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2007年8月12日(日)開設
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船岡駅前のED71 37とオハフ61
昨年4月12日の話。前回記事の続きです。
船岡城址公園での撮影を終え、船岡駅に戻ってきました。船岡駅前緑地のED71 37とオハフ61 2527を訪問。 まずはED71 37から見て行きましょう。 ・車歴 製造年月日:1961年3月15日 製造所:日立製作所 1961年3月15日 福島第二機関区 1982年11月 福島機関区にて廃車 本機は、昭和34年から交流電気機関車として初めて本格的に量産されたED71形式の37号機であり、東北本線(黒磯以北)の50Hz交流電化用として製作された。 同形式は昭和38年までに52両製作され、いずれも福島機関区配属となって東北本線の客貨車を牽引し、幹線輸送に大きく貢献するとともに交流機の基礎として他形式の製作に著しく寄与し、昭和57年11月のダイヤ改正において約20年の歴史に終止符を打った。(案内板より) ED75の登場まで東北本線で活躍した交流電気機関車。37号機は福島〜仙台間の電化に合わせて製造されたグループです。 製造銘板は残っていました。 ED71は、ここの37号機の他に1号機が新幹線総合車両センターに保存されています。こちらはホームから。 続いてオハフ61 2527。 ・車歴 製造年月 1948年10月 製造所 国鉄長野工場 1948年10月 仙台運転区 1961年9月 会津若松運転区 1983年1月 郡山貨車区 案内板はこちらです。 1947年に184人という多くの死者を出した八高線脱線転覆事故により、木造客車の脆弱性が問題視されたことから、木造客車の足回りを再利用して車体の鋼体化改造が行われた60系客車の1両。オハフ61 527として製造され、電気暖房装置取り付け時に番号が+2000されオハフ61 2527になりました。 ガラスは割れ、屋根も一部剥がれており状態は良くありません。 こちらはホームから。屋根の補修痕が目立ちます。 保存会が存在し、数年前に整備が行われたようですが、ED71はともかく旧客はかなり車体の腐食が進み危険な状態であるように見えます。駅前の目立つ場所に保存されているので、整備されると良いのですが…。 この後は、福島駅に戻って昼食を摂ってから485系"ジパング"の臨時快速などを撮影しに向かいます。続く。 PR コメントを投稿する
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