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2007年8月12日(日)開設
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野辺山民俗歴史自然公園のC56 96
8月4日の話。前回記事の続きです。

清里駅前のC56 149号機の後は、野辺山民俗歴史自然公園のC56 96号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1937年3月15日
製造所 日本車輌
1937年3月15日 稲沢機関区
1937年9月 釧路機関区
1937年12月 岩見沢機関区
1942年8月 帯広機関区
1942年12月 苗穂機関区
1949年6月 白山機関区
1950年8月 中込機関区
1955年8月1日 飯山機関区
1968年3月31日 上諏訪機関区
1972年3月 長野運転所
1973年6月 木曽福島機関区
1973年7月20日 木曽福島機関区にて廃車

この蒸気機関車は昭和十二年三月より北海道の原野を走り昭和二十五年八月から中込機関区に転属し戦後の混乱期に貨客混合列車として登場、小海線の輸送に活躍した国鉄の合理化により昭和四十八年六月廃車となる。同年十一月十七日に長野鉄道管理局より貸与を受け野辺山高原へ永住することとなった.昭和五十年八月四日より「高原列車SLホテル」として全国のSLファンに親しまれてきたが客車などの老朽化に伴い昭和六十二年三月に業務を廃止し平成元年九月歴史民俗自然公園へ移転し、永久保存されることになりました。(案内板より)

定期的に整備されているようで状態は良好です。

 

小海線で走った期間は一時期でしたが、ゆかりのある機関車として保存されたのでしょう。



動輪は塗装されています。



側面プレート周り。



後ろから。

 

訪問時は夕日が綺麗に当たり輝いていました。



最寄り駅:野辺山駅 徒歩約5分

この日はこれにて帰宅。

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中央本線旧線廃線跡の富士急3100形
8月4日の話。前回記事の続きです。

小淵沢小学校のC56 126号機の後は、信濃境の廃線跡の富士急3100形モハ3101・モハ3102を訪問。

・車歴
製造年 1956年
製造所 日本車輌製造
1997年 廃車

富士急行がまだ富士山麓電気鉄道だった時代に製造された車両、製造からすでに今年で56年目。山奥の廃線跡でひっそりと保存されています。



モハ3101側にはブルーシートが掛けられ、前面は見ることができません。2両とも現役時代とは違う塗装に変えられていますが、こちらも経年劣化によりだいぶ薄くなっています。



モハ3102。

 

車両に向けられている階段が腐りかけており危険だったので、車内の観察はできませんでした。



・・・管理されていない廃線跡なんて、夏場に訪問するものじゃありませんね。草はそんなに生えていませんでしたが、とにかく虫が凄いこと・・・数分で退散です。

この後は、清里駅前のC56 149号機を訪問。続きます。

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塩尻市役所のD51 155
5月5日の話。前回記事の続きです。

篠ノ井市民会館のD51 921号機の後は、大混雑の「しなの」の自由席デッキに乗って、塩尻市役所のD51 155号機を訪問。

・車歴
製造年月 1939年2月 
製造所 日本車輌
1939年2月10日 大垣機関区
1945年11月20日 大垣機関区
1950年5月13日 上諏訪機関区
1964年1月4日 長野機関区
1970年1月15日 稲沢第一機関区
1970年11月26日 中津川機関区
1973年2月3日 中津川機関区にて廃車

このD51155蒸気機関車は”デゴイチ”という愛称で親しまれ、昭和14年2月日本車輛株式会社で製造された日本の代表的な蒸気機関車です。まず東海道線米原機関区へ配属され、その後大垣、上諏訪、長野、稲沢第一、中津川の各機関区を経て昭和48年2月まで実に34年間の長きにわたって2158706Kmを走行しその使命を終了しました。
特に昭和25年5月より昭和45年1月までの間上諏訪、長野両機関区に配属され 中央西線、篠ノ井線、信越線等県下の主要線路で20年間を走りつづけ 客貨輸送を始地域の産業、経済、文化等の発展のために多大な貢献をしましたが国鉄の近代化に伴って昭和42年2月廃車となりましたので このなじみ深いD51155の貸与を受け、庁舎の一角に設置し 学校教育、社会教育等に役立てるべく 展示したものであります。(案内板より)

