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2007年8月12日(日)開設
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米原市公民館のキ555
12月28日の話。前回記事の続きです。

鉄道総研風洞技術センターの後は、米原市公民館のラッセル車・キ555を訪問。

 

・車歴
製造年月 1943年3月
製造所 土崎工場

この雪かき車は、昭和18年誕生以来39年間東海道本線の最も降雪の多い 米原〜大垣間をラッセルし、特に昭和38年1月の大豪雪には、大活躍し、地域住民の足はもとより産業文化の発展に多大の貢献をしました。(案内板より)

関ヶ原の峠で使われていたラッセル車。雪国装備、厳つい姿が格好良いですね。

 

屋外の保存ですが、良い状態を保っています。

 

車体には名古屋局所属を示す「名」の文字。

 

風洞技術センターは駅の反対側、一度駅の跨線橋を渡るため徒歩15分ほどかかります。合わせて訪問される際はご注意を。

最寄り駅:米原駅 徒歩約5分

この後は、東海道本線をひたすら上ります。続く。

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米原風洞技術センターの保存車
12月28日の話。前回記事の続きです。

長浜鉄道スクエアの後は、北陸本線で米原に戻り、東海道本線の線路際にある「鉄道総研風洞技術センター」の3両の保存車を訪問しました。

まずは955-1から。

・車歴
製造年 1995年
製造所 三菱重工
2002年2月1日 廃車

JR東海の試験車「300X」の6号車。「300X」は次世代の新幹線技術を研究する目的で製造された車両で、2両の先頭車両の形状が異なっていました。こちら側は「カスプ型」と呼ばれる形状。反対側の「ラウンドウェッジ型」車両は、JR東海浜松工場で保管の後、先日オープンしたリニア・鉄道館に収蔵されました。

 

「300X」は1996年7月29日、米原〜京都間で国内最速の時速443kmを記録、今もその記録は破られていません。

 

続いて、952-1。

・車歴
製造年 1992年
製造所 日本車輛
1992年3月27日 運用開始
1998年2月17日 廃車

こちらはJR東日本の試験車「STAR21」の1号車。「STAR21」は、環境対策の研究を主な目的として製造され、こちらの車両も先頭車両の形状が両端で異なっていました。反対側の先頭車953-5号車は、中間車953-1とともに利府の新幹線総合車両センターで保存されています。

 

「STAR21」も、1993年12月21日に上越新幹線燕三条駅付近で当時国内最速の時速425kmを記録しています。

 

 

続いて、500-901。

・車歴
製造年月 1992年4月
製造所 
1996年5月31日 廃車

こちらはJR西日本の試験車「WIN350」の博多方先頭車。「WIN350」は営業時速350kmを目指すために製造されました。形式上では500系の「900番台」、研究された技術は500系に継承されています。反対側の先頭車は博多総合車両所で保存されており、イベント時に公開されています。

 

「WIN350」もスピード記録保持車。1992年8月8日、小郡〜新下関間で当時国内最速の時速350.4kmを記録しています。

 

通常時は柵外からの見学となりますが、毎年10月の鉄道の日前後の週末には一般公開が行われており、車内の見学も出来るようです。

この後は、駅の反対側にある米原市公民館のキ555を訪問。続きます。

−おまけ−
保存車撮影中に走ってきた、近江鉄道の米原行き。

 

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長浜鉄道スクエアのD51 793とED70 1
12月28日の話。前回記事の続きです。

京都駅で「日本海」を撮影した後は、長浜鉄道スクエアへ。

明治15年3月に建設された初代・長浜駅舎が移設された鉄道記念館。

 

前庭にはいくつかの屋外展示物。こちらは機関車の動輪ですが、塗装されており刻印は確認できませんでした。

 

旧長浜駅の29号分岐器。

 

展示車両がある「北陸線電化記念館」の手前、旧長浜駅舎内は展示室になっています。

  

