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2007年8月12日(日)開設
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御代田町交通記念館のD51 787
5月5日の話。前回記事の続きです。

・車歴
製造年月日 1943年9月29日
製造所 汽車製造
1943年10月7日 水戸機関区
1954年7月10日 木曽福島機関区
1971年4月17日 木曽福島機関区にて廃車

御代田駅旧スイッチバック跡にて保存されています。10年ほど前に整備されてから、保存会の手によって完璧な保存状態を保っています。



この日は公開日、柵内で見学することができました。



動輪は磨きだされており、動輪も確認できました。





側面プレート周り。



キャブ内も完璧。一部足回りは圧縮空気により作動し、公開日に実際に操作することができます。素晴らしいですね。



後ろから(柵外より)。



とにかく素晴らしい状態で、その気になれば動態復活も可能かもしれません。



最寄り駅:しなの鉄道御代田駅 徒歩約5分

この後は、上田電鉄別所線に向かいますが・・・接続列車の関係で小諸駅で時間がありますので、少し撮影を。続きます。

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旧軽井沢駅舎記念館の保存車
5月5日の話。前回記事の続きです。

小諸城址のC56 144号機の後は、軽井沢へ。(旧)軽井沢駅舎記念館の保存車を訪問。



まずは、記念館入口に展示されている草軽電鉄デキ13。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

この機関車はデキ12形機関車といいアメリカのジェフェリー社で大正九年に製作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。
 大正四年七月より草軽軽便鉄道営業を開始、大正十五年軽井沢〜草津間(五十五・五キロ)の電化が完成してから、昭和三十七年一月三十一日路線を廃止するまでの約三十五年の間、地元民の足として、また、旅行者・避暑客の良き案内人として親しまれた電気機関車である。
 南側の一対の車輪は、同機関車が牽引した客車の車輪である。(案内板より)

草軽電鉄で使用されていた機関車。



続いて館内に入っていきます。旧ホームを使用して、碓氷峠で使用された2両の電気機関車が展示されています。まずはEF63 2号機。

・車歴
製造年月日 1963年3月6日
製造所 東芝
1998年3月20日 高崎第二機関区にて廃車

昭和30年代、国鉄の輸送量増大、速度向上の施策に伴い、それまでのアプト式鉄道に変わり急勾配線をレールと車輪による粘着のみにより、安全に押し上げて力行登板し、また押しとどめながら抑速降板できる粘着運転可能な電気機関車としてEF63型機関車が開発されました。
日本の最急勾配(66.7パーミリ)線である横川・軽井沢間の碓氷峠専用補助機関社として本務機用EF62型機関車と同時に開発された形式です。
昭和37年〜51年に試作車1号機を含む、総数25両が製造されました。
 特徴としては、他の機関車にはみられない独特の特殊な保安装置が装備されています。台車にはコイル励磁により電磁石をレールに吸着させる「電磁吸着ブレーキ」、列車暴走を防ぐために遊輪を用いた「加速度検知装置(OSR)」、勾配上で長時間停車した時にブレーキの空気圧が低下してもブレーキが緩まないための「ロックシリンダ装置」や「主電動機電機子短絡装置」により転動時に強力な発電制動が作動するなど、暴走事故を防止する幾重ものバックアップ機能を備えていのす。また架線停電時も保安装置が作動するよう大容量の蓄電池が備えられています。
 横川・軽井沢間の全列車に重連で坂下の横川方に連絡し使用されましたがEF62型電気機関車や169系、189系、489系電車とは、全てEF63型電気機関車から制御され協調運転ができました。これにより峠で輸送力を落す事なく普通運転ができ、他の幹線系列車と同一の輸送力を発揮する輝かしい成果をあげました。
 平成9年9月まで活躍し、長野新幹線の開業によりその任を終えました。(案内板より)

1エンド側から。5年ほど前?に整備されたようで状態は良好です。





1エンド側のキャブ。窓が曇っており見づらいのですが、立ち入ることはできないので部品もよく残っています。



側面。製造銘板も残存。



2エンド側のキャブ。



2エンド側。



こちらは、ホームから。1エンド側。



続いて、アプト式10000(EC401号機)

・車歴
製造年月  1912年2月
製造所 AEG社
1941年 京福電鉄に譲渡
1964年2月17日 京福電鉄にて廃車

明治44年(1911)ドイツAEG社で製作されたわが国最初の電気機関車で、横川機関区に配属されもっぱら横川−軽井沢間を往復していました。この機関車の特徴は車体の下に歯車をとりつけ、2個の電動機のうち1個をつかってこの歯車をまわし、この歯車がラックレールにかみ合って急こう配を上り下りするようになっていること、また車体の両側にコレクターシュー(集電靴)をとりつけ、線路のわきのサードレール(第三軌条)から電気をとって走るようになっていることなどです。とくにトンネルが小さくパンタグラフが使えないので、このような集電方式がとり入れられました。
 この機関車もその後もED40、41、42型などの電気機関車が製作されたので、だんだん影をひそめ昭和16年(1941)2月、4両が京福電鉄(福井県)に払い下げられました。昭和38年7月国鉄大宮工場で復元し同年10月アプト式線路とともに鉄道記念物に指定しました。(案内板より)

案内板にもある通り、鉄道記念物に指定されている機関車。



キャブ内。



側面プレート。



反対側も。



この後は、湘南色で運用中のしなの鉄道169系S52編成を狙います。続きます。

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小諸城址懐古園のC56 144
5月5日の話。

この日は、長野県の保存車を訪問してきました。

東京6:24発あさま501号でまずは軽井沢へ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
軽井沢からしなの鉄道に乗車して、まずは小諸城址懐古園駐車場のC56 144号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1938年6月4日
製造所 日立製作所
1938年6月4日 深川機関区
1943年1月 中込機関区
1972年8月30日 吉松機関区
1972年11月10日 中込機関区
1973年1月10日 長野機関区にて廃車

昭和9年10月1日 民営の佐久鉄道が東日本旅客鉄道株式会社長野支社に買収されて、小海線と改名されました。この小海線(小諸〜小淵沢間79km)は海抜1374.9mの日本一高いところを走っている高原鉄道として有名です
昭和13年6月4日 この機関車は日立車両製作工場で製作されました。価格は63,900円だったそうです。
昭和13年6月22日 小海線の中込機関区に配置され輸送の主役として35年間活躍し、走行距離は1624047kmです。
昭和48年2月1日 東日本旅客鉄道株式会社長野支社から小諸へ貸与されました。(案内板より)

8年ほど前に整備され、汽笛も復元されたようなのですが、現在は少し錆が目立つ状態です。



周辺には木々が生い茂っており、なかなかすっきりと見ることはできません。前照灯が紛失しており残念です。



動輪は塗装されています。



側面はプレートのみ残存、明らかに製造銘板を剥ぎ取ったと思われる跡がありました。



後ろから。



小海線ともゆかりのあるカマですので、整備され再び美しい状態になることを願っています。



最寄り駅:しなの鉄道・JR小海線小諸駅 徒歩約7分

この後は、(旧)軽井沢駅舎記念館へ。続きます。

−おまけ−
爽やかな春の小諸城址。

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