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2007年8月12日(日)開設
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青梅鉄道公園の保存車(2)
7月28日の話。前回記事の続きです。

前回に引き続き、青梅鉄道公園の保存車をご紹介します。

110号機。

・車歴
製造年 1871年(国鉄10号機として)
製造所 Yorkshire Engine
1886年秋 江尻機関区
1909年10月1日 110号機に改番
1920年6月 東京鉄道管理局
1923年12月 大宮工場にて保存
1924年4月10日 新橋機関区にて廃車

明治4年(1871年)、イギリスのヨークシャー・エンジン社で製作され、鉄道創業時に「10号機関車」として新橋ー横浜間に使われ、のちに「3号機関車」と呼ばれた最も古い機関車の一つです。
明治42年(1909年)に「110号機関車」と名前を改め、その後、各所で活躍した後、大正7年(1918年)まで汐留駅構内入換に使われていました。
大正12年(1923年)から昭和20年まで国鉄大宮工場の鉄道参考品陳列所に展示され、陳列所がなくなったあとも、ずっと工場に保管されていたものです。昭和36年10月14日鉄道記念物(16番目)に指定されました。(案内板より)

大宮工場時代に切り開かれたままでちょっと残念な状態です。公式側は切り開かれていないのですが、こちら側には案内板が立てられており、すっきりと見ることはできません。

 

動輪には薄いながらも刻印が残っていました。こちらは164号機のものが転用された?



キャブ内。



後ろから。



続いて5540号機。

・車歴
製造年 1897年(175号機として)
製造所 Beyer Peacock
1906年5月31日 盛岡機関区
1909年10月1日 5540号機に改番
1931年3月31日 白山機関区
1935年3月31日 大館機関区
1940年3月31日 新鶴見機関区
1941年3月31日 高島機関区
1951年5月31日 横川機関区軽井沢支区
1953年9月 五稜郭機関区
1955年8月1日 札幌工事局
1962年10月26日 札幌工事局にて廃車

この形式は明治時代の後半より大正初期にかけて旅客列車用として愛用された機関車です。当時60両もありました。
この機関車は明治30年(1897年)英国のバイヤーピーコック社で製作され第一線で活躍した後は入換機として使用されたのち札幌工事局で、昭和36年まで工事用として活用されていました。(案内板より)

明治製の中型蒸気。一部は国鉄から引退後私鉄に譲渡されており、東武鉄道の譲渡車は多く保存されていますが、国鉄仕様で残っているのはこの5540号機のみ。

 

キャブ内。



後ろから。



続いて2221号機。

・車歴
製造年 1905年(470号機として)
製造所 North British,Hydepark Works
1905年 陸軍野戦鉄道堤理部
1909年 国内帰還
1909年10月1日 2221号機に改番
1931年3月31日 熊本機関区
1932年3月31日 鹿児島機関区
1943年3月 青森機関区
1949年3月1日 東能代機関区
1955年8月1日 土崎工場
1960年5月7日 土崎工場にて廃車

この形式は明治時代のタンク機関車としての強力機関車で日露戦争(1904〜5年)当時急にアメリカやイギリス、ドイツなどに注文し一部は満州でも使われました。当初はB6形と呼ばれ両数も多かったので(最も多いとき268両)貨物列車用や勾配線用として至るところで活躍し戦後もしばらくの間入換用として使用されていました。
この機関車は明治38年8月(1905年)英国のノーズブリティッシュ社で製作され昭和30年3月まで使用されました。(案内板より)

製造後の数年間は満州で使用、帰国後は九州を経て東北で引退したカマ。



動輪は塗装されています。刻印は確認せず。



キャブ内。



後ろから。



続いて、8620号機。

・車歴
製造年月日 1941年4月3日
製造所 汽車製造
1941年7月20日 鳥栖機関区
1922年 吉松機関区
1927年4月1日 若松機関区
1936年1月31日 高知機関区
1939年3月31日 備後十日市機関区
1940年3月31日 松山機関区
1958年9月11日 松山機関区にて廃車

この形式は明治末期に輸入された各種の機関車の長所を取入れ、日本で設計製造された非常に優秀な性能をもった機関車です。全部で670両もつくられ、各地の幹線旅客列車用として使われた大正時代の国鉄を代表する機関車です。
この機関車は大正3年(1914年)汽車会社によってつくられ九州で活躍後、昭和10年四国に移され、昭和33年9月廃車となったもので多度津工場(香川県)に保存されていました。(案内板より)

ハチロクのトップナンバー。

 

動輪は塗装されています。薄い塗装のため刻印も確認。



プレート周り。



キャブ内。



後ろから。



最後に、9608号機。

・車歴
製造年月 1914年1月
製造所 川崎重工
1914年1月30日 神戸鉄道管理局
1931年3月31日 亀山機関区
1933年3月31日 奈良機関区
1933年7月31日 奈良機関区加茂支区
1934年3月31日 姫路機関区
1935年3月31日 鷹取機関区
1938年4月30日 奈良機関区加茂支区
1939年3月31日 鳥取機関区
1941年3月31日 福知山機関区
1943年3月31日 吹田機関区
1958年9月 竜華機関区
1962年7月23日 大宮機関区(保存のため)
1962年10月26日 大宮機関区にて廃車

この形式は大正時代の代表的な貨物機関車で充分な火室面積を得るため動輪上に火室を置いたのが特長で、このためボイラ中心線は非常に高いが引張力は強大で、大正12年(1923年)D50形式が出現するまで貨物列車用や勾配線用の標準形として毎年製造され、その両数は784両にもなりました。テレビ映画「旅路」に登場したのもこの形式です。
この機関車は大正2年(1913年)川崎造船所兵庫工場で製作され、昭和37年7月まで関西方面で使用されていました。(案内板より)

こちらも大正生まれのキューロク。

 

動輪は塗装されています。



プレート周り。



キャブ内。



後ろから。



むさしの奥多摩号は結局夕方まで上って来ず。この日はこれにて帰宅。

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