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2007年8月12日(日)開設
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青梅鉄道公園の保存車(1)
7月28日の話。前々回記事の続きです。
むさしの奥多摩号の回送はしばらく来ないようなので、青梅鉄道公園の保存車を訪問。 クモハ40054号車。 ・車歴 製造年 1935年 製造所 田中車輛工場 2006年 廃車 国鉄が東京・大阪地区の通勤輸送用として、1932年(昭和7)から製造をはじめた電車です。1両あたりの定員を増やすため、車両の長さを従来の通勤電車より約3m延ばして20メートルにしています。また、運転席が車両の前と後ろに1つずつあるのが特徴です。 クモハ40054号は1935年(昭和10)に田中車輛工場(今の近畿車輛)で「モハ40134号」として新製され、当初は総武線で使われました。山手線を経て戦後は中央線を中止に走り、1962年(昭和37)に日光線へ転じました。昭和20年代半ばに青梅線へ配属されたこともあり、青梅〜氷川(現・奥多摩)間を1両編成で往復しました。なお、青梅線ではその後もクモハ40形電車が活躍をしていましたが、1978年(昭和53)3月を最後に全車引退しています。(案内板より) クモハ40054号車は同形式が各線から運用離脱後もイベント列車用として残され、2006年まで車籍を有していました。鉄道博物館に行くことになったC51 5号機と入れ替わりでこの青梅鉄道公園に保存されました。 最終所属は横コツ(国府津)でした。 車体もかなり良い状態で保存されています。 車内。”整備中のため公開していません”との張り紙が貼ってありましたが、今後公開されることがあるんでしょうか。 園外側の表示は青梅行き。 隣にはC11 1号機。 ・車歴 製造年月 1932年8月 製造所 汽車製造 1933年7月31日 奈良機関区 1936年3月31日 山田機関区 1942年3月31日 鳥取機関区 1946年12月31日 福知山機関区 1962年7月5日 大宮機関区(保存のため) 1962年10月26日 大宮機関区にて廃車 この形式は都市近郊で近距離旅客列車用として製作された、昭和初期の代表的タンク機関車です。 この機関車はその第1号機として昭和7年6月(1932年)汽車会社で製作され昭和37年まで関西方面で活躍していました。(案内板より) 関東地区に縁はありませんが、トップナンバーということで保存されたのでしょう。 動輪は塗装されていますが、薄く刻印も確認できました。 キャブ内。 後ろから。 C11 1号機の後ろにはE10 2号機。 ・車歴 製造年月日 1948年3月11日 製造所 汽車製造 1949年5月12日 人吉機関区 1950年2月1日 金沢機関区 1957年6月20日 米原機関区 1962年7月6日 大宮機関区(保存のため) 1962年10月26日 大宮機関区にて廃車 急勾配線用として製作されたもので、わが国最大のタンク機関車です。当初はトンネル区間を運転するため煙突を後にして後ろむきに運転する構造となっていました。双曲線通過に無理のないよう第3・4動輪タイヤにはフランジがありません。 この機関車は昭和22年(1947年)汽車会社において製作されたもので、最初奥羽線庭坂ー米沢間に、その後に肥薩線人吉ー吉松間や北陸線金沢ー石動間の勾配線に使われ、昭和32年から北陸線米原ー田村間を運転していたものです。(案内板より) 製造から14年目には保存されたという珍しいカマ。保存された後のほうが現役時代よりも3倍以上長いんですねぇ。 動輪は塗装されています。 キャブ内。 後ろから。 建物に近い場所にはD51 452号機。入口からそのまま保存車両スペースに来ると、最初に見ることになるカマです。 ・車歴 製造年月日 1940年2月28日 製造所 汽車製造 1940年3月6日 原ノ町機関区 1950年1月16日 長町機関区 1966年10月6日 青森機関区 1967年7月26日 竜華機関区 1972年5月11日 竜華機関区にて廃車 この形式は、D50形式(大正12年から製作)に代わる主要幹線貨物列車用として、昭和11年から製作されました。終戦までに、同一形式としては最多数の1100両以上が製作されて全国に配置され、デゴイチ(D51)の愛称で親しまれています。とくに戦後の貨物輸送を通じて日本の経済復興に大きな役割を果たしました。 この機関車は昭和15年汽車会社で製作され、昭和40年まで東北本線 郡山ー盛岡間で、その後昭和47年まで関西本線 亀山ー天王寺間で活躍し、32年間に213万km(地球を60周)を走破して、この地に引退したものです。(案内板より) 集煙装置が取り付けられた状態で保存されています。 側面。 動輪は塗装されていますが、刻印も確認できました。 プレート周り。 キャブ内の状態も良好ですが、計器類の文字盤が一部破損しているのが見えます。 後ろから。 少し離れたところにはED16 1号機。 ・車歴 製造年月日 1931年4月30日 製造年月日 三菱造船 1931年5月12日 甲府機関区 1953年4月16日 八王子機関区 1953年12月14日 西国立機関区 1959年4月19日 鳳電車区 1959年9月5日 八王子機関区 1959年11月30日 西国立機関区 1963年4月1日 立川機関区 1980年10月1日 立川機関区にて廃車 ED16形式は昭和6年に開発され、18両製作されました。現役の電気機関車としては国鉄最古の形式で、当初は中央線 八王子ー甲府間、上越線水上ー石打間などで、活躍しましたが、昭和40年以降全機が立川機関区に集結し、南武線・青梅線を主体に貨物輸送の主力となって、半世紀の永きにわたり活躍しました。 このED161号は昭和55年9月末まで使用されましたが、10月の時刻改正により現役を退き、昭和55年10月14日準鉄道記念物(42番目)に指定されました。(案内板より) 準鉄道記念物に指定されているカマ。1エンド側。 側面。 プレート周り。 2エンド側。 階段を下った場所の広場には0系22−75号車。 ・車歴 製造年月日 1969年8月7日 〜1985年3月 「こだま」用として活躍 1985年3月 浜松工場にて廃車 鉄道公園の新幹線は、東海道で活躍をしていましたが、長い仕事を終え昭和60年3月に浜松工場より運搬され、当公園に設置されました。 開業当初は、東海道新幹線だけでしたが、現在では山陽・東北・上越・山形・秋田・長野・九州・各新幹線が開業し、日本の主要都市を高速で、しかも正確、安全に運転され、私達の生活に欠かせない交通機関です。 公園に展示されている新幹線の車両は、東海道新幹線を走っていた22形式です。(案内板より) 1982年に、台風の影響を受けC51 5号機が転落した場所が造成されて広場になっています。 車内。 運転台も公開されています。 後ろから。 長くなりましたので、(2)に続きます。 PR コメントを投稿する
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