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2007年8月12日(日)開設
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リニア・鉄道館の保存車(8)
3月24日の話。前回記事の続きです。
引き続き、リニア・鉄道館の保存車。今回は収蔵車両コーナーの右半分です。 キハ82 73。 ・車歴 製造年 1965年 製造所 日本車輌製造 1961(昭和36)年から運転を開始した特急形気動車キハ82系の先頭車。特急車両にふさわしい高い信頼性と優れた居住性を備え、またたく間に全国に非電化幹線に進出し、特急網を構築した。洗練された先頭部のデザインは、その後に登場するさまざまな車両にも大きな影響を与えた。(案内板より) 東海地区では「ひだ」「南紀」で運用されました。廃車後は美濃太田車両区で留置されてきました。 HMは「ひだ」。 キハ48036。 ・車歴 製造年 1956年 製造所 東急車輌製造 複数の車両を1つの運転台で総括制御を可能にしたキハ45000形式(後のキハ17形式)のグループの一つで、両運転台・トイレ付きのタイプ。1953(昭和28)年から製作されたこのグループは、単車運転が常識であった気動車の複数車両による運転を可能にして地方線区の輸送力を著しく向上させた。(案内板より) キハ10系統に分類される車両。晩年は茨城交通キハ113として活躍。廃車後は 佐久間レールパークで展示されていました。 オロネ10 27。 ・車歴 製造年 1960年 製造所 日立製作所 1955(昭和30)年から製作された10系客車グループの1等寝台車(現在のA寝台車)。この客車はヨーロッパの客車を参考にした設計により徹底した軽量化を達成。機関車などへの負担軽減、輸送力増強が実現した。ヨーロッパ調の車体デザインや客車で初めて採用した空気バネ付き台車の快適な乗り心地も好評だった。(案内板より) マイネ40 7。 ・車歴 製造年 1948年 製造所 日本車輌製造 戦後に初めて製造された1等寝台車。寝台をレールと平行に配置した「プルマン式」と呼ばれるものと、2人用個室4室を備えた豪華な設備。1948(昭和23)年に21両が製造され、東京〜九州間に運転された急行などに使用した。1955(昭和30)年に1等寝台が廃止されてからは、マロネ40形式2等寝台車となった。(案内板より) オハ35 206。 ・車歴 製造年 1941年 製造所 日本車輌製造 戦前・戦後に製作された3等客車で、国鉄鋼製客車の標準スタイルを確立した車両。1939(昭和14)年から1949(昭和24)年までの間に1308両が製作された。ガラスの製造技術の進歩によって1000mm幅の大窓を安価に3等客車で使用可能となった。明るい室内は評判となった。(案内板より) オヤ31 12。 ・車歴 製造年 1937年 製造所 田中車輛工場 「建築限界測定車」は、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認ができる構造となっている。新たに線路を敷設したとき等に使用した。この車両は、1959(昭和34)年にスハ32形式客車からの改造によって誕生した。(案内板より) スニ30 95。 ・車歴 製造年 1929年 製造所 大阪鉄工 鉄道省が初の鋼製客車として1927(昭和2)年から製作したオハ31系客車グループに属する荷物車。荷物車とは旅客の手荷物等を専門に運搬する車両で、貨車ではなく客車の一種とされている。鋼製になったことで車体強度が増した。(案内板より) 次回は最後!屋外展示の車両をご紹介します。続く。 PR コメントを投稿する
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