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2007年8月12日(日)開設
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那覇市与儀公園のD51 222
昨年10月17日の話。
この日は、那覇市与儀公園のD51 222号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1938年12月18日 製造所 小倉工場 1938年12月18日 大里機関区 1941年5月4日 直方機関区 1943年11月27日 熊本機関区 1971年5月14日 南延岡機関区 1973年1月10日 南延岡機関区にて廃車 沖縄の本土復帰(昭和47年5月15日)を記念して、北九州市の日本国有鉄道門司鉄道管理局の有志の方々によって、沖縄の子供を招く運動が展開されました。そのとき那覇市内の小学校5・6年生72名が招待され、国鉄職員の里親のもとで、8日間の楽しい生活を送りました。 はじめてみる九州の自然や暖かく迎えていただいた里親の心づかいに子供たちは感激するとともに、身近に見た蒸気機関車の巨大さ、たくましさにすっかり心をうばわれ、口々に機関車がほしいと言いだしました。それを聞いた里親である国鉄職員の方々は、鉄道のない沖縄の子供たちのために、何とか九州を走っている実物の蒸気機関車を贈ろうということになりました。 ところが、鹿児島から海上600キロメートル隔てた那覇へ重さ90トンのD51を運ぶことは高度の輸送技術と莫大な費用がかかりましたが、重量運搬について経験深い業者の協力と、国鉄職員をはじめ全国の方々からの1千4百万余円の募金によって、無事その偉業が実現しました。 ここに展示されているD51 222は、このような経過のもとに贈られたものですが、関係各位の努力はもとより、沖縄を思う親愛の情の象徴としていつまでも大切に保存したいものです。(案内板より) 公道に面した公園入口付近に保存。今帰仁村のC57 87号機が2005年に解体されてからは、沖縄県内唯一の保存機となっています。 塗装に痛みが出ていた時期もあったようですが、現在は数年に一度、沖縄県自動車車体整備協同組合の方々の手によって補修作業が行われており、状態は良好です。ナンバープレートの色は銀文字ですが、見栄えは悪くありません。ガラスが割られてしまった前照灯には自動車のホイールが入れられている様です。 動輪は塗装が厚く刻印は確認できませんでした。側面プレート・製造銘板は残っています。現役時代とは異なりますが、このカマの銀差しはなかなか良い感じですね。 後ろから。キャブ内へは階段が設置されていますが、フェンスがあるので通常は入れません。 保存時の記念式典では火が入れられ、汽笛の吹鳴などもあったそうです。大きな公園での保存ですので、保存の経緯も含め、これからも語り継がれてほしいと思います。 沖縄では、戦前は軽便鉄道が走っていましたが、戦後は長らく鉄道路線が存在しない状態が続きました。2005年、那覇空港〜首里間でゆいレールが開業し、沖縄に鉄道路線が復活した形になります。延伸計画もあり、利用も順調のようです。 PR コメントを投稿する
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