こちらも、長野県を走行していたことがあるカマ。



市役所の片隅に保存されていますが、定期的に整備されているようで状態は良好。



動輪は磨かれており、刻印も確認できました。





側面プレート周り。



キャブ内。機器類もよく残っています。



後ろから。



柵も屋根もないので、綺麗にサイドも見ることができます。



長野県の保存車は大切にされている物件が多くてとても感心しました。回り切れなかった物件についても、今後機会を得て訪問したいところです。



最寄り駅:JR塩尻駅 徒歩約7分

この後は、「はまかいじ」に乗車します。続く。

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篠ノ井市民会館のD51 921
5月5日の話。前回記事の続きです。

上田電鉄まるまどまつりの後は、上田に戻り、しなの鉄道に乗って、篠ノ井市民会館のD51 921号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1943年11月8日
製造所 川崎車輛
1943年11月15日 高崎機関区
1952年11月16日 木曽福島機関区
1972年4月28日 木曽福島機関区にて廃車

 このD51 921号は、D51形式では921番目に製造された機関車です。D51形式は、昭和初期、貨物輸送の花形であった貨物用大型蒸気機関車D50形の改良機関車として、昭和11年から製造を始め、前部で1115輛量産されました。一形式で最も多く製造された国産機関車です。
 この921号は、昭和18年に川崎車輛で誕生し、高崎機関区において就役した後、昭和27年から木曽福島機関区所属となって、篠ノ井線、中央西線の客貨輸送に20年間活躍してきました。黒煙をあげ力強くドラフトを響かせて木曽渓谷を走る雄姿は多くの人々に愛着をもって親しまれてきましたが、国鉄の動力近代化により、D51 921号は、昭和47年3月に30年にわたる栄光の終わりを告げたのであります。
 昭和47年6月、篠ノ井線全線開通70周年を記念して篠ノ井交通記念館を設置するにあたり、立派に役目を果たした921号を迎え、その雄姿を永くとどめるものであります。(案内板より 一部省略)

最近整備されたようで良い状態。現役時代は木曽福島に所属し、篠ノ井線でも活躍していたカマ。



時間が無かったので急いで観察。カマの周りは雑草だらけで、公式側は観察できず。



動輪は塗装されています。非公式側は駐車場の車に囲まれ、ヒキがありませんでした。



キャブ内。格子が設置されているため、機器類の破損は見受けられません。



後ろから。



駅から訪問の際には、目立たない場所に保存されておりますので、地図などでよく確認してから訪問したほうがよろしいと思います。

最寄り駅:しなの鉄道・JR篠ノ井駅 徒歩約7分

この後は、「しなの」で塩尻へ。塩尻市役所のD51 155号機を訪問。続きます。

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上田電鉄下之郷車庫のクハ5251
5月5日の話。前回記事の続きです。

下之郷車庫には、上田電鉄での運用終了後も、5200系クハ5251が保存されており、イベント等で公開されています。

・車歴
製造年月 1958年11月
製造所 東急車輛
1986年 上田交通に譲渡

相方のデハ5201は総合車両製作所(東急車輛)に里帰りして保存されていますが、こちらは廃車後も上田交通→上田電鉄に残り、倉庫として活用されています。



太陽の照り返しで輝くステンレス。



晴天の下で見るステンレス車は格別なものです。前照灯点灯・パンタ上げで現役のようです。



いろんな角度から激写。







通常は検修庫裏で保存、イベント時は下之郷駅横まで引き出されて展示されます。



この後は、篠ノ井市民会館のD51 921号機を訪問。続きます。

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