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2007年8月12日(日)開設
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リニア・鉄道館の保存車(5)
3月24日の話。前回記事の続きです。
前回に引き続き、リニア・鉄道館の保存車。今回から新幹線車両コーナーに入ります。 まずは、0系の先頭車、21−86号車。 ・車歴 製造年月日 1971年12月9日 製造所 汽車製造 〜1991年 S88編成の先頭車として活躍 1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線で、開業時から使用した0系新幹線電車と同型の先頭車(1号車)。 東海道新幹線は世界で初めて最高速度210Km/hでの営業運転を行い(その後220Km/hで運転)、東京と新大阪の間を3時間10分で結んだ。0系新幹線電車はその後20年以上の間に3216両が製作され、2008(平成20)年まで活躍を続けた。東海道新幹線では1999(平成11)年まで使用した。(案内板より) 0系の初期形先頭車。21−86号車は12次車といわれるグループです。廃車後は浜松工場で保管されてきました。 搬入の際には、出来る限り落成当時の状態に復元されたそうです。 冷水機と紙コップもおなじみ。 車内。 側面方向幕は「ひかり 新大阪」。 2階から。 続いて、食堂車の36−84号車。 ・車歴 製造年月日 1975年3月18日 製造所 日立製作所 〜1999年まで活躍 最終編成・NH32編成 1975(昭和50)年の新幹線博多開業に合わせて制作された食堂車。 それまで、新幹線にはビュッフェ(簡易食堂)しかなかったが、路線が博多まで延伸し、乗客が車内で過ごす時間が長くなったことから、初めて本格的な食堂車が制作された。36形式は99両が制作され、編成に組み込まれて1999(平成11)年まで使用したあと、2000(平成12)年に廃車となった。(案内板より) こちらも浜松工場で保管されていた食堂車。 食堂車内。入れるのは入り口までで、座席に触れたり、座ったりすることはできません。 厨房スペース。この狭いスペースの中で調理をするのはさぞ大変なことだったでしょう。100系の食堂車では2階建て構造ということもあり、改善され広くなりました。 反対側。中間車なのでゴツゴツ。 続いて、100系先頭車123−1号車。 ・車歴 製造年月日 1986年7月16日 製造所 日立製作所 〜2000年 G1編成→X2編成として活躍 0系新幹線の後継車として、東海道新幹線の開業から21年後の1985(昭和60)年から営業運転を開始した100系新幹線電車の先頭車。 100系は0系をベースとしながらも、居住性の大幅な改善が図られた車両で、1992(平成4)年までに1056両が誕生。優れた居住性は世界でもトップクラスのものとなり、編成には2階建て車両が2両組み込まれていた。(案内板より) こちらも浜松工場で保管されてきた車両。123−1号車は、量産車の第一陣、123形式のトップナンバー。 JR西日本に残っていたK編成も今年の3月で引退となりました。このとんがり鼻の表情は、200系にも存在したものの意外と保存はされず、先頭車が保存されたのは今のところこの号車のみとなってしまいました(現在でも博多総合車両所に2編成が残されているようで、こちらが保存される可能性もありますが)。 車内。 スラッとした車体も悪くなかったと思いますがねぇ。 2階から。 続いて、100系の2階建て食堂車168−9001号車。 ・車歴 製造年月日 1985年3月27日 製造所 日立製作所 100系新幹線の編成中央部、8号車に連結した2階建て食堂車。 2階が客席、1階がキッチンという構成で、大きな窓からの見晴らしを楽しみながらの食事は、メニューがグレードアップされたこともあって、順番待ちができるほど好評であった。