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2007年8月12日(日)開設
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485系快速"あいづ"を撮影する 2日目
昨年4月26日の話。前回記事の続きです。
会津遠征2日目は、保存車訪問はせず、485系快速「あいづ」を撮りつつ合間の時間には会津を観光しました。観光については次回記事で書くとして、今回は快速あいづのお話です。 あいづ2号は東長原の旧専用線跡地にて。 ↑3234M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ2号"@広田~東長原間 折り返しの1号は順光撮影地が少ないのでスルーして、4号は念願だった滝の原にて…残雪の磐梯山と雲一つない青空、素晴らしい締めになりました! ↑3238M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ4号"@磐梯町~更級(信)間 撮影後は東山温泉で汗を流し、会津若松駅へ。 帰りは「あいづ6号」を利用。指定席券を手元に残す意味もあって指定席を取っておきましたが、日曜の観光帰りの時間だったこともあり自由席はかなり混雑していたようです。 ↑3240M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ6号"@会津若松 列車は定時で郡山に到着し、あいづ5号まで時間があるためいったん引き上げていきました。 ↑同上@郡山 2日通してとても天気が良く、気持ちの良い撮影行でした。以上です。 PR
やすらぎの郷 会津村の会津鉄道キハ8503[移動]
※現存しません。ご注意ください。
昨年4月25日の話。前回記事の続きです。 広田のストレートであいづ6号を撮影した後、会津若松駅への道すがら、「やすらぎの郷 会津村」駐車場に保存されていた会津鉄道キハ8503を訪問。 ・車歴 製造年 1991年 製造所 日本車輌製造 1991年3月16日~2001年9月30日 名鉄新川検車区 2002年3月23日~2010年5月30日 会津鉄道「AIZUマウントエクスプレス」で運用 2011年頃 廃車 名鉄のJR直通特急「北アルプス」用として5両が製造されたキハ8500系のうちの1両。会津鉄道での運用を終えた後、愛知県に里帰りして保存される予定でしたが、東日本大震災が発生し、保存場所が会津村に変更されました。 駐車場に露天で保存されており、保存状態は悪く、セコムのステッカーが至るところに貼られて車内への立ち入りは出来ませんでした。 この他にもう1両、キハ8502が保存されていましたが、シートを被っている状態であったため撮影していません。 この後、2015年8月頃に2両ともマレーシアに譲渡され、今年3月頃から運用されている模様です。まさか放置同然だったこの車両が、海外で第三の車生を送ることになるとは思いませんでした。
485系快速"あいづ"を撮影する 1日目
つい先日「ひばり」・「あいづ」・「つばさ」としてA1・A2編成の引退運行が行われましたが、まだ磐越西線を元気に3往復していた頃のお話です。
昨年4月25日の話。前回記事の続きです。 日中線記念館を訪問した後は、磐越西線へ。485系快速「あいづ」の撮影に向かいました。 485系による「あいづライナー」の運行は昨年3月のダイヤ改正で終了し、以降は719系による無名の快速列車がほぼ同じ時刻に運転されていますが、福島DC期間中には485系が代走する形で快速「あいづ」として復活していました。 GWが始まった週末、かつ土日ともに終日晴れの予報で、沿線はどこも大賑わいでした。つい先日のラストランではそれを遙かに上回る人出でしたが… ↑1236M 719系H-**+H-**+H-14編成6B 普通"郡山行"@磐梯町~東長原間(後追い) ↑3239M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ3号"@同上 ↑3240M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ6号"@会津若松~広田間 夜には会津若松駅であいづ5号を出迎え。 ↑3241M 485系A1・A2編成6B 快速"あいづ5号"@会津若松 昼間の喧騒が嘘のように、1日の運用を終えた485系が静かに休んでいました。 ↑同上 その他、停車していた列車を撮影。 ↑1240M 719系H-10編成2B 普通"郡山行"@同上 磐越西線野沢行き、早朝・夜間のみ只見線のキハが運用に入ります。後ろは「只見ユネスコエコパーク」のラッピング車。先頭のキハ40 562は石巻線から転属してきたキハ40の冷房車に置き換えられ、2016年2月を以て運用を離脱。現在ではミャンマーに譲渡されています。 ↑241D キハ40 562+キハ40 2085 普通"野沢行"@同上(上記2点) 只見線の最終列車、こちらのキハ40 549も562と同様にミャンマーに譲渡されました。 ↑437D キハ40 549+キハ40 *** 普通"会津川口行"@同上 1日目の撮影は以上。2日目も、快速あいづを追っかけます。続きます。
熱塩駅日中線記念館の保存車
昨年4月25日の話。前回記事の続きです。
一ノ戸川橋梁でDL青い12系客車号を撮影した後は、喜多方駅から伸びていた日中線の廃線跡にほぼ沿って、旧熱塩駅舎の「日中線記念館」へと向かいました。 日中線は1987年に廃止となり、線路は全て撤去されましたが、かつての終点・熱塩駅舎を利用して「日中線記念館」が開館しています。 構内には2両の保存車が設置されています。 まずは除雪車・キ287から。 ・車歴 不明。詳細が分かり次第追記します。 1928年から1956年にかけて製造されたキ100形除雪車のうちの1両。蒸気機関車に押される形で除雪を行っていた車両(貨車扱い)です。 数年おきに整備されているようで、訪問時は非常に綺麗な状態でした。 車内にも入ることができます。車内に入れる除雪車の保存車両は珍しいですね。 キ287の後ろにはオハフ61 2752。 ・車歴 製造年:1955年 製造所:国鉄長野工場 1955年 長野工場にてオハフ61 752として車体新製 19**年 電気暖房改造時に番号+2000 1984年6月7日 福島貨客車区にて廃車 日中線でも運用されていた旧型客車のうちの1両。こちらも状態は良好です。 車内には日中線の現役時代の写真が展示されていますが、冷房の増設等は無く、ほぼ現役時代のままと思われます。白熱灯も点灯する状態です。 訪問時は桜が見頃で、近くの熱塩温泉への観光も兼ねてか多くの方が日中線記念館を訪問されていました。 以前は路線バスでアクセス出来たようですが、現在では廃止となっています。訪問の際には十分ご注意ください。 この後は、485系快速"あいづ"の撮影に向かいました。続きます。
DL青い12系客車号を撮影する
昨年4月25日の話。前回記事の続きです。
日中線遊歩道のC11 63号機を訪問した後は、「DL青い12系客車号」を撮影するため、磐越西線の一ノ戸川橋梁へとやってきました。 山都~喜多方間にかかるこの橋梁は、1908年に完成した非常に歴史あるもので、天候や季節によって様々なシーンが撮影できる磐越西線の超有名撮影地。今回はC57 180号機が全検中ということでDE10の代走牽引ではありますが、今時DE10がオリジナルの12系客車を牽くことも数えるほどしかありませんので、SL運転時ほどではないにしろ多くの撮影者で賑わっていました。全長約450mの大きな鉄橋ですので、キャパの心配もなくのんびりと列車の通過を迎えました。 ↑9226レ DE10 1700[新]+12系客車6B 快速"DL青い12系客車号"@山都~喜多方間 次回はぜひともSLばんえつ物語運転時に訪れたい場所です。この後は、旧熱塩駅日中線記念館を訪問。続きます。 | カレンダー
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