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2007年8月12日(日)開設
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横浜市電保存館の保存車(2)
8月21日の話。前回記事の続きです。
引き続き、横浜市電保存館の保存車を紹介していきたいと思います。 1510号車。 ・車歴 製造年 1951年 製造所 日立製作所 昭和23年(1948年)から乗客サービスの改善と性能を高める研究を始め、昭和26年(1951年)に老朽化した300型の代替として20両購入した間接制御方式の電車1500型の1台。前面を窓の下から流線形とし、運転台の窓も大きくした。台車に防震ゴムを使い、振動や騒音を少なくし、従来の電車と比べ静かで乗り心地も良く、しかも電気と空気ブレーキを併用する等、数多くの新方式を採用し”ちんちん電車の決定版”といわれた。市電廃止の最後の日まで走った。 (案内板より) 当時流行った流線型、こうして綺麗な状態で残っていてとても嬉しいですね。 続いて、1601号車。 ・車歴 製造年 1957年 800型代替として昭和32年(1957年)、当局工場で製造した最後の新造中型ボギー車1600型の1台。後部乗降口を中央よりに移したバス型配置で、出入口を大きくとり、4枚折戸を採用した。室内灯は蛍光灯でラインライト方式、床板は明るい緑色の軟質ビニール張り、ジューゲルは自動昇降式。台枠の中梁には5インチの鋼管を使用し、これをレザーバータンクに利用した。昭和45年(1970年)廃車となった。 (案内板より) 車内。節電の影響により真っ暗。 市電最後の新造車、市電廃止までは生き残れませんでした。 最後に、無蓋貨車10号。 ・車歴 製造年 1914年 横浜電鉄時代の大正2年(1913年)、本牧にあったキリンビール工場のビールを運ぶため、有蓋と無蓋の貨車が製造された。車体中央に設けた支柱にアームを取付け、これに2トンの手動チェーンブロックを装備していた。戦後は電動になり、レール、敷石等の補修材を運搬した。関東大震災、戦災時には廃車にするしかない損んだ客車を無蓋貨車に改造し、復興に役立てた。昭和47年(1972年)の市電全廃時にこの10号車だけが残された。 (案内板より) 保存館に展示されている車両の中では最も古い、大正製造の車両です。 ということで、横浜市電保存館の保存車は以上になります。この後は、本牧のD51 516号機を見てきました。続く。 PR コメントを投稿する
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