食事を楽しむためにこの車両が連結された列車に乗車する人も多かった。(案内板より) 当時としては画期的だった2階建て車両。「ひかり」に使用されたX1編成で使われていました。廃車後は、こちらも浜松工場で保管されてきました。 車内の表示。食堂車のマークと「ただいま満席です」。 こちらが食堂車内。 食堂車の通路は、1人だけ通れる位の狭いもの。 井村屋の水ようかん。 1階は、厨房が設置されていました。 後ろから。 こうして見ると、やはり他の車両よりも車高が高いことがよく分かります。 今回はここまで。次回は、残った300系とドクターイエローをご紹介します。続く。 PR
リニア・鉄道館の保存車(4)
3月24日の話。前回記事の続きです。
引き続き、リニア・鉄道館の保存車です。 まずは右から3列目。モハ52004号車。 ・車歴 製造年 1937年 製造所 川崎車両 京阪神間の急行用として、1936(昭和11)年から1937(昭和12)年にかけて12両製造された電車の先頭車。 車体は当時の世界的な流行となっていた流線形デザインを採用し「流電」の愛称でも親しまれた。明るいツートンカラー、固定編成での運転も、それまでの国鉄(当時鉄道省)電車の常識を覆すものとして大きな話題となった。晩年は、飯田線で使用していた。(案内板より) 流線形、現代に通用するデザインですね。これが昭和初期に走っていたとは驚きです。以前は佐久間レールパークで展示されていました。クモハ52形はもう一両、モハ52001がJR西日本吹田工場に保存されており、イベント等で公開されています。 収蔵にあたり、佐久間レールパーク時代よりも、出来るだけ原形に復元したそうです。 車内。 2階から。 続いて、クモハ12041号車。 ・車歴 製造年 1927年 製造所 汽車製造 2002年2月28日 伊那松島運輸区にて廃車 鉄道省が製造した最初の鋼製電車モハ30形式を改造し、1両でも運転が可能なように車体の両端に運転台を取り付けた形式。 クモハ12041は幾度かの改造を経た車両で、主に京浜線で使用された後、国鉄浜松工場で入換牽引に使用されていたクモヤ22112を1987(昭和62)年に旅客用に再改造、2002(平成14)年にまで使用した。(案内板より) クモハ12形にはいろいろと形態がありますが、こちらは最後まで残った車両。飯田線でイベント用に使われました。廃車後は、佐久間レールパークで展示されていました。 リベット打ちの車体。 反対側はモハ52004と連結。 車内。 運転台。 ホーム側から。 続いて、 クハ111−1。 ・車歴 製造年月日 1962年5月28日 製造所 日本車輌製造 走行音が静かなカルダン駆動など、斬新なシステムをいくつも採用した「新性能電車」と総称された電車群の中で、国鉄が東海道本線などの中距離輸送用として開発した111系電車の先頭車。 1962(昭和37)年に運転を開始し、電動車は後に出力が増強されて113系へ発展、近年まで輸送の一線で活躍した。 (案内板より) デカ目の111系トップナンバー。現在営業線上には、113系に改造された車両しか残っていません。以前は佐久間レールパークで展示されていました。 車内。 運転台。 車番。1が4つ並んでいます。 後ろから。 ホーム側から。 続いて、右から4列目。 クハ381−1。 ・車歴 製造年 1973年 製造所 川崎重工業 曲線区間を通過する際に車体を内側に傾けることで、より高速の運転を可能にした「振子式」システムを採用した特急形電車。 381系は1973(昭和48)年の中央本線・篠ノ井線電化時に名古屋〜長野間の特急「しなの」としてデビュー。曲線通過速度を25km/h向上させる優れた性能を発揮、「振子式車両」の実力を示した。(案内板より) 先日再び国鉄色が復活、こうのとりの183系を置き換えつつある381系のトップナンバー。廃車後は、美濃太田車両区で長らく留置されていた車両。 正面から。 車内。 こうして見ると、車体幅を絞っているのがよく分かりますね。 