急行形電車の先頭車。東海道本線等の平坦な区間で活躍していた153系電車をベースに勾配線区・寒冷地向けに開発され、信越本線、上越線、中央本線などで使用された。急行「アルプス」などの山岳夜行列車としても活躍し、当時のブームを背景に、多くの登山者を運んだ。(案内板より)

165系のデカ目はこちらの車両が唯一残りました。165系は最近まで残っていた割に、ほとんど残っていません。保存された車両も数両ありましたが、どれも現存しません。大変残念です。こちらも美濃太田車両区で留置されていました。







サロ165−106。

・車歴
製造年 1967年
製造所 帝国車両

1963(昭和38)年から運転が開始された165系電車の1等車(現在のグリーン車)。室内にはリクライニングシートを配置して、優れた乗り心地を提供。大きな側窓も特徴となった。片側の車端部には構内入換用の運転台が設けられ、屋根上にはヘッドライトが取り付けられている。(案内板より)

165系のサロ。廃車後は美濃太田車両区で留置されていました。





モハ63 638。

・車歴
製造年 1947年
製造所 川崎車両

戦時下における旅客輸送を目的に1944(昭和19)年から製作された通勤形電車で、戦時中・戦後の輸送に大きく貢献した。戦争による資材と熟練工の不足を補うために、車体は徹底的に簡素化された構造に設計されていた。1951(昭和26)年に桜木町駅構内で発生した同形式の列車火災事故では106名の尊い命が失われた。これ以降、列車の火災対策が本格的に進められた。(案内板より)

こちらの車両は、今回の収蔵にあたってクモヤ90005から復元されました。63系は全く残っていませんでしたが、ここにきてやっと保存車が生まれました。



63系は戦中〜戦後の金属不足の中で製造され、使用されていた金属が可燃性の高い粗悪品だったことから、漏電による火災が多数発生しました。特筆できるのが「桜木町事故」で、切断された架線に接触して火災を起こし、車両からの脱出も難しい構造だったため、多数の死傷者を出しました。この事故以降、安全面に対する更新が行われ、72系に改造されました。関東地方で活躍し、横浜線でも運用されていた形式です。





今回はここまで。続きます。

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リニア・鉄道館の保存車(6)
3月24日の話。前回記事の続きです。

引き続き、リニア・鉄道館の保存車。新幹線車両コーナーは最後となりました。まずは、300系の量産先行車の先頭車、322−9001号車。

・車歴
製造年月日 1990年3月8日
製造所 日立製作所
2007年 廃車

1964(昭和39)年の開業時した使用した0系、その後継車100系に続く3代目となる東海道新幹線電車として1990(平成2)年に誕生した300系量産先行試作車。
 270Km/h運転を実現するために開発し、アルミ合金製車体やコンパクトな交流モーターの採用などによって徹底した軽量化を追求、高速走行、省エネルギーなどの性能が、それまでの新幹線電車に比べて大きく向上した。(案内板より)

量産車と比べて、車体裾が若干出っ張っているのが分かります。廃車後は浜松工場で保管?



車内。



後ろから。



続いて、初代ドクターイエロー922−26号車。

・車歴
製造年月日 1979年11月13日
製造所 日立製作所
〜2005年9月30日 T3編成として検測を行う

新幹線の安全運行を保つために、走行しながら架線、信号、軌道の検査・測定を行う事業用の新幹線電車。
 通常の営業列車と同じ速度での走行が可能なように0系新幹線をベースに製作され、車内には各種の測定機器が搭載されている。車体の色から「ドクターイエロー」の愛称がつけられた。展示の車両は7両編成中の7号車として運転された。(案内板より)

初代ドクターイエロー。700系モデルのT5編成が導入されるまで使用されていました。



車内。座席のあるスペースは、VTR上映コーナーになっています。



検測車スペースは公開されていませんが、窓から覗き込んでみました。



後ろから。





ホーム側から。



最後、一番左側の列。300系量産車の先頭車、323−20号車。

・車歴
製造年月日 1993年9月4日
製造所 日本車輌製造

1992(平成4)年から運転を開始した東海道新幹線「のぞみ」用として製作された300系新幹線電車の量産車。
 1990(平成2)年に誕生した300系量産先行試作車による走行試験結果をふまえ、細部の車体デザインや、車内設備を変更。JR東海所属の300系量産車は960両が製作された。(案内板より)

この編成が選ばれた理由はちょっと分かりませんが、300系の量産車。



たぶん廃車の時期などの関係からこの車が選ばれたんでしょう。





車内。



後ろから。



2階から。



というわけで、駆け足でしたが展示車両コーナーは以上となります。次回からは、建物の奥に横並びに配置されている、収蔵車両コーナーの車両をご紹介します。続く。

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