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2007年8月12日(日)開設
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交通科学博物館の保存車(1)
8月12日の話。前回記事の続きです。

阪和線を撮影した後は、大阪環状線に乗り換えて弁天町へ。隣接する交通科学博物館へとやってきました。



ということで、まずはプラットホームプラザの保存車から見て行きましょう。D51 2号機。

・車歴
製造年月日 1936年3月26日
製造所 川崎車輌
1948年7月1日 稲沢機関区
1955年8月1日 多治見機関区
1957年11月1日 稲沢第一機関区
1971年12月13日 稲沢第一機関区にて廃車

昭和10年代、貨物が激しく増えつづけ、より強力な蒸気機関車が必要となって製造された 大形の貨物用蒸気機関車である。長年つちかってきた知識と経験のすべてがそそがれ性能、実用性ともにすぐれた蒸気機関車となった。昭和10年代に1115両が製造され、昭和40年代ころまで全国で貨物輸送をになったが、やがて電機やディーゼル機関車と交代してすべて廃車された。製造両数、性能とも日本を代表する蒸気機関車であった。                     (案内版より)

状態は大変良好。反射して輝いてます。





キャブ内は公開されていませんが、なかなか良さそうです。



後ろから。ナシ20の柵がかかってしまいます。



D51 2号機の後ろには、ナシ20 24。

・車歴
製造年 1970年
製造所 日本車輌

20系寝台車の食堂車、今も食堂として使用されています。



次回訪問時には食事もしてみようかと思います。



続いて、233号機

・車歴
製造年月日 1903年8月13日
製造所 汽車製造
1903年8月 米子機関区
1953年5月 高砂工場
1959年3月20日 高砂工場にて廃車

明治36(1903)年、大阪汽車製造合資会社の初期の製品で、当時の短距離列車用汎用機として大量に輸入された英国製A8系、軸配置1B1形のラジアル・タンク蒸気機関車(先従輪が線路の曲線に従って左右に移動できる構造で、急曲線の通過が容易)を忠実に模倣した設計であった。ただし、当時の日本では銅材の生産能力がなかったためにそのすべてが輸入であり、とくに車輪、車軸、煙管などは完成品を輸入して組み立てられた。
大阪汽車製造合資会社は明治29(1896)年、大阪の安治川口で創業し、その当時は蒸気機関車の製造ができる国内唯一の民間メーカーであって、明治34(1901)年に最初の機関車製造に成功したが、その後約10年間の製品はほとんどがA8系蒸気機関車で占められた。
鉄道作業局の発注機38両を主力とし、北越鉄道と北海道鉄道の発注機3両を含めて、鉄道院成立後は形式230となり、これだけで明治42(1909)年までの同社製品の過半数を占めた。
本機は鉄道作業局発注の機関車で、その233号となった。本機の最後の配置は旧国鉄高砂工場で、同工場における入換用機として活躍した。昭和37(1962)年、交通科学館(現・交通科学博物館)の開館とともに鷹取工場で復元の上、ここに保存された。現存する最古の国産機関車として貴重な存在である。昭和61(1986)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。            (案内板より)



こちらも、綺麗な状態でした。



長くなりましたので、この先は続きに。

拍手

続いて、中央列。マロネフ59 1。

・車歴
製造年 1938年
製造所 国鉄鷹取工場

一等寝台車、現役当時としては最高級の車両でした。



引きが無いので、全体は写せません。



車内を少しだけ覗いてみました。



続いて、スハシ38 102。

・車歴
製造年 1933年
製造所 日本車輌

こちらも引きがありません。車内の見学も不可。



続いて、C62 26号機。

・車歴
製造年月日 1948年10月8日(ボイラーはD52 46)
製造所 川崎車輛兵庫工場
1948年10月15日 広島第二機関区
1950年7月29日 名古屋機関区
1955年7月1日 宮原機関区
1956年11月1日 梅小路機関区
1957年1月1日 鷹取工場にてボイラー交換
1958年5月5日 下関機関区
1964年10月1日 広島運転所
1966年9月8日 糸崎機関区

1948(昭和23)年、当時最大の貨物用機関車”D52形”を改造した高速旅客用蒸気機関車。東海道・山陽線の特急・急行など国鉄を代表する列車を引いた。しかし、電化の進展にともないその活躍はホッン移動へと移っていった。また、同形の機関車が、1954(昭和29)年に、東海道線木曽川=岐阜間で、蒸気機関車として最高速度試験を行い、時速129㌔という狭軌鉄道の世界記録を立てた。
                               (案内板より)

この日は、「つばめ」HM掲出で展示中でした。



こちらはキャブ内の見学もできます。なかなか状態は良好そうです。



プレート回りもピカピカ。



以前は屋外で保存されていたため、荒廃していたようですが、現在は綺麗な状態で保存されています。



続いて、左列。キハ81 3。

・車歴
製造年 1960年
製造年月日 近畿車両

1960年(昭和35)年に製造された、わが国はじめての特急ディーゼル動車。発電装置が納められているボンネットや一段と高い運転室など他のディーゼル動車にない独特なスタイルとなっていて、同時代の電車特急と同じような設備がそなえられた。東北本線の上野=青森間の「はつかり」用として使用された後、1978年(昭和53)年に紀勢線の「くろしお」を最後に引退した。     (案内板より)

「はつかり」「つばさ」「いなほ」「ひたち」「くろしお」に使用されたボンネット形先頭車。



車内は立ち入ることができませんが、デッキから見学できます。



モハ80001と、クハ86001。

・車歴
案内板に表記が無いため不明。

1950(昭和25)年に登場した、最初の長距離用電車。それまでの電車は近距離用とされ、長距離列車は機関車がひく客車が使われていた。しかし、電車は客車に比べ長所が多いので、技術の進歩とともに乗りごこちのよい長距離電車が計画され、この80系電車が生まれた。
 80系電車は、最初湘南地方を通る東京−小田原・沼津間の列車に使用されたため、「湘南電車」の愛称がつけられた。それまでは黒や茶色の車両が多く、オレンジとグリーンに塗り分けられた湘南電車は、当時の人々に新鮮さをもって迎えられた。湘南電車は好評のうちに改良・増備が行われ、全盛期には準急「東海」(東京−名古屋間)・準急「比叡」(大阪−名古屋間)にも使用された。    (案内板より)

中間車は、やっぱり引きがありません。



こちらも車内は見学できません。窓から。



先頭車は、敷地外から撮ればよかったのですが、敷地内からだとよく撮れません。





それでは、館内に入っていきます。続く。
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