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2007年8月12日(日)開設
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飛鳥山公園のD51 853と都電6080
10月23日の話。前回記事の続きです。

せっかく飛鳥山交差点まで来たので、飛鳥山公園に保存されているD51 853号機と都電6080号車を見て行くことにしました。

まずはD51 853号機から。



・車歴
製造年月日 1943年8月31日
製造所 鷹取工場
1943年9月24日 吹田機関区
1946年1月1日 梅小路機関区
1946年5月8日 姫路第一機関区
1948年9月11日 長岡機関区
1968年4月1日 酒田機関区
1972年6月14日 酒田機関区にて廃車

2005年に整備されて綺麗になりました。前面プレートが緑色のペンキで塗られていたのが残念。



刻印は、D50 236の上から重ねられたもの(下画像)、D51 110を二重線で消して853が刻まれたものがありました。



プレート周り。検査表記の字体が残念。



キャブ内にも立ち入ることができます。この時は、日曜日だったこともあり子供達の遊び場となっていました。自由に入れる割には状態は悪くありません。



後ろから。



画像は人をかわして撮りましたが、機関車の上にのぼっている心無い方(子供から大人まで)がいらっしゃいました。保存車両は貴重な鉄道遺産です。遊具ではありません。きちんと理解してもらいたいものです。

続いて、都電6080号車。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

この都電6080は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両゛す。荒川線の前身は「王子電氣軌道株式会社」といい通称「王電」の名で親しまれた私営の郊外電車でした。明治44年8月大塚⇄飛鳥山上間2.45Kmの開業がはじまりで、その後王子を中心に早稲田、三の輪、赤羽を結ぶ路線が完成し昭和17年当時の東京市に譲渡されたのです。この車両は6000型と呼ばれており戦後はじめての新造車で昭和24年に製造されたものです。青山、大久保、駒込の各車庫を経て昭和46年3月荒川車庫の配属となり現役を退くまで都民の足として活躍していました。
 北区では都電のワンマン化を機会に交通局から譲り受け子供たちの施設として設置したものです。                      (案内板より)



車内は、9:00〜16:30まで公開されています。座席は復元されていませんでした。



運転台。



こちらは夜間は閉鎖されていることもあり、落書きなどもなく良い状態でした。



ということで・・・いかに屋外での保存が難しいかがよくわかる2両でした。

この日は、これにて帰宅。

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