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2007年8月12日(日)開設
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利根川公園の江ノ電801(山梨交通モハ7)
8月4日の話。前回記事の続きです。

日本システムウェア山梨ITセンターのモハ5707・モハ5708を訪問した後は、利根川公園の江ノ電801を訪問。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

甲府盆地を県民に親しまれは知り続けた山梨交通株式会社(旧峡西電鉄)の電車は、明治から大正時代にかけて隆盛を誇った鉄道馬車にかわり、昭和5年、当時の山梨電気鉄道株式会社によって甲府〜青柳間の運行が開始された。
 この電車の開通により、峡西、南地方の人にとっては甲府を結ぶ重要な輸送機関として利用され、また、終点の甲斐青柳駅と身延線鰍沢口駅をバスで連絡し、甲府と静岡を連結される旅客輸送の一幹線となるなど、峡西、南のローカル交通として果した役割は大きいものがあった。
 甲府から甲斐青柳までの間、26の駅があり、本町には終点の甲斐青柳駅と長沢、長沢新町駅が設けられていた。甲府〜甲斐青柳間20.3キロメートルを所要時間約55分で運行し、上、下線とも30分ごとに発車されていた。
 戦後、この利用状況は、年間2〜3百万人の利用客があったが、自動車交通の著しい発展により利用客がしだいに遠のき、昭和37年6月3日の運行を最後に廃線となった。
 ここに展示する電車は、昭和23年に製造された車両で、昭和37年に甲府盆地でその勤めを終えたのち、長野県の上田丸子電鉄で走り、昭和46年から神奈川県の江の島電鉄へ移り、藤沢〜鎌倉間を観光客や通勤客を乗せて走り続け、神奈川県の人たちにも「チョコ電」の愛称で親しまれてきた。しかし老朽化が進み、昭和61年4月27日の運行を最後に廃車されたが、「思い出の電車を増穂町に」との町民の熱望により、長い旅客輸送の使命を終えた電車は、24年ぶりに増穂町に里帰りした。
 山梨交通株式会社の電車は、昭和5年から昭和37年まで、わずか32年間の運行ではあったが、太平洋戦争を挟み、幾多の変遷を経ながら山梨県民の足として地域の発展に役立ち、交通輸送歴史の1ページを刻んだ。
 数々の思い出を乗せ、愛され親しまれたこの電車を、増穂町、また、山梨県の交通輸送歴史の記念として永久に保存していくため、旧軌道沿いのここ、利根川公園に設置したものです。(案内板より)

山梨交通で廃線まで活躍後、上田丸子電鉄(現:上田電鉄)→江ノ電で活躍した車両。江ノ電で廃車時の状態ですが、山梨交通時代の塗装で保存されています。

  

前面の行先票は江ノ電仕様。



屋根は保存後数年経って設置されたようですが、車体の状態も良好。



車内は公開されていませんが、こちらもほぼ手を付けられていないようです。



後ろから。



この後は、南アルプス市若草支所のED16 15号機を訪問。続きます。

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