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2007年8月12日(日)開設
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2014年10月の横浜線
昨年10月の横浜線撮影分です。

・6日
台風接近に伴い、終日古淵〜東神奈川間で徐行運転が行われ、大幅に本数減&遅れが発生しました。朝から根岸線直通列車は東神奈川止まりになりましたが、入庫の関係で大船行きのみ運転されました。810Kは大幅に遅れたため小机止まりとなり、しばらく小机で留置された後、回送になったようです。


↑846K E233系H006編成8B 各停"大船行"

・10日
4日に疎開先の小山から返却されていたH8編成が、海外譲渡のためEF64 1031牽引で新津へ配給されました。


↑配9766レ EF64 1031[長岡]+205系H8編成8B 譲渡配給@原宿

・12日
尾久に疎開中のH27編成を撮影。



北斗星の入区の時間に合わせて行ったので並びも。



17日のH1編成の配給は沖縄にいたので撮影無し。

・21日
集約臨が運転されました。


↑9382M 185系B2編成8B 集約臨@片倉

・24日
21日に疎開先の尾久車両センターから返却されていたH27編成が、海外譲渡のためEF64 1031牽引で新津へ配給されました。

 
↑配9766レ EF64 1031[長岡]+205系H27編成8B 譲渡配給@五反田

かつて毎日のように走っていた山手線の線路を横目に、機関車に牽かれて帰らぬ旅へ。


↑同上(後追い)

新宿停で追い抜いて新大久保へ。こちらは後追いメインで。

  
↑同上@新大久保

H27編成を以て、約半年間続いて横浜線205系のインドネシア譲渡は完了となりました。譲渡配給コンプとは行きませんでしたが、配給のスジが早朝だったおかげでここまで追いかけることが出来ました。今では、毎週始発電車に乗って出かけていたことが遠い昔のように感じられます。いつか、インドネシアでの元気な姿を見に行きたいものです。

さて、205系はいなくなりましたが、引き続き横浜線の記録は続けております。

・26日
立川〜八王子〜中山間で、H017編成を使用した団体臨時列車"立川ひまわり号"が走行しました。復路までの時間、H017編成は橋本中線で留置され、新時代を象徴するような4並びが実現。

 

ヘッドマークの掲出はありませんでしたが、側面窓にはヘッドマークの絵柄が描かれた張り紙が貼られていました。

 

回送で中山へ。


↑回9324M E233系H017編成8B 臨時回送

中山から乗客を乗せて立川へ。横浜線E233系、疎開で新宿〜武蔵小金井間は走行歴がありますが、八王子〜立川間は初走行でした。


↑9526M E233系H017編成8B 団体臨時列車"立川ひまわり号"@八王子〜豊田間


↑同上@豊田〜日野間

運転後には、立川〜八王子〜橋本間で返却回送されています。

 
↑回9326M@八王子

10月の撮影分は以上になります。撮影できなかった動きは以下のとおりです。置き換えが完全に終了したため、こちらの掲載は最後になります。
〜10月9日:H1編成が本郷台に一時疎開。
9月30日〜10月4日:H8編成が小山に一時疎開。
10月3日:H17編成が海外譲渡のため、EF64 1031牽引で新津へ配給。
10月9日〜10日:H1編成が国府津に一時疎開。
10月17日:H1編成が海外譲渡のため、EF64 1031牽引で新津へ配給。
10月21日:尾久に疎開していたH27編成が返却回送。

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川越車両センターまつり2014に行ってきた
昨年10月18日の話。前回記事の続きです。

「新しき村」の都電7022号を訪問した後は、高麗川から川越線に乗って川越へ。そこから1駅乗り換えて、この日開催された「川越車両センターまつり2014」に行ってきました。

昨年は何と言っても205系大集合、さんざん話題になったので多くは書きませんが、よくここまで集めたなぁと思いましたね。右からナハ34編成(疎開中)、ハエ28編成、R5編成、Y12編成、M35編成。



埼京線と南武線の並び。ナハ34編成は「武蔵中原」ハエ28編成は「埼京線直通⇄通勤快速武蔵浦和」を表示。



R5編成は「相模湖」Y12編成は「宇都宮線⇄黒磯」を表示。

 

M35編成は「しもうさ号 海浜幕張」を表示。

 

クモヤ143-11は回送表示でしたが、列番表示は「5963M(ご苦労さん)」でした。本線走行の機会はほとんどありませんが、構内入れ換えではまだまだ現役です。

 

各線区の205系がここまで集められるということは今まで無く、この並びの前は絶え間なく混雑していました。



その他の展示車両。185系C5編成は「あかぎ」表示で休憩用車両に。



ハエ116編成は運転台見学用車両。表示は適宜変えられていましたが、この時は「通勤快速 東京テレポート」。

 

庫内にはハエ101編成。列番表示が「205」。



検修庫の奥にはMue-Train。



最奥には休車となっていたサハ205-82、部品取り用になっていたこの車両、この後12月に大宮総合車両センターに入場し、南武線の余剰車とともに長野に送られています。



かつて埼京線で掲出されたヘッドマークも合わせて展示されました。

 

今年は埼京線・横浜線・南武線・京葉線・中央線のE233系が集められたようですが、残念ながら都合が付かず参加できませんでした。残念。

この日はこれにて帰宅。

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新しき村の都電7022
昨年10月18日の話。前回記事の続きです。

