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2007年8月12日(日)開設
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上熊谷駅前のクハニ22
5月1日の話。前回記事の続きです。

仙元山公園のD51 885号機の後は、上熊谷駅前のバーで使用されている秩父鉄道クハニ22を訪問。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

秩父鉄道クハニ20形の1両で、かなり前からここで飲食店等で使用されているようです。ド派手な真っ赤な塗装。



車体は2分割にされ、90度の角度で設置されています。いきなり豪雨が降ってきたので急いで退散っ(汗)



−おまけ−
熊谷駅に留置中だった秩父鉄道の車両たち。





1002Fはこの時点で休車になっていたようで、5月19日の秩父鉄道わくわくフェスタ2012会場直通列車の運転を以て引退しています。国鉄・JR101系時代から長年の活躍、本当にお疲れさまでした。秩父鉄道の1000系リバイバルカラーもだいぶ減ってきました。

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鴻巣市吹上小学校のDE10 11[解体]
4月21日の話。前回記事の続きです。

パレオエクスプレスの後は、吹上小学校のDE10 11号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1968年2月16日
製造所 汽車製造

私DE10 11号は昭和43年2月16日 汽車製造株式会社大阪製作所により誕生いたしました液体式ディーゼル機関車です。
DE10形というのはD:ディーゼル機関車 E:動軸数(5軸) 10:最高速度85km/hを表わしています。
エンジンは61ℓ、1250馬力のディーゼルエンジンです。皆さんのお父さんの乗用車の30倍〜40倍の排気量の機関車です。体重は今60tonあります。(案内板より)

秩父鉄道で動態復活された363号機に替わって保存されたDE10の若番機。



長い間整備されておらず、塗装は禿げ錆びが進行しています。貴重な若番機なのですが。



側面。SLでも荒廃しているものも多い現状、ディーゼル機関車だと致し方ないのかもしれません。



後ろはナンバーも落ち、かなり痛々しい見た目です…



ここまで手つかずだと、解体もされないかもしれませんが…整備されることはあるでしょうか。



この後は、高崎線を上ります。尾久駅の出発線で485系を見つけたので観察。続きます。

※2015年8月頃、老朽化のため解体されました。

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和光市第四小学校のC12 85
4月2日の話。

この日は、春らしい良い天気だったので、首都圏近郊の保存車をポタリングしながら回ってきました。まずは和光市第四小学校のC12 85号機を訪問。

・車歴
製造年月 1934年8月
製造所 汽車製造
1934年 木更津機関区
1954年11月 浜川崎機関区
1955年8月 国府津機関区
1958年12月 大宮工場
1969年6月 大宮工場にて廃車

この機関車は、昭和9年に小型タンク蒸気機関車として製造され、静岡県の御殿場線の国府津機関区に配置されていました。
 その後、昭和34年から大宮市の大宮工場で働いていましたが、昭和47年までにはすべての蒸気機関車が鉄路から姿を消し、この機関車も大宮工場の片隅に放置されたままになっていました。そこで当時の第四小学校PTAの役員さんや町の協力により第四小学校の校庭に置かれることになりました。(案内板より)

敷地外からも見る事ができます。現在ボランティアの手によって整備活動が行われています。



このカマの特徴は「鐘」。現役末期は大宮工場の入れ換え機として過ごしました。他にこの鐘が見られるのは山丸公園のC12 29せせらぎ公園のC11 322など。





後ろから。



中で作業されている方がいらっしゃったので許可を取り、敷地内でも観察することができました。



現在は道路側を整備しており、校舎側はその後に整備するそうです。キャブ内の整備も合わせて行っているそうで、今後同機が良い状態に復元されることを望んでいます。



続いて、北鹿浜公園のC50 75号機を訪問。続きます。

2014年頃に整備が完了し、お披露目が行われました。

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入間市の営団440
3月20日の話。前回記事の続きです。

小手指公園のD51 118号機の後は、入間市の幼稚園で利用されている営団(当時)丸ノ内線440号車を訪問。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

入間市内の幼稚園に売却された丸ノ内線の440号車。



狭苦しいところに保存されていますが、状態は良好そうです。





画像は全て敷地外から撮影しています。

この後は、田無の都電5011号車へ。続きます。

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小手指公園のD51 118
3月20日の話。前回記事の続きです。

クハ1150の後は、小手指公園のD51 118号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1938年7月30日
製造所 川崎重工

1938年7月30日 岩見沢機関区
1957年2月 新得機関区
1957年9月5日 富良野機関区
1969年3月4日 岩見沢機関区
1974年4月28日 遠軽機関区
1975年3月10日 追分機関区
1976年3月19日 追分機関区にて廃車

蒸気機関車D51 118は、昭和13年7月30日、兵庫県神戸市にある当時の川崎車両株式会社で誕生しました。
その年、北海道は石狩平野の広大な平野の中、岩見沢機関区に配属され、20世紀文化の先駆として、その力強い第一歩を踏み出し、昭和31年新得機関区、昭和32年富良野機関区、昭和44年再び岩見沢機関区、昭和49年津軽機関区、そして昭和50年追分機関区に配属され、夕張線を最後に38年間の長い年月を北海道で活躍し、その総走行距離は地球を約60周する2419862キロメートルを走り続け昭和51年3月廃車されました。このたび私たちの街で第2の人生を送ることになりましたが、このD51 118は所沢市の力強い発展と次代をになう青少年に勇気と励ましを呼びかける新しいシンボルとして大切に保存することになりました。(案内板より)

あいにく訪問日は公開されていなかったので、柵の外から観察。主灯が紛失しており痛々しいですが、そこまで状態は悪くありません。



車体は錆が出ていますが、今ならまだ何とかなるかと思われます。再整備されれば良いのですが・・・。





北海道型ということで、タブレットキャッチャーも装備。動輪は塗装されています。プレートは全面残っており、部品の紛失という点は特に心配ありません。ただしやはり主灯が無いのが残念です。



後ろから。後部灯は残っています。



ホームも設置されており、キャブ内も公開されているようです。



公開日:月・火・木・金曜日 10:00〜16:00(祭日は公開されません)

この後は、入間市内の営団440号車を訪問。続きます。

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