それでは早速目的の「北陸線電化記念館」の展示車両を見てみましょう。まずはD51 793から。

・車歴
製造年月日 1942年11月18日
製造所 三菱重工
1942年11月27日 大宮機関区
1944年8月20日 米原機関区
1946年12月20日 大垣機関区
1950年5月17日 木曽福島機関区
1968年10月14日 金沢運転所
1970年6月25日 金沢機関区にて廃車

D51形793号 蒸気機関車は、ダイナミックな雄姿から"デゴイチ"の愛称で広く親しまれ、1115両も製造されました。
 このD51形793号機は1942(昭和17)年11月18日に三菱重工業(株)で製造され、東北・東海道・中央・北陸の各線を、1970(昭和45)年まで27年余り走りました。その走行距離は1784000kmで、地球を約44周したことになります。
 1970(昭和45)年10月に「消えゆく蒸気機関車をぜひ長浜で保存したい」という市民の声にこたえ、当時の国鉄金沢鉄道管理局から貸与されました。
 はじめは豊公園に展示していましたが、SL北びわこ号の運行を記念して、1995(平成7)年12月この場所に移し、2003(平成15)年7月17日この記念館で新たに展示しました。    (案内板より)

屋内展示ということで状態は良好。ただ2000年までは屋外展示だったこともあり、車体の一部には腐食が見られます。謎の茶色い連結器も微妙。向かって右側のデフには三角形の切り欠きがあります。晩年の金沢では入れ換え機となっていたようです。

 

足回りは油でピカピカに磨かれています。刻印も確認。

 

側面プレート周り。製造銘板が無いのが残念。

 

キャブ内。部品の欠損も無く良い状態です。

 

後ろから。

 

続いて、ED70 1号機。

・車歴
製造年月日 1957年7月24日
製造所 三菱電機
1957年7月24日 敦賀機関区
1972年11月7日 敦賀機関区にて廃車

ED70形1号 交流電気機関車は、日本で最初の営業用60ヘルツの交流電気機関車です。交流の電気機関車であることを示す赤色に塗られ、19両製造されました。
 このED70形1号機は1957(昭和32)年7月に三菱電機(株)で製造され、田村―敦賀間の交流電化区間で、1975(昭和50)年4月までに18年余り活躍しました。その走行距離は1473000Kmで、地球を約37周したことになります。
 その後は最初の営業用交流機関車の1号機として、敦賀機関区の構内に保存していましたが、傷み方も激しくなり屋内保存をするため、西日本旅客鉄道(株)が2003(平成15)年4月に復元し、近代化遺産として(財)日本ナショナルトラストに寄贈しました。
 同財団は、この北陸電化記念館を建設して2003(平成15)年7月17日に展示しました。              (案内板より)

北陸本線田村〜敦賀間の交流電化に合わせて製造された、日本初の営業向け交流電機。交流電化区間が短かったこと、その後の交流電化路線の増加によりEF81が量産されたことなどから試験用の19号機以外量産はされず、初期製造の18両+1両の19両に留まりました。残っているのはこのカマのみ。

 

移設前にJR西日本が整備・復元したこともあり、キャブ内も素晴らしい状態。

 

キャブの窓からから電気室を覗いてみます。機器もどうやら完璧に残っているようです。

 

1エンド側は日章旗なし。

 

どちらの車両ともに状態は良く、併設する電化記念館の資料も興味深いものが多いので一見の価値あり。

この後は、米原の鉄道総研風洞研究センターの試験車を訪問。続きます。

−おまけ−
現在の長浜駅舎。

 

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手原稲荷公園のD51 403
12月28日の話。前回記事の続きです。

草津線で手原駅に到着。徒歩約3分のところにある「手原稲荷神社」内の稲荷公園には、D51 403号機が保存されています。

・車歴
製造年月日 1940年3月29日
製造所 日本車輛
1940年4月9日 新津機関区
1942年2月5日 直江津機関区
1944年9月18日 長岡機関区
1950年3月2日 長野機関区
1966年9月1日 紀伊田辺機関区
1967年1月26日 奈良機関区
1973年11月8日 奈良機関区にて廃車