高麗川〜毛呂間で「八高線全通80周年記念号」を撮影後、近くの「新しき村」に保存されている都電7022号車を訪問。

・車歴
製造年:1954年
製造所:アルナ工機
1954年〜1968年まで運用

この電車は昭和29年頃製造された都電ですが、交通事情の変動で昭和43年廃車となりました。たまたま新しき村仲よし幼稚園がこの年開設され、園舎の補助として、当時東京都に勤めていた女性会員からの寄贈を受け、18年間園児の学習と遊戯の場となりました。昭和59年の幼稚園閉園後も、近くの子供達の利用に供して来ましたが、次第に汚損がひどくなり苦慮していた所、今般有志母親からの修繕の希望と寄付があり、たちまち大勢の賛同と協力が集まれ、新しくきれいに蘇らせる事ができました。誠にありがたく嬉しい事です。旧都電は今は残り少ない貴重な文化財との事ですし、長く大切に保存活用してゆきたいと思います。今後共皆様の御協力をお願いします。一九九六年春 財団法人 新しき村(案内板より)

1000形・1100形の台車を流用し、車体だけ新製された7000形の一次車。かつて村内幼稚園として使われていた車両。現在は同車番の車両が荒川線で走っていますが、そちらはこの車両の廃車後に番号整理のために改番されたものです。

 

台車は無く車体のみ、現在は数年前から少しずつ修繕中のようで赤帯がありません。屋根があるため、車体の腐食は進んでいないように見えます。



車内はほぼ幼稚園当時のままでしょうか、塗装は剥がれ始めていますが荒れてはいません。

 

保存場所は八高線の線路のすぐ近く、開けた場所の丘の上にあるので八高線の車窓からも見えます。訪問するまで「新しき村」はどんな所なのかほとんど知らなかったのですが、行ってみると何か懐かしい感じのする良い場所でした。

 

この後は、高麗川経由で川越車両センターまつりへ向かいます。続く。

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八高線全通80周年記念号を撮影する
昨年10月18日の話。

この日は、八高線全通80周年を記念して、八王子〜高崎間でDD51プッシュプル牽引による「八高線全通80周年記念号」が運転されたので、撮影してきました。

高崎〜小川町間ではDD51のハンドル訓練列車が走行することはありますが、小川町以南は客車列車が走ることがなかなか無いため、沿線はどこも賑わっていました。


↑235D キハ110系2B 普通"高崎行"@高麗川〜毛呂間

12系が3両編成で走るのも地味に珍しい出来事でした。


↑9221レ DD51 888[高]+12系客車3B+DD51 895[高] 快速"八高線全通80周年記念号"@同上

後ろはHM無し。

 
↑同上(後追い)

この後は、この撮影地の近くにある"新しき村"の都電の保存車を訪問。続きます。

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那覇市与儀公園のD51 222
昨年10月17日の話。

この日は、那覇市与儀公園のD51 222号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1938年12月18日
製造所 小倉工場
1938年12月18日 大里機関区
1941年5月4日 直方機関区
1943年11月27日 熊本機関区
1971年5月14日 南延岡機関区
1973年1月10日 南延岡機関区にて廃車

沖縄の本土復帰(昭和47年5月15日)を記念して、北九州市の日本国有鉄道門司鉄道管理局の有志の方々によって、沖縄の子供を招く運動が展開されました。そのとき那覇市内の小学校5・6年生72名が招待され、国鉄職員の里親のもとで、8日間の楽しい生活を送りました。
 はじめてみる九州の自然や暖かく迎えていただいた里親の心づかいに子供たちは感激するとともに、身近に見た蒸気機関車の巨大さ、たくましさにすっかり心をうばわれ、口々に機関車がほしいと言いだしました。それを聞いた里親である国鉄職員の方々は、鉄道のない沖縄の子供たちのために、何とか九州を走っている実物の蒸気機関車を贈ろうということになりました。
 ところが、鹿児島から海上600キロメートル隔てた那覇へ重さ90トンのD51を運ぶことは高度の輸送技術と莫大な費用がかかりましたが、重量運搬について経験深い業者の協力と、国鉄職員をはじめ全国の方々からの1千4百万余円の募金によって、無事その偉業が実現しました。
 ここに展示されているD51 222は、このような経過のもとに贈られたものですが、関係各位の努力はもとより、沖縄を思う親愛の情の象徴としていつまでも大切に保存したいものです。(案内板より)

公道に面した公園入口付近に保存。今帰仁村のC57 87号機が2005年に解体されてからは、沖縄県内唯一の保存機となっています。

 

塗装に痛みが出ていた時期もあったようですが、現在は数年に一度、沖縄県自動車車体整備協同組合の方々の手によって補修作業が行われており、状態は良好です。ナンバープレートの色は銀文字ですが、見栄えは悪くありません。ガラスが割られてしまった前照灯には自動車のホイールが入れられている様です。

 

動輪は塗装が厚く刻印は確認できませんでした。側面プレート・製造銘板は残っています。現役時代とは異なりますが、このカマの銀差しはなかなか良い感じですね。



後ろから。キャブ内へは階段が設置されていますが、フェンスがあるので通常は入れません。



保存時の記念式典では火が入れられ、汽笛の吹鳴などもあったそうです。大きな公園での保存ですので、保存の経緯も含め、これからも語り継がれてほしいと思います。

 

沖縄では、戦前は軽便鉄道が走っていましたが、戦後は長らく鉄道路線が存在しない状態が続きました。2005年、那覇空港〜首里間でゆいレールが開業し、沖縄に鉄道路線が復活した形になります。延伸計画もあり、利用も順調のようです。

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