×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2007年8月12日(日)開設
| |
中央郵政研修センターのオユ10 2555
あけましておめでとうございます。新年一発目の更新となりますが、年内の話題がまだ1ヶ月分残っているためそちらから先に更新します。
11月24日の話。前回記事の続きです。 豊田車両センターまつりの後は、国立の中央郵政研修センターに保存されている郵便車オユ10 2555を訪問。 ・車歴 製造年 1971年 製造所 川崎重工 1973年 大宮工場にてオユ10 2058から酷寒地向け改造 ○ 車中で作業する乗務員にとって、郵便車は、まさに郵便局舎に等しく愛すべき職場でありました。 ○ 鉄道郵便輸送は、明治5年新橋・横浜間にはじめて鉄道が開業したことに伴い開始され、当時は、荷物室あるいは車掌室の一部を区切って「郵便室」とし、使用していました。 郵便専用車が最初に製造されたのは、明治22年頃といわれています。 ○ オユ10型鉄道郵便車は、一般客車の軽量製造化に伴って製造(明治32年以降)された、わが国最初の軽量郵便車で、広く幹線区に使用されてきました。 その後、国鉄の輸送近代化計画に沿って車体構造の電車化・気動車化が進み、新式性能を持った郵便車が次々に誕生して活躍しました。 ○ ここに展示・保存されている、オユ10−2555は、近年では、東京(隅田川駅)を出発し、東北本線・青函航路・函館本線を経由して根室まで行き、この往復を繰り返していました。 ごく最近では、東京(隅田川駅)から、東北本線・奥羽本線を経由して秋田までの往復をしていましたが、昭和60年3月に福島・秋田間の鉄道による輸送が廃止され、鉄道から姿を消すこととなったものです。 ○ 昭和61年10月には、鉄道郵便車が全廃となりましたが、これまで郵便輸送に果たしてきた功績は、まことに大きく、これをたたえ記念するため、ここに永久保存することとしたものであります。(案内板より) ゆかりのある場所に保存された郵便車。オユ10系列の最終製造車両でもあります。大きな屋根の下で大事に保管され状態は良好です。近づいて見学するには受付で手続きをする必要があります。 手続きをすると守衛さんが鍵を開けてくれ、車内にも立ち入ることができました。さすが完璧な状態を保っていました。どこから電源を得ているのか、車内灯も点いて見学には最適。郵便輸送が鉄道で行なわれていた当時の熱気が伝わってくるようです。 ここに座って日付印など作業を行なっていたのでしょう。簡素な椅子で動きながらの作業はやりずらかったでしょうねぇ〜。 奥のスペースでは郵便輸送の歴史や当時の写真が展示されていました。クモユニ143は現在では長野総合車セで入れ換え作業に徹していますが、過去にはこのように定期列車の前後に連結され、末期は房総各線の新聞輸送に活躍していました。 狭い車内に結構な人数がひしめき合っていたんですね〜。 鉄板にサビもなく、本当に大事にされているんだなぁと感心します。 太い柱に囲まれ、全体の撮影がしづらいのが残念ですが、郵政民営化後も解体されることなくこうして綺麗な姿を見せてくれていることは嬉しい限り。 最寄り駅:国立駅 徒歩約10分 見学には正門の受付で手続きが必要です。簡単な手続きのため5分もあれば大丈夫でしょう。無断で立ち入ることは絶対にやめてください。 この後は、ひかりプラザの試験車951−1を再訪。続きます。 −おまけ− 紅葉に囲まれていてこの時期の保存車はいっそう輝いて見えますね。 PR コメントを投稿する
<<国分寺市ひかりプラザの951−1[再訪] | ブログトップ | 2012年 ありがとうございました>> | カレンダー
このブログについて
このブログは、鉄道撮影を趣味とする「撮り鉄」の管理人が、日々撮影した写真を掲載するブログです。
現在1年以上前の記事を更新中です。ご承知おきください。 写真の無断転載・無断使用はおやめください。 昔の記事も随時更新中です。アーカイブからご覧下さい。 最新コメント
返信を送信済みのコメントにはアイコンがつきます。コメント数は増えませんので、ご注意ください。
[03/21 hosiai]
[12/10 Anemonid]
[10/29 てへ]
[09/02 ドラゴン]
[01/11 Ryo]
最新記事
(10/03)
(10/01)
(09/27)
(09/27)
(09/27) 最新トラックバック
プロフィール
HN:
シュウ
性別:
男性
趣味:
鉄道撮影
自己紹介:
鉄道趣味は続く・・・。週末はいつもどこかに出撃。
ブログ内検索
最古記事
(01/01)
(01/02)
(01/03)
(01/04)
(01/05) カウンター
アクセス解析
|