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2007年8月12日(日)開設
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石井児童公園のC58 275
3月3日の話。前回記事の続きです。

那珂川土手で常磐線を撮影した後は、昼食を挟んで、笠間市市民体育館横にある石井児童公園のC58 275号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1941年3月20日
製造所 汽車製造
1941年3月20日 宮古機関区
1950年12月1日 盛岡機関区黒沢尻支区
1953年4月1日 盛岡機関区
1953年5月5日 横手機関区
1953年9月11日 新庄機関区
1974年4月24日 志布志機関区
1975年3月31日 志布志機関区にて廃車

水戸鉄道株式会社設立の頃(明治22年1月16日)水戸線は小形タンク機関車で運転されていた。その後、明治25年3月1日、日本鉄道株式会社となり明治39年11月1日、国有鉄道となった。
輸送力増強に伴いSLも次第に大型化となった。水戸線旅客列車用にC58形式を使用するようになり昭和42年3月15日水戸線電化完成によって配置替となった。水戸線に運転した最後の車号は廃車又は保存機関車となったため、笠間に保存することができず、他線を運転の同形式の車号を保存することとなった次第である。(説明板より)

東北での長い活躍の後、晩年1年だけ九州で運用されたカマ。説明板にもあるとおり水戸線を走行したことはありません。屋根が設置されており、経年劣化による塗装の剥げは気になりますがそれなりに良い状態です。



柵があるのでなかなかすっきりと全体を見ることはできません。なお後ろの市民体育館は工事中で、機関車の裏側は資材置場となっていました。



九州型のカマなので開放式キャブとなっています。塗装が厚く刻印は確認できませんでした。



側面プレート周り。製造銘板が剥がされた跡が痛々しい・・・区名札入れも黒く塗りつぶされています。なおキャブ内は遠目で見る限り計器類も残っているようでした。



後ろから。炭水車の塗装の劣化が激しいですね。



ブランコと小さな滑り台ぐらいしかない小さな公園ですが、これからもひっそりと保存されることでしょう。



最寄り駅:JR水戸線 笠間駅 徒歩約20分

早朝からの活動で大分疲れていたこともあり、この日はこれにて帰宅。

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千波公園のD51 515
3月3日の話。前回記事の続きです。

水郡線で非電化「ゆう」を撮影した後は、偕楽園のすぐ横にある千波公園に保存されているD51 515号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1941年3月31日
製造所 大宮工場
1941年6月 平機関区
1947年3月1日 水戸機関区
1958年2月1日 大宮機関区
1967年2月1日 八王子機関区
1970年4月1日 新鶴見機関区
1970年11月28日 新鶴見機関区にて廃車

このD51515号は、昭和16年3月国鉄大宮工場で製作され、昭和23年7月水戸機関区に配置となり、昭和33年2月大宮機関区に転出されるまで、常磐線の石炭輸送に大きな役割を果たした。その後高島線の入れ換え
を最後に、延べ1.842.939km(地球を46周した距離)走行し、昭和45年11月廃車となった。ちなみに、制作時の価格は110.581円であった。(説明板より)

塗装が厚塗り気味ではありますが、よく整備され状態は良好です。常磐線で運用され地元に里帰りして保存されたカマだけあって、大事にされているんでしょう。

 

それにしても車体がピカピカ。もう少しつや消し感があった方が現役っぽく見えますけどね。機関車の裏には千波湖。



動輪は塗装されています。



プレート周り。この辺はやっぱり塗装の劣化が目立ちますねぇ。腐食の上から塗ってしまっていることもありますが。



キャブ内の状態も良好。



後ろから。



偕楽園臨時駅が営業していない時期は訪問しづらい保存機ですが、これからも市民の方々の手で大切に保存されることでしょう。



この後は、偕楽園駅周辺で常磐線を撮影。続きます。

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つくば市さくら交通公園のD51 70
8月15日の話。前回記事の続きです。

南浦和付近で「あけぼの」を撮影した後は、所用で茨城県へ。用事が済んだところで、つくば市さくら交通公園のD51 70号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1937年9月29日
製造所 日立製作所
1937年10月1日 岡山機関区
1950年3月23日 岩見沢機関区
1950年8月2日 五稜郭機関区
1960年12月1日 小樽築港機関区
1974年3月31日 追分機関区
1976年3月19日 追分機関区にて廃車

「D5170」号は日立製作所で製造され昭和12年9月に完成しました。はじめ岡山機関区に置かれ山陽本線の姫路と広島の間を走っていましたが、昭和25年8月北海道に移され、五稜郭、小樽築港、追分等の機関区で昭和50年12月まで活躍していました。その間に走った距離を合わせると287万8164キロメートルにも
なります。地球から月までの距離が、およそ88万キロメートルありますから、月まで3往復してまた月まで行くことが出来る距離を走ったことになります。「D5170」のDは動輪の数(ABCDのDですから動輪が4つあります。)51は型式、70はこの型式の機関車の番号を現わしています。D51(デゴイチ)型の機関車は速さよりも、ひく力が強いので主に貨物列車用に使われ、旅客列車にはC(動輪が3つ)の記号がつく機関車が使われていました。SLというのは英語のSteamlocomotive(蒸気機関車)の略称です。(案内板より)

北海道を中心に活躍した、関東には縁がないカマですが、SLブームの頃に保存されたのでしょう。ナメクジ形のD51、状態は良好です。

 

以前は隣にキハ048も保存されていましたが、鉄道博物館が建設される際に展示車両に選ばれ、国鉄キハ41307として復元された状態で収蔵されました。



動輪は塗装されていますが、大変薄い塗装で刻印も確認できました。



側面プレート周り。



キャブ内の状態も良好。



後ろから。



保存会の方々に整備され完璧な状態、ここまで綺麗な状態を保っているカマもなかなかありません。

さくら交通公園には国鉄バスも保存されています。車内に立ち入ることはできませんでした。



最寄り駅:つくばエクスプレス線 つくば駅 徒歩約10分

この日はこれにて帰宅。

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