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2007年8月12日(日)開設
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交通科学博物館の保存車(2)
8月12日の話。前回記事の続きです。

交通科学博物館の屋外展示場を見学した後は、屋内展示場に入っていきます。

狭い館内に、0系が4両展示。

1964(昭和39)年10月1日、世界中の注目をあび、東海道新幹線は開通された。軌間(2本のレールの幅)を在来線(1067mm)より広く1435mmとしたり、全線を盛土、高架にして踏切をなくしたり、従来の鉄道を一新するものであった。新幹線はその後さらに全国に路線を広げ、「安全、高速、大量輸送」運転につとめ、日本の基幹交通として大きな影響と役割を果たしている。
 0系新幹線電車の最高速度210Km/hは、当時世界一の営業速度であり、「SHINKANSEN」という言葉がそのまま各国で用いられるほど、世界中から注目され、高速鉄道のさきかげとなった。
 ここに保存展示する0系新幹線電車(4両)は、開通当初のそれぞれの1号車で、1978(昭和53)年3月の引退までに約600万キロメートルを走行している。
                             (案内板より)

21−1号車。





グリーン車、16−1号車。



ビュッフェ車、35−1号車。



先頭車、22−1号車。全く引きがありません。





ここまでスペースギリギリに展示されている車両も無いでしょう・・・。大変見づらく残念です。

その他の保存車両は、続きに。

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EF52 1号機。

・車歴
製造年月日 1928年9月15日
製造所 日立製作所
1928年9月26日 国府津機関区
1932年6月1日 東京機関区
1934年11月26日 国府津機関区
1934年12月1日 沼津機関区
1944年12月6日 国府津機関区
1946年6月20日 沼津機関区
1948年12月16日 鳳機関区
1949年3月24日 沼津機関区
1973年1月23日 竜華機関区にて廃車

東海道線東京〜国府津間の電化に当たり、大正13年(1924)年以降、欧米諸国から多数の電気機関車が輸入されたが、旧鉄道省はこれらの輸入期間社の使用実績を参考としながら、川崎造船所、汽車製造会社、芝浦製作所、三菱電機、日立製作所などの車両・電気メーカーと協力して、幹線鉄道における旅客用制式電気機関車の標準型設計を進め、昭和3(1928)年、形式EF52が7両完成した(昭和6年、さらに若干仕様の異なる2両を増備、のちのEF54形→EF14形)。
電動機の制御方式は故障の少なかった電磁空気式単位スイッチ方式を採用し、この部分を含めて米国ウエスティングハウス(Westinghouse)社の方式が多く採用されて、その後の鉄道省制式電気機関車の設計に長く躊躇された。極力国産品の採用に務め、国内電気機械技術面での向上をはかったことも特筆される。
制御器のノッチ数が多く、定格速度が旅客用として低すぎるという批判もあって同形機は少なく、これに続く戦前での制式電気機関車設計では、同一出力でも歯車比を変えて旅客用と貨物用を分けている。本機は日立製作所の製品であり、第二次大戦後は中央線、次いで阪和線に転じ、昭和48(1973)年用途廃止された後、交通科学館(現・交通科学博物館)に保存された。
最初の幹線旅客用標準型電気機関車として日本の電気鉄道技術発達史上、記念すべき機関車である。昭和53(1978)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。
                              (案内板より)



1エンド側にはデッキにアクリル板が取り付けられています。



宮崎実験線で517Kmを記録した、リニアモーターカーML500。



1801号機。

・車歴
製造年 1881年
製造所 キットソン

1891年 鉄道局 56号として使用開始
1894年 40号に改番
1909年 1801号機に改番
1941年 東洋レーヨン譲渡、102号として使用

明治14(1881)年、英国キットソン(Kitson)社製で、普段鉄道の京都〜大津間急勾配区間に用いる目的で造られた日本最初の勾配線用蒸気機関車である。
設計者はイギリス人鉄道技術者で、神戸工場汽車監察方のライト(B.F.Wright)。
本機を含めて同型機は8両あるが、多数の同系機が1906年まで有設鉄道をはじめとして全国の私設鉄道で増備され、明治中期における急勾配区間、小単位列車、入換用などの標準型機関車として広く用いられた。旧鉄道院では形式1800の1801号となった。
昭和4(1929)年、同形機1両とともに高知鉄道に譲渡されたが、昭和15(1940)年に東洋レーヨン(現・東レ)(株)大津工場に転じて工場構内の入換用機関車として用いられた。昭和39(1964)年、同社より旧国鉄に寄贈して、交通科学館(現・交通科学博物館)に保存された。明治中期までの強力な急勾配用、短距離貨物用機関車の代表的存在であり、欧州のメーカー7社に同系機が分散製造されたとはいえ、各地で広く用いられた点では特筆すべき機関車といえよう。昭和40(1965)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。



屋内展示室のモックアップと、屋外展示室2の展示車は次回。続きます。
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