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2007年8月12日(日)開設
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東急車輛横浜製作所(現・総合車両製作所)の保存車
2月25日の話。前回記事の続きです。

この日、金沢八景駅付近の東急車輌横浜製作所では「電車市場 即売会」が開催され、3両の保存車も公開されました。まずは展示されていた保存車からご紹介します。

まずは、0系新幹線21−2023号車のカットモデル。
・車歴
製造年月日 1985年1月16日
製造所 東急車輌

0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月東海道新幹線開業時より使用された国内最初の高速鉄道専用車両です。車体は鋼製で在来線車両よりも車体長は長く25m級とし、車体幅も3380mmと拡大しましたので、客室内には腰掛を5列に配列することができ、1両当りの定員が増加しました。東京−新大阪間の「ひかり」「こだま」号に使用され、最高運転速度は210Km/hで、営業列車では当時の世界最速を*りました。開業当初は12両編成でしたが、需要増加に伴い16両編成に増強され、名実共に日本の大動脈を担った車両です。
 1964年から1986年まで38次に亘って合計3216両が新製されました。モデルチェンジをしながら製作が継続された0系のうち22次車の1000番台で即窓が小窓化され、30次車以降の2000番台は普通車のシートピッチが改善されました。1987年JR化後はJR東海・JR西日本に継承され、2009年まで使用されました。東急車輌は1967年(昭和42年)6次車から製作に参入し、492両を製作し国鉄に納入しました。
 本車両は34次車の博多方先頭車であり、1985年(昭和60年)1月に製作されました。JR東海に継承後1998年6月まで東海道・山陽新幹線で「こだま」号を中心に使用され、廃車後は静岡県の佐久間レールパークでシンボル的な前頭部が保存されていました。2009年11月同所の閉園に伴い2010年7月に譲り受け、東急車輌産業遺産3号として指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。(案内板より)

佐久間レールパークが閉園後、こちらに引き取られ「東急車輛産業遺産」第3号に指定されました。



元YK22編成の先頭車。



後ろは真っ平ら。



続いて、デハ5201号車。

・車歴
製造年月 1958年11月
製造所 東急車輛
〜1986年まで 東横線・田園都市線・大井町線・目蒲線で活躍
1986年 上田交通に譲渡
1993年 東急に返還、東急車輌に譲渡

本車両は1958年(昭和33年)11月、日本初のステンレス電車としてこの横浜製作所にて製作し、東京急行電鉄に納入しました。既存の5000系をベースに外板のみステンレス鋼を採用したセミステンレス車両と称される車両で、外板の無塗装化およびメンテナンスフリー化を行いました。
 東横線、田園都市線、大井町線、目蒲線で活躍した跡、1986年(昭和61年)に上田交通(現・上田電鉄)に譲渡されました。35年間活躍しましたが、7200系への置換えに伴い、1993年(平成5年)東京急行電鉄に保存のため返還され、その後東急車輌に譲渡されました。
 2008年(平成20年)、東急車輌60周年、このステンレス電車誕生60周年、このステンレス電車誕生50周年を迎えるにあたり、先輩たちの偉業をたたえ、また日本初のステンレス電車として、その後のステンレス車両の発展に大いに寄与した貴重な車両であるため、東急車輌産業遺産第1号に指定して、誕生したこの地に永久保存することにしました。                         (案内板より)
上田電鉄から里帰りした「湯たんぽ」の愛称で親しまれた車両。



車体は輝いておりとても良い状態。今にも動き出しそうです。



後ろから。



続いて、デハ7052号車。

・車歴
製造年月 1965年7月
製造所 東急車輌

1959年(昭和34年)12月、弊社は米国・バッド社と技術提携契約を締結し、オールステンレス車両の生産に踏み出しました。部材から組立までのステンレス車両専門ラインの完成、車両用高張力ステンレス鋼(SUS301)の開発、スポット溶接法による構造設計の研究等、2年間の準備期間を経て、1962年(昭和37年)1月、日本初のオールステンレス車両として東急電鉄7000系が落成しました。
 7000系は1962年から1966年までに計134両が生産され、東横線、大井町線、田園都市線などで使用されました。また、軽量化や無塗装化、そして特に耐食性が良く構体のメンテナンスが容易となったことなどが実績として高く評価され、その後のオールステンレス車両の発展に大きく寄与しました。
 本車両は1965年7月に落成し、2000年6月にこどもの国線での運用を最後に引退するまでの35年間東急電鉄で活躍しました。その後弊社に譲渡され、牽引車として活躍してきましたが、老朽化のため2009年5月に廃車することになりました。
 本車両として東急電鉄最後の7000系であり外観上も冷房改造されることなく、まだ台車も製作当時のパイオニアIII形を使用し原形に近い形で残存されていることから、日本初のオールステンレス車両・7000系を代表して東急車輌産業遺産第2号に指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。               (案内板より)

日比谷線直通としても活躍していた東急7000系の先頭車。最後までこどもの国線で運用されたデハ7052号車。



7000系は日本各地の中小私鉄に譲渡されており、原形顔の車両は弘南鉄道・水間鉄道・北陸鉄道で、中間車改造の車両は水間鉄道・北陸鉄道・福島交通で今も運用されています。



後ろから。



7200系とは違い、前面は平ら。



とても綺麗な状態で保存されていました。



3両とも大変良い状態で保存されており、安心しました。こうなると、渋谷駅前のデハ5001が不憫で仕方がありません。なお、総合車両製作所は外部からの撮影が禁止となっていますので、ご注意ください。

次回は、保存車以外の展示車両などをご紹介します。続く。

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