側面幕は「特急しなの 名古屋」を表示。 後ろから。 2階から。 続いて、在来線車両コーナーは最後!キハ181−1。 ・車歴 製造年 1968年 製造所 富士重工業 1968(昭和43)年から158両が制作されたキハ181系特急形気動車の先頭車。 従来型車両から大幅にパワーアップした500馬力のエンジンを搭載し、勾配区間の高速運転を実現。山岳路線を走る気動車特急のイメージを一新した。名古屋~長野間運転の特急「しなの」でデビュー。北海道を除く全国で活躍し、特急のスピードアップに貢献した。(案内板より) 381系の一世代前に「しなの」に使用されていた車両。先日までJR西日本所属の車両が「はまかぜ」等で最後の活躍をしていましたが、キハ189系に置き換えられました。一部の車両はミャンマーに譲渡されました。こちらも、廃車後は美濃太田車両区で留置されていました。 保存された車両は、こちらのキハ181−1と、最後まで「はまかぜ」用に残っていたキハ181−12(津山で保存)のみ。100両以上が製造された割には、呆気ない・・・。 車内。 運転台。 後ろから。 今回で在来線車両コーナーは終了。次回からは新幹線車両コーナーをご紹介します。続く。
リニア・鉄道館の保存車(3)
3月24日の話。前回記事の続きです。
前回に引き続き、リニア・鉄道館の保存車をご紹介します。今回は右から2列目の保存車。 モハ1035号車。 ・車歴 製造年 1922年 製造所 汽車製造 1953年 大井川鐵道に払下げ 1970年 廃車 鉄道省が1921(大正10)年から製作した木製車体の電車。 それまでの木製電車と違い運転室が仕切り板にて独立。京浜線、中央線などで運転され、通勤電車の標準となった。1938(昭和13)年に三信鉄道(現飯田線)、1953(昭和28)年には大井川鉄道へ払い下げられ、その後1994(平成6)年にJR東海が譲り受け、鉄道省時代の姿に復元した。(案内板より) 以前は千頭駅に保存されていましたが、1995年にモハ1035に復元のうえ伊那松島で保管されてきました。木造車体は痛みやすかったのか、今回の収蔵でもかなり修復が行われたようです。 車内。綺麗な状態です。 反対側から。 続いて、EF58 157号機。 ・車歴 製造年月日 1958年2月25日 製造所 三菱重工 1958年2月25日 浜松機関区 1984年2月1日 下関機関区 1985年9月30日 下関機関区にて廃車 1988年 車籍復活のうえイベント列車に使用 2008年3月31日 廃車 1946(昭和21)年から172両が製作された旅客用電気機関車。 1952(昭和27)年生増の後期形から流線形車体を採用。のちに初期形も流線形車体に改良された。特急列車の牽引にも使用され、戦後の花形として活躍。東海道本線の全線電化完成時には特急「つばめ」「はと」を牽引し、その後はブルートレインから貨物列車まで幅広く活躍した。(案内板より) ぶどう色のゴハチ、61号機は基本公開されないので、いつでも見られるのはここだけですね。 側面プレート。 キャブ内。 2エンド側はスハ43と連結された状態です。 ホーム側から1エンド側。 続いて、スハ43 321。 ・車歴 製造年 1954年 製造所 新潟鐵工 戦後に新設計され、従来車両に比べ著しく居住性が改善された3等客車。従来客車よりもシート間隔を15mm拡大。天井灯は従来方式の1列から2列として車内が明るくなった。この他窓側座席への肘掛けの新設や通路側座席への頭もたれの新設など居住性を重視した。新製直後は特急「つばめ」にも使用された。(案内板より) EF58 157と連結した状態で展示されています。 サボは「名古屋行」が入っています。 車内も、座席に座ることができないこともあって良い状態です。 次回は、右から3列目・4列目の保存車をご紹介します。続く。
リニア・鉄道館の保存車(2)
3月24日の話。前回記事の続きです。
