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2007年8月12日(日)開設
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ありがとう信越本線 臨時列車を撮影する
昨年3月7日の話。
この日は、3月14日ダイヤ改正により、平行在来線として第三セクターに移管される信越本線(長野〜直江津間)がJRとして最後の週末を迎え、多数の臨時列車が運転されるということで、撮影してきました。 まずは国鉄特急色N101編成の「ありがとう信越線」号、途中の黒姫駅で長時間停車して幕回しのイベントが行われましたが、運転中は「臨時」幕。さらに片側タイフォンも開いているということで、俯瞰気味に… ↑9317M 183・9系N101編成6B 快速"ありがとう信越線"@三才〜豊野間 スカ色C1編成の「信越線スイッチバック号」は陸橋を下りて下で。 ↑131D キハ110*2B 普通"十日町行"@同上 ↑345M 115系N32編成3B 普通"直江津行"@同上 ヘッドマークは掲出されませんでした。 ↑9351M 115系C1編成6B 快速"信越線スイッチバック号"@同上 移管準備のため、長野〜妙高高原間においてしなの鉄道115系の試運転も行われており、ちょうどC1編成と豊野で交換するダイヤでした。 ↑試9***M 115系S12編成3B 試運転@豊野〜三才間 午後の撮影のため下り方面に移動しますが、乗車する直江津行きは豊野で"妙高4号"と交換。 ↑3324M 189系N102編成6B 普通"妙高4号"@豊野 「ありがとう信越線」号の運転に合わせて、側面のASAMAロゴが復活したN102編成が日中の妙高運用に充当。 その後やってきた直江津行きに乗車して、妙高高原へ。 12月にも北陸からの流れで一度訪れていますが、すっかり駅名票も交換され、あとはシールを剥がすだけになっていました。複線区間の妙高高原〜黒姫間で、「懐かしの特急みのり」号を待ちます。長野から先ほどの試運転が折り返してきました。 ↑試9***M 115系S12編成3B 試運転@黒姫〜妙高高原間 この日は湘南色のN9編成も信越線運用に入っていました。大サービスですね。 ↑346M 115系N9編成3B 普通"長野行"@同上 そして本番。T18編成の特徴である1500番台の4つ目ライトは直江津方でしたが、快速"くびき野"に格下げされた2002年以来13年振りの「みのり」最初で最後のリバイバル運転でした。 ↑9032M 485系T18編成6B 特急"懐かしの特急みのり"@同上 せっかくなのでN101編成の"ありがとう信越線"復路まで撮ります。 ↑3323M 189系N102編成6B 普通"妙高3号"@同上 復路も臨時幕でした。 ↑9318M 183・9系N101編成6B 快速"ありがとう信越線"@同上 駅に戻る途中で長野行きが来ました。 ↑348M 115系N32編成3B 普通"長野行"@妙高高原付近 妙高高原からは、妙高6号に乗って長野に戻れます。C1編成の「信越線スイッチバック号」、復路も車内はガラガラの状態でした。何せ黒姫で妙高6号に抜かれるので、仕方ありません… ↑9352M 115系C1編成6B 快速"信越線スイッチバック号"@妙高高原 妙高6号は自由席は混雑していたようですが、指定券を購入していたので問題ありませんでした。長野到着前には信越本線のさよなら放送も流れました。 ↑3326M 189系N102編成6B 普通"妙高6号"@同上 長野からは新幹線で帰宅。
205系余剰車の配給輸送を撮影する
昨年2月12日の話。
この日は、205系余剰車の長野配給が運転されたので、撮影してきました。 この時期、既に南武線の205系は順次E233系への置き換えが進んでいましたが、武蔵野線の増発用としてナハ5・ナハ6・ナハ9の3編成が捻出され、組み替えを行いM51編成・M52編成となって転属しました。その際に余剰となったナハ5編成の両先頭車(クハ205-100・クハ204-100)と、長らく川越車両センターで休車となっていたサハ205-82の3両が長野総合車両センターへ配給されました。 ↑配9***レ EF64 1032[長岡]+205系3B 配給@日野〜豊田間 近年、特に関東では珍しい混結配給でした。 ↑同上@八王子 この日の撮影は以上。
若宮公園のD51 1119
昨年2月1日の話。前回記事の続きです。
神奈川県消防学校のクハ2657の後は、若宮公園のD51 1119号機を訪問。 ・車歴 製造年月日 1944年8月26日 製造所 日本車輛 1944年8月26日 平機関区 1949年8月12日 新鶴見機関区 1954年7月12日 大宮機関区 1958年4月17日 稲沢第一機関区 1959年4月1日 高山機関区 1962年6月26日 鷲別機関区 1967年4月23日 追分機関区 1976年3月1日 追分機関区にて廃車 案内板はこちら。 製造日から分かるように戦時形、追分機関区のSL全廃まで活躍しました。最後は追分機関区で廃車を迎えましたが、間一髪のところで火災を免れて保存されたカマ。 このカマの特徴は何と言っても「ギースル・エジェクタ」と呼ばれる煙突を装備していることで、これを装備した状態で保存されているのは全部で4機、関東ではこのカマだけとなっています。 保存会による公開日を除き、キャブ内は公開されていません。動輪は塗装されていますが、刻印も確認できました。 船底形テンダーも戦時形の特徴。 副灯付きで部品の欠落も無く、非常に素晴らしい状態で保存されていました。 この日は以上です。 | カレンダー
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