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2007年8月12日(日)開設
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南紀白浜アドベンチャーワールドのキハ28 3019を訪問したものの…
3月22日の話。前回記事の続きです。
紀伊田辺駅からは、"くろしお11号"で白浜駅へ移動する予定でしたが、短い区間であることと、時間的余裕ができたので、ポタリングに変更。 紀勢本線に沿いつつ、多少のアップダウンもあってなかなか良いコースでした。途中、紀伊新庄駅を通りかかったので駅舎を撮影。 そんなわけで白浜駅に到着。ここからバスに乗り換えてアドベンチャーワールドへ。 アドベンチャーワールドには、鉄道展で販売されていたものの輸送費等で買い手がつかず、そのまま静態保存されているキハ28 3019があるという話でしたので、園内を探してみるも…事前情報の「バイキングレストラン」は無く、キハ28も見つからず…近くにいた係員の方に聞いてみると、リニューアルをして公開されなくなってしまったとのこと。ここまで来たのに残念ですが、見れないものは仕方無いので、パンダだけ見物して撤収。 しかしアドベンチャーワールド、広すぎて動物園なのか遊園地なのかさっぱり分からず、この辺りで天気も悪くなり、ただ疲れただけでした…。 そんなわけで予定していたよりもかなり早いバスで白浜駅へと戻り、駅の近くで105系を撮影。 ↑2339M 105系F5編成2B "新宮行"@朝来〜白浜間 白浜駅0番線には白浜始発となる"くろしお32号"が停車中だったので、開いている踏切から撮影。287系でした。 ↑2082M 287系"特急くろしお32号"@白浜 すっかり日も暮れ、381系の"くろしお17号"に紀伊勝浦まで乗車してこの日の宿へ入りました。宿泊した「ホテル浦島」、駅からは専用の小型連絡船で向かうという面白いホテルで、館内には洞窟温泉など6つの温泉があり、ゆっくりと疲れを癒すことができました。 翌日も保存車訪問からスタート。続きます。 PR
会津児童公園のC57 7
3月22日の話。前回記事の続きです。
くろしお9号で紀伊田辺に到着。会津児童公園に保存されているC57 7号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1937年7月8日 製造所 川崎車輛 1937年7月8日 小郡機関区 1939年8月31日 広島機関区 1941年10月 岡山機関区 1945年4月1日 門司港機関区 1956年11月 尾久機関区 1957年9月 山田→(改称)伊勢機関区 1964年4月1日 亀山機関区 1970年3月31日 紀伊田辺機関区 1972年10月14・15日 鉄道開業100周年記念列車 汐留〜東横浜間牽引 1973年9月9日 さよならSL南紀号 和歌山〜紀伊田辺間牽引 1973年11月8日 紀伊田辺機関区にて廃車 わたしは昭和12年7月8日に川崎車輛株式会社でうまれました。その年に広島鉄道管理局の小郡機関区に配属されたのをふりだしに14年広島機関区、16年岡山機関区、19年門司機関区、31年東京の尾久機関区、32年天王寺鉄道管理局の山田機関区、38年亀山機関区、そして昭和45年田辺機関区にきました。それから紀勢本線沿線の皆様にかわいがられて走り続けてきましたが、昭和47年3月わたしの役目はおわりました。 生まれてからわたしは2695259km走りましたがこれは地球の赤道上を約68周したことになります。この間わたしの最大の思い出は、日本の鉄道発生の地、新橋−横浜間を鉄道100年記念祭の昭和47年10月14日特別列車を引いて走行したことです。 このたび国鉄と田辺市のはからいで田辺機関区からトレーラーに乗せられてこの会津児童公園に定住の地をいただきました、みなさんどうかいつまでもわたしをかわいがってください。(案内板より) レプリカであるようですが、「さよならSL南紀号」のHMを掲出して保存されています。 C57にしてはすっきりとしないスタイル、現役時代に集煙装置が取り付けられていたため短い煙突になっているんですね。集煙装置は鉄道100周年記念列車の時点ですでに取り外されていたようですが。 近年整備されたのか、状態は良好です。動輪は塗装されており刻印は確認できませんでした。 非公式側のプレート周り、検査表記も一応?残っています。 こちらは公式側、海側となるので少し表面が荒れています。 後ろから。 訪問時は3月末でしたが、日中はすっかりポカポカ陽気。公園で機関車を見ながらゆっくり過ごしてしまいました。 紀伊田辺からはポタリングで白浜へ。続きます。