この機関車は、昭和15年3月29日に日本車輛名古屋工場において製造され、戦前から戦後の復興期を経て今日に至る34年間、主に草津線・奈良線を雪の日も風の日も力強く走り続けてまいりました。そして機関車が果した業績は、まことに輝かしいものがあります。
 しかし、時代の変せんと国鉄近代化計画により、なじみ深い姿を鉄道から消すことになりました。この機関車の貸与については、町民の皆さんから強い要望があり、又手原駅開業50周年を記念して計画されたものであります。過去における機関車の雄姿をしのび、その労をたたえるとともに、皆さんのご観覧資料の一環として機関車の概要を表示いたしました。どうか本町のシンボルとして末永くかわいがってください。                             (案内板より)

1967年からは関西本線加太〜柘植間の25‰の急勾配"加太越え"にも挑んだ機関車。現役時代に取り付けられていた集煙装置は取り外されて保存。車体は磨き上げられており、状態は良好。

 

動輪は油で磨かれており、刻印も確認できました。ランボードの白が凛々しいですが、現役時代には無かったはずなので少し過剰か。

  

側面プレート周り。製造銘板は紛失しています。窓枠は腐食を防ぐためか木枠の上から黄色いテープのようなものが貼られているようです。公開されていませんが、キャブ内も部品の欠損等は無さそうでした。



後ろから。

 

滋賀県の保存車両は綺麗な状態のものが多く嬉しく思います。

 

この後は、京都駅に戻って約1時間の遅れ4002レ「日本海」を撮影します。続く。

−おまけ−
柘植駅で乗車する草津行きと交換となる下り拓殖行きは、中間車が湘南色のL7編成。

 

乗車した草津行きは、オール湘南色のC10編成。

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大津市あそびの森SL公園のC57 128
12月28日の話。京阪旅行3日目。

この日は、大津市あそびの森SL公園のC57 128号機からスタートです。大津駅からバスに乗って目的地に到着。

・車歴
製造年月日 1940年3月15日
製造所 三菱重工業
1940年3月15日 糸崎機関区
1945年4月1日 梅小路機関区
1950年4月1日 福知山機関区
1972年3月31日 豊岡機関区
1973年3月1日 豊岡機関区にて廃車

1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで旅客用として201両が誕生し、そのスタイルから美しいことから「貴婦人」の愛称で呼ばれています。
 C57128は、1940年(昭和15年)に生まれ1973年播但線を最後に引退するまで走行距離は22354214Kmでおよそ地球を56周走ったことになります。この車両は、東海道線などを走り、播但線を最後に昭和51年4月5日に科学館に展示用として設置されました。科学館が膳所本町の生涯学習センターに移転したのを機会に、平成3年、旧科学館の跡地の「遊びの森SL公園」に設置され大津市SL愛好会の皆様に守られ、多くの方々に見てもらっています。   (案内板より)

「貴婦人」と呼ばれるC57の1次型。琵琶湖畔の公園に保存。お召し牽引の経歴もある機関車。上屋付きで車体は油で磨かれており、状態は非常に良好。



非公式側は小さな広場になっています。ホームも設置されていますが、基本的には閉められているようです。



側面プレート周り。プレートもピカピカに磨かれていますが、ただの白い紙に印刷されただけの区名札は残念。製造銘板も磨きだしてほしいですね。



公式側の公園には遊具が設置されています。画像は掲載していませんが、足回りには刻印も確認できました。



後ろから。この機関車の先輪にはC54 4号機の刻印があるそうですが、残念ながら確認できませんでした。



今後もこの状態で保存していただきたいなと思います。



この後は、大津駅に戻って、琵琶湖線で草津へ。草津線に乗って手原のD51を訪問します。続く。

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