前回に引き続き、リニア鉄道館の保存車をご紹介します。今回は在来線コーナーの右端の列の保存車。 ED11 2号機。 ・車歴 製造年月 1923年8月 製造所 ゼネラル・エレクトリック 1960年〜 浜松工場入換機として使用 1979年 浜松工場にて廃車 東海道本線の東京〜国府津間電化と、横須賀線の電化に備えて、1923(大正12)年にアメリカのゼネラル・エレクトリック社から輸入した小型電気機関車のうちの1両。 まだ電気機関車を国産することができなかった鉄道省が、さまざまな形式を試験的に輸入したうちの1形式で、晩年は横浜工場で構内入換用として使用した。(案内板より) 佐久間レールパークで展示されていた車両、屋外保存でしたが良好な状態を保っていました。 側面プレート。 キャブ内を覗いてみます。状態は良さそうです。 2エンド側。 上から。 続いて、ED18 2号機。 ・車歴 製造年月日 1924年2月20日(1055号機として) 製造所 イングリッシュ・エレクトリック 1924年2月20日 1055号機として使用開始 1931年 ED17 16号機に改番 1955年2月5日 豊橋機関区 1959年1月16日 西国立機関区 1960年1月14日 中部天竜機関区 1979年 浜松工場にて廃車 1992年〜 動態復元の上、イベント列車で活躍 2005年8月 浜松工場に休車の上保管 東海道本線電化に備えて、1923(大正12)年にイギリスから輸入された1040形を、飯田線で使用するために改造して誕生した2両のうちの1両。 台車の中央に遊輪を1軸追加し、それぞれの車軸にかかる重量を軽減。飯田線などの支線での使用を可能にした。1970年代に廃車となった後、1992(平成4)年にJR東海が2号機を整備して復活。2005(平成17)年までイベント列車などで使用した。(案内板より) 飯田線のトロッコファミリー号で、比較的最近まで活躍してきたED18 2号機。廃車後は、浜松工場で保管されてきました。こちらも状態は良好です。 側面プレート。 キャブ内、こちらの車両は見やすいですね。 ホーム側から前面。 2エンド側。 続いて、C57 139号機。 ・車歴 製造年月日 1940年9月4日 製造所 三菱重工業 1940年9月4日 使用開始 1945年4月 糸崎機関区 1947年10月 名古屋機関区 1969年9月30日 関西本線名古屋口 蒸気機関車さよなら列車牽引 1971年4月17日 名古屋機関区にて廃車 主要路線で運転される旅客列車を牽引することを目的に、1937(昭和12)年から総計201両が製作された蒸気機関車。 ボイラー、動輪などの改良によって、中型の機関車でありながら高い性能を誇る。扱いやすい機関車としてその足跡は全国に及んだ。直径1750mmという大きな動輪と細身のボイラーは、バランスのとれた美しさでも評価が高い。(案内板より) 現役時代はお召し列車も牽引したカマ、お召し装備で展示されています。以前はJR東海研修センターで保存されていました。準鉄道記念物に指定されています。 ホーム側から。 動輪は磨き上げられており、刻印も確認できました。ライトアップされており観察しやすいです。 プレート周り。 キャブ内の状態も良好そうです。 後ろから。 上から。 続いて、ホジ6005。 ・車歴 製造年月日 1913年5月13日 製造所 汽車製造 1918年3月9日 直方機関区 1944年1月12日 直方機関区にて廃車 名古屋鉄道蒲郡線に譲渡される 博物館明治村に展示・保存される 蒸気動車とは、車体の片隅に蒸気機関車と同様の走行装置を備え、蒸気機関車と客車の機能を1両に集約して1両運転を可能にした車両。明治末期からローカル線で使用され、当時は「自働車」と呼ばれていたが、のちに「汽動車」と名称が改められた。 ホジ6014は1913(大正2)年製。「工藤式」と呼ばれる機関走行部の脱着機構を備えた車両で、1943(昭和18)年まで関西本線などで運転された。(案内板より) 当時は画期的だったであろう、蒸気機関を持つ客車という、不思議な車両です。国鉄での運用終了後名鉄で活躍、その後博物館明治村で保存されていました。鉄道記念物に指定されています。 車内は、一見ごく普通な普通車のような印象。 しかし、両端にはキャブを備えます。 博物館明治村での保存時代は「キハ6401」を名乗っていましたが、リニア鉄道館に移転に伴いホジ6005に復元されました。 反対側。 今回はここまで。次回は、右から2列目の保存車をご紹介。続きます。