和歌山市岡公園のC57 119と南海モ321
3月22日の話。前回記事の続きです。
くろしお3号で和歌山駅に到着、駅から2キロほどの岡公園に保存されているC57 119号機と南海和歌山軌道線モ321号を訪問。 まずはC57 119号機から。 ・車歴 製造年月日 1939年11月12日 製造所 三菱重工業 1939年11月21日 宮原機関区 1943年9月 白河機関区 1945年4月 大宮機関区 1949年8月28日 高崎第一機関区 1954年4月 鹿児島機関区 1956年11月4日 宇治山田機関区 1959年5月8日 和歌山機関区 1972年3月14日 最終運用 1972年5月11日 和歌山機関区にて廃車 ※今回より、更新時間の短縮のため案内板を撮影したものについては画像を掲載とします。 大きな屋根もあり、定期的に整備されているようで状態は大変良好です。 車歴から見てとれるように、割と大きな転属を繰り返していたカマですが、最終的に運用された和歌山の地でこうして保存されています。「くまの」のヘッドマークも似合っていますね。 大型の集煙装置を取り付けた状態で保存されています。 動輪は油で磨きだされていましたが、柵から遠く刻印は確認できませんでした。 側面プレート周り、製造銘板も綺麗に読み取れる状態で残っています。 後ろから。 続いて、南海和歌山軌道線のモ321。 ・車歴 製造年 1963年 製造所 日立製作所 1971年3月31日 和歌山軌道線廃止に伴い引退 チンチン電車が都会の象徴でした。電車が街路の主でした。和歌山県では和歌山市だけに明治42年1月から路面をわがもの顔にゴーチンチンと電車が走っていたのです。62年3ヶ月の間、子供にも年寄りにも親しまれてチンチンゴーと走っていたのです。 それが交通マヒのやり玉の第1番にあげられて東京や大阪やあっちこっちの都市で廃止になり和歌山市でも昭和46年3月31日の夜をなごりに惜まれながら廃止になったのです。世の中はこうして移り変るのです。どんどん移り変るのです。 和歌山市にはもう電車は走っておりません。走っていた電車はみんな魚の巣(魚礁)になって南の海の底に沈められました。そのうちの2台だけが走っていたままの姿でここと海南市とに保存されて毎日みんなの来るのを待っています。大事にしましょうね。あたたかく見守りましょうね。 (案内板より) 製造から8年で引退となった車両、こちらも大きな屋根の下で保存され状態は良好です。 数年前は塗装が荒れていたようですが、現在では綺麗な状態です。こちら側の方向幕は「試運転」。 南海の社紋も残っています。 反対側の方向幕は「国鉄和歌山駅」残念ながら右下が少し破れています。 どちらの車両も5月5日のこどもの日には車内が公開されるようです。 和歌山駅からバスも出ていますが、本数の多い路線のバス停からは少し離れています。訪問の際には地図などをよくご確認ください。 背後には和歌山城が見えました。 和歌山駅に戻って"くろしお9号"で紀伊田辺駅へ、こちらは新型の287系で運転されていました。沿線の観光案内などの放送も入り、観光特急としてとても乗り心地の良い車両ですね。 紀伊田辺駅の3番線には当駅始発の新宮行きが停車中、単色化された105系でした。和歌山方の先頭車クハ104-551は、事故廃車となったクハの代替にモハ車を先頭車改造した車両だそうです。 ↑2333M 105系W10編成2B 新宮行@紀伊田辺 紀伊田辺駅舎、1932年の開業当時からのもののようです。 この後は、会津児童公園のC57 7号機を訪問。続きます。
特急くろしおに乗って和歌山へ
3月22日の話。
