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2007年8月12日(日)開設
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茅野駅前のC12 67
昨年7月25日の話。前回記事の続きです。
諏訪湖周辺の保存車訪問、最後は茅野駅前のC12 67号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1933年12月1日 製造所 日立製作所 1933年12月1日 鹿児島機関区 時期不明 松本機関区 1966年頃 上諏訪機関区 1972年4月1日 中津川機関区 1973年4月27日 中津川機関区にて廃車 案内板はこちら。 屋根付きで保存、落ち着いた塗装で状態は良好です。 製造銘板がありませんが、数年前の写真では現存しており、整備時に取り外されたか盗難に遭ったと思われます。動輪は塗装されています。キャブ内に立ち入ることは出来ません。 真岡鉄道で動態保存されている66号機と兄弟機。 この後は塩尻駅近くで「懐かしの115系」を撮影しましたが、帰りがけにもう一つ寄り道。続きます。 PR
諏訪市湖畔公園のD51 824
昨年7月25日の話。前回記事の続きです。
あすなろ公園のC12 171号機の後は、諏訪市湖畔公園のD51 824号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1943年3月16日 製造所 国鉄浜松工場 1943年3月16日 浜松機関区 1945年9月30日 静岡機関区 1949年6月26日 上諏訪機関区 1964年4月3日 長野機関区 1970年8月6日 長野運転所にて廃車 案内板はこちら。 現役時代はそのほとんどを長野地区で過ごしたカマ。諏訪湖の真横に保存、屋根付きで状態は良好です。 「長工デフN-2形」と呼ばれる特徴的なデフレクターを装備しています。他に装備して保存されているのは、町田のD51 862、柏のD51 405など。集煙装置は取り外されて案内板の横に置かれています。 動輪は塗装されています。 キャブ内。所々奇抜な色に塗られてますね… 側面プレート周り。区名札は刺さっていません。 キャブの屋根が不自然に延長されていますが、これは設置後に後付けされたものでしょう。 デフレクター一つでもかなり印象が変わって見えます。 この後は、茅野駅前のC12 67号機を訪問。続きます。
下諏訪町役場あすなろ公園のC12 171
昨年7月25日の話。前回記事の続きです。
115系クモユニの撮影の合間に、これまで訪問できていなかった諏訪地区の3件の保存車を訪問。まずは下諏訪町役場あすなろ公園のC12 171号機から。 ・車歴 製造年月日 1938年3月29日 製造所 日本車輌 1938年3月29日 白山機関区 1938年6月8日 高岡機関区 1941年2月 上諏訪機関区 1972年4月1日 木曽福島機関区 1973年4月27日 木曽福島機関区にて廃車 製造直後の数年を除いて、大半を地元で過ごした機関車。屋根付きで保存されており、数年おきに整備されているようです。 動輪は塗装されています。製造銘板は欠損。誰かの忘れ物なのか、動輪に傘が引っかかってますね。 キャブ内にも立ち入りが可能。計器類の欠損も多少見受けられます。 後ろから。 この後は、上諏訪駅から諏訪市湖畔公園のD51 824号機を訪問。続きます。
大久保工場公園のD51 172
昨年8月2日の話。
この日は、"ムーンライト信州81号"に乗って長野・新潟を青春18きっぷで旅してきました。 まずは再掲となりますが、八王子駅でのヘッドマーク付きのH1編成と"ムーンライト信州"の並び。この日の担当はN103編成。 ↑8421M 189系N103編成6B 快速"ムーンライト信州81号"&205系H1編成8B(HM掲出)@八王子 途中、踏切安全確認で止まりつつも松本には定時着。松本で自転車を出して、駅から2kmほどの大久保工場団地内にある大久保工場公園のD51 172号機を訪問。 ・車歴 製造年月日:1939年3月31日 製造所:日本車輌 1939年3月31日 敦賀機関区 1940年8月2日 静岡機関区 1949年6月27日 上諏訪機関区 1964年4月1日 長野機関区 1972年4月 木曽福島機関区 1973年11月27日 木曽福島機関区にて廃車 案内板はこちら。 経歴の通り、晩年は長野県内で過ごしたカマ。現役時代は集煙装置が取り付けられていたはずですが、保存時に取り外されたのでしょう。少し塗装に痛みはありますが厚塗り感は無く、現役時代に近い着飾らない姿です。 動輪は塗装されています。 側面プレート周り。キャブの窓はありませんが、札受けは残っています。製造銘板はありません。 キャブ内は公開されていますが、計器類の破損もありません。 後ろから。ステップが白く塗られているのはご愛嬌。 これにて撤収。松本駅に戻って駅の反対側へ移動して、国宝・松本城を見に行きました。 松本駅からは篠ノ井線で長野へ向かいます。続く。
成知公園(旧中込学校)のC56 101とキホハニ56
4月27日の話。前回記事の続きです。
169系を撮影した後は、保存車を訪問しつつ高崎に向かいますが、まずは佐久市の旧中込学校に隣接する成知公園に保存されているC56 101号機と佐久鉄道キホハニ56を訪問。 C56 101号機から。 ・車歴 製造年月日 1937年3月31日 製造所 三菱重工 1937年4月1日 白山機関区 1952年2月18日 新潟機関区 1957年9月1日 飯山機関区 1967年11月10日 上諏訪機関区 1972年4月1日 長野運転所 1973年1月10日 長野運転所にて廃車 小海線沿線にはC56が数多く保存されていますが、こちらも小海線で運用実績のあったカマ。柵内に保存されており、管理室の方に申し出れば立ち入りが可能です。 屋根があり、また定期的に整備されているようで、かなり良い状態を保っています。 動輪は塗装されていますが、刻印も確認できました。 側面プレート周り。製造銘板も残っていますが、少し錆が出ているようです。窓には金網が張られているため破損もありません。 キャブ内。落ち着いた塗装で、現役時代にかなり忠実なのではないでしょうか。 後ろから。 小海線沿線の他のC56は小淵沢小学校の126号機、清里駅前の149号機、野辺山民俗歴史自然公園の96号機、小諸城址懐古園の144号機など。 続いてキホハニ56。 ・車歴 製造年 1930年 製造所 日本車輌 1930年〜1942年 佐久鉄道→小海北線で活躍 1942年 廃車 1943年 三岐鉄道に譲渡 キハニ6に改番 1958年 キハ6に改番 1959年 別府鉄道に譲渡 キハ3に改番 1984年 廃車 佐久鉄道時代の姿に復元のうえ保存 小海線の前身となる佐久鉄道の開業時から運用された気動車。三岐鉄道、別府鉄道と譲渡されましたが、廃車後に復元されここ長野県に里帰りして保存されました。 車内は木造ですが、腐食等もなくかなり良い状態です。 運転台。 佐久鉄道の社紋も復元、カタカナの「サ」が9つ並んで「サク」。洒落がきいていて格好良いですね。 せっかくなので、旧中込学校も見学。1875年に建てられ、日本最古の洋風建築の校舎として国の重要文化財にも指定されているそうです。 最寄り駅:JR小海線 滑津駅 徒歩約5分 雪が多い地域ですが、校舎と合わせてこれからも大切に保存されていくことでしょう。 この後は、横川SA上り線のキハ57もどきを訪問。続きます。 | カレンダー
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