リニア・鉄道館の保存車(1)
3月24日の話。前回記事の続きです。
あおなみ線に乗って、リニア・鉄道館を訪問。まずはエントランスホールを抜けてすぐの、高速記録保持車3両をご紹介します。 C62 17号機。 ・車歴 製造年月日 1948年12月30日 製造所 日立製作所 1949年1月21日 岡山機関区 1950年8月10日 名古屋機関区 1955年7月17日 梅小路機関区 1958年4月12日 下関機関区 1964年10月1日 広島機関区 1965年2月28日 糸崎機関区 1971年3月8日 稲沢第一機関区にて廃車 〜2010年2月 東山動植物園にて展示 2011年3月〜 リニア鉄道館にて展示 急行・特急用として製作された日本で最大・最速の旅客用大型蒸気機関車。 既存のD52形式蒸気機関車のボイラーを流用して1948(昭和23)年から総計49両が誕生。東海道本線の特急「つばめ」「はと」などの牽引に使用した。この展示車両(17号機)は1954(昭和29)年の木曽川橋梁の強度試験にて129km/hを記録。これは狭軌における蒸気機関車の世界記録となっている。(案内板より) 当たり前ですが綺麗に整備されており、状態は良好です。東山動植物公園で長らく保存されてきました。 大変暗い空間で、後ろに流れている映像によって照明が変わったりするので、撮影は難儀でした。 動輪は磨かれており、刻印も確認できました。それにしてもピッカピカ・・・ プレート周り。区札は名古屋機関区の「名」が入っています。こちらも、素晴らしし状態。 キャブ内は立ち入りこそ出来ませんが、覗くことは可能。機器類も完璧に復元されています。 後ろから。こちら側は照明が無く真っ暗。 続いて、955−6号車。 ・車歴 製造年 1994年 製造所 日立製作所 新幹線電車のあるべき姿を追求するために、1994(平成6)年にJR東海が製作した6両編成の6号車。 7年間にわたり、約600回の試験運転を実施し、高速化のための様々な課題を克服するためのデータが収集された。この展示車両は1996(平成8)年には電車方式では当時の世界最速となる443.0km/hを記録した。(案内板より) こちらも状態は良好。以前は浜松工場で保管されていました。反対側の955−1号車は米原風洞技術センターに保存。 後ろから。こちらの車両は車内に立ち入りできませんが、2011年6月15日から1ヶ月限定で公開されていたことがあるので、今後も期間限定で公開されることがありそうです。 続いて、MLX01−1号車。 ・車歴 製造年 1995年 製造所 三菱重工業 車両に搭載した超伝導磁石と地上に設置したコイルとの間に生じる磁力で車体を浮上させて走る超伝導リニア。 車輪とレールとの摩擦力(粘着力)に頼らないため、従来の鉄道よりも高速運転が可能である。この展示車両は、2003(平成15)年には581km/hという鉄道による世界最高速度を記録した。(案内板より) 山梨リニア実験線で試験走行をしていた車両。愛・地球博で展示された後、市内で腐食試験に使われていました。 車内は、片側だけシートが設置されています。自分は以前山梨の実験線で試乗したことがあるのですが、全く静かに振動もなく、窓の景色が見えない速度で流れて行くという不思議な感覚でした。詳しくは覚えていませんが、もしかしてこの車両だったかもしれませんね。 後ろ。不思議な形をしています。 次回は、展示車両の在来線コーナーをご紹介。続きます。 | カレンダー
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