この日から3日間、紀伊半島をぐるりと一周旅行に行ってきました。 新横浜からのぞみ一番列車の「のぞみ99号」に乗車、車内で朝食を摂りつつ新大阪へ。新大阪に降り立つと「みずほ」のN700系7000番台が停車中だったので、まずはこちらから撮影。 ↑605A N700系7000番台8B 新幹線"みずほ605号"@新大阪 今回は普通列車の本数が少ない区間への旅行なので、新大阪からは"くろしお3号"に乗車します。乗り換えにしばらく時間があったので適当に撮影していましたが、回送列車と普通列車が同時入線したシーンだけ掲載。 ↑223系W31編成&207系H12編成 くろしお3号は381系、JR東日本では新型車両の導入ですっかり国鉄形車両が少なくなっていますが、JR西日本ではまだまだ現役。まぁ、時代の流れには勝てず、287系の増備で少しずつ福知山線特急への転属も進んでおりますが、それでも転属して継続使用されるんですから幸せなものです。 天王寺までは大阪環状線を走行、阪和線に入る際に大阪環状線の201系と103系の並びが見れました。 ↑201系LB10編成&103系LA*編成 阪和線に入るとすいすい進んで、10:04に和歌山到着。 ↑くろしお3号@和歌山 停車中だった和歌山線の粉河行きは105系「万葉の四季」。 ↑1442M 105系第3編成"万葉の四季" 普通粉河行@和歌山 和歌山駅舎、駅ビルも入って地方の主要駅といった感じ。 和歌山駅からは、岡公園に保存されているC57 119号機・和歌山軌道線モ321を訪問します。続く。
いよいよ地下化!小田急線代々木上原〜梅ヶ丘間
3月21日の話。
この日は、3月23日から地下化される小田急線代々木上原〜梅ヶ丘間の地上区間最後の撮影をしてきました。 小田急電鉄が長年進めてきた立体交差・複々線化工事もいよいよ最後の区間、代々木上原〜梅ヶ丘間を残すのみとなり、3月22日終電〜23日始発にかけて地下化工事が行われることになりました。今回地下化される区間の中で、特に下北沢駅は井の頭線との立体交差が見納めとなるため、まずは下北沢駅へ。 井の頭線との交差が見られる歩道橋へ。いきなり06系が登場! ↑3737レ 東京メトロ06-101F 10B 多摩急行唐木田行@下北沢 列車同士の交差を待ちます。地下化HM付きの3651F。 ↑6629レ 小田急3651F 8B 各停本厚木行@下北沢 こちらも地下化HM付き、2058F。 ↑6631レ 小田急2058F 8B 各停本厚木行@下北沢 LSEの"はこね"も通過。しかし…まだ交差はせず。 ↑0141レ 小田急700*F"LSE"11B 特急はこね41号@下北沢 数分後…井の頭線が中間車ですが交差。 ↑6633レ 小田急3659F 8B 各停本厚木行@下北沢 欲が出て先頭車同士の交差を待機…井の頭線接近放送、小田急線接近放送がかかって…交差!タイミングぴったりでした。 ↑3739レ 東京メトロ16102F 10B 多摩急行唐木田行@下北沢 続いて下北沢駅のホームへ。"SIMOKITA1番街"の看板とともに。 ↑6635レ 小田急3662F 8B 各停本厚木行@下北沢 開かずの踏切もまもなくその役目を終えます。 ↑1247レ 小田急****F+8259F10B 急行新宿行@下北沢 世田谷代田に移動、下りは緩やかなカーブを描き、撮影しやすい駅でした。VSEのはこね43号。 ↑0143レ 小田急5000*F"VSE"10B 特急はこね43号@世田谷代田 上り方、梅ヶ丘駅からはすでに地下区間へと繋がる線路が完成しており、地上区間へは上り勾配になっていました。 ↑1242レ 小田急1094F 10B 急行新宿行@世田谷代田 ↑6612レ 小田急1056F+1057F 8B 各停新宿行@世田谷代田 LSEの回送も通過。 ↑小田急700*F"LSE"11B 回送@世田谷代田 さらにこの日は"F-Train II"の運行最終日、すっかり暗くなってしまいましたがなんとか祖師ケ谷大蔵で捉えました。 ↑1062レ 小田急3093F10B "F-Train II"急行新宿行@祖師ケ谷大蔵 最後は唐木田から折り返してきた06系を流して撮影終了。 ↑3734レ 東京メトロ06-101F 10B 多摩急行我孫子行@成城学園前 次回からは紀伊半島一周遠征を更新します。 | カレンダー
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