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2007年8月12日(日)開設
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19世紀ホールの保存車
8月10日の話。前回記事の続きです。

京都駅ではほとんど撮影は行わずに、山陰本線に乗って嵯峨嵐山駅へと向かいました。ここからは嵯峨野観光鉄道に乗車しますが、その前に19世紀ホールの保存車を見てきました。

嵯峨嵐山駅舎。



隣接する嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅。



隣接する19世紀ホール前にはD51 51号機。

・車歴
製造年月日 1937年7月22日
製造所 川崎車輌
1937年7月22日 吹田機関区
1939年1月9日 姫路機関区
1945年4月8日 福知山機関区
1959年8月4日 吹田第一機関区
1971年10月1日 吹田第一機関区で廃車

D51「デゴイチ」はSLの代名詞のような機関車で、D50形の近代化、改良型として製作され、その優秀な性能と構造において、我国SLの完成された姿とも言うべきで正に国産最大の名機である。
 その魅力、そのバイタリティーは「泣く子も黙るデゴイチ」と言われたほどである。
 この機関車は長く旧大阪局 吹田機関区に在籍しており東海道線・山陽線で活躍した昭和46年 吹田第一機関区でその役目を終えその後京阪電鉄「京阪くずはモール」で展示されていた。(案内板より)

現役時代からずっと関西を離れていないナメクジ形のD51。廃車後は30年以上、牧方市のくずはモールで保存されてきましたが、再開発に伴い嵯峨野に移されました。引きが無く、腕木式信号機もあるので全体を写すのは困難です。

  

目立つ場所にあるので、腐食も見られず良い状態です。塗装は厚塗り感があり、刻印は確認できませんでした。



このぐらい引きがあると撮影しやすいのですが。炭水車側から。

 

機関車の横には、C57 49・C57 52・C11 146の動輪を使用したオブジェが設置されています。



それでは館内に入ります。長いので続きからどうぞ。

拍手

館内には、4両(うち1両は前頭部のみのカットモデル)の機関車が保存されています。

中央には、国鉄最後の定期蒸気列車を牽引したD51 603号機の前頭部。

・車歴
製造年月日 1941年2月23日
製造所 日立製作所笠戸工場
1941年3月7日 宇都宮機関区
1946年1月10日 岡山機関区
1956年1月29日 金沢機関区
1962年6月11日 稲沢第一機関区
1964年1月18日 滝川機関区
1975年12月24日 SLの本線運転最終日、夕張線の5794レを牽引
1976年3月10日 滝川機関区にて廃車 追分機関区で保管
1976年4月13日 追分機関区火災により、煙室部分を残して焼失

このD51「デゴイチ」はSLの代名詞のような機関車で、その優秀な性能と構造において我国SLの完成された姿とも言うべきで正に国産最大の名機である。勾配線にも強く戦前戦後を貫いて世代の要請に応え大活躍を果たした機関車である。至上最多数の量産機関車で、東海道本線・山陽本線はもとより広く全国にその足跡を印し、我国産業の興隆と文化の進展に寄与した。晩年は北海道で活躍し昭和50年12月日本のSL最終運転を終え追分機関区に留置中昭和51年4月13日追分機関区の機関車々庫の火災に遭遇し、機関車の後部半分を焼失し煙室部分のみ焼け残ったと言われている機関車である。(案内板より)

追分機関区の火災では、新製直後だったDD51も数機焼けており、保存予定だったSLも多数失われました。このカマは国立科学博物館に保存予定でしたが、火事に伴いD51 231号機が保存されました。当時は完全に焼失し、解体されたものと思われていましたが、共栄興業によって焼失していない部分が保管されており、ここに保存されました。





係員の方が煙室扉を開けてくださいました。



「サビドメ」の字が煙室扉の裏側に残っていました。昭和56年ということは保存後に書かれたものですね。



続いて向かって左側にC56 98号機。

・車歴
製造年月日 1937年3月22日
製造所 日本車輛名古屋工場
1937年3月22日 岩見沢機関区
1955年8月1日 木次機関区
1961年 新潟機関区
1974年2月12日 浜田機関区にて廃車

この機関車は鉄道ファンから愛称で「ポニー」と親しまれ、その名のように軽快なリズムで走る愛らしい仔馬のようなSLである。
 C56は昭和10年頃から小型・軽量で最初からローカル線の客貨両用機関車として製作された。C12タンク機関車と共通設計で、ただタンクがテンダー化したものである。
 外観の大きな特徴はテンダーの両サイドを斜めにカットしている。これは転車台で転向しなくても、バック運転時の見通しを良くする為である。晩年は山陰線で活躍し米子鉄道管理局でその使命を終えた。(案内板より)

このカマも、廃車後は共栄興業で保管されていたものです。車体には一切腐食もなく、ほぼ完璧な状態で保存されています。



足回りは油で磨かれ、刻印も残っています。



炭水車のプレートは欠損。



向かって右側にはC58 48号機。

・車歴
製造年月日 1938年12月21日
製造所 川崎重工兵庫工場
1945年8月 豊後森機関区
1955年8月1日 大分機関区
1972年10月11日 釧路機関区
1974年3月20日 釧路機関区にて廃車

この機関車は「貴婦人」として名高い"貴婦人"の弟分でその長所を十分取り入れた性能をもち"8620""C50"の代替機としてC57より一年遅れて登場した名機である。
 C57と比較すると、先輪は1軸で動輪直径は1,520mmとひと回り小さく曲線に強く半径300mのカーブも平気であったと言われている。特に関西地方の至るところでよく働き 関西線・奈良線・和歌山線・紀勢線などのSL時代を最後まで頑張り続けたのがこのC58である。
 最後は昭和49年北海道の釧路鉄道管理局でその使命を終え勇退した。
                             (案内板より)

こちらも、廃車後は共栄興業で保管されていたカマ。全体が写せる位置にはチケットカウンターがあり、正面からのみの撮影になりました。北斗星HMはちょっといただけませんね。

 

こちらは後部プレートも付いていました。

 

D51 603号機の後ろには、教習用として鷹取工場で使われた若鷹号。

・車歴
製造年月 1921年9月
製造所 ドイツ コッペル社
年月日不明 阿波鉄道の4型7号として使用
1933年 国鉄に買収され、岡山機関区の入換用として使用
1939年9月 鷹取工場にて、若鷹号に改造

この若鷹号は、日本国有鉄道鷹取工場技能者養成所の生徒の手によって、昭和14年9月に改造された蒸気機関車で、若い鷹取工場職員の実習用に愛用されるというので若鷹号と名づけられました。この機関車の前身は、大正10年ドイツのコッペル社製の2軸動輪の小型機で、四国の東部を走っていた「4型7号」です。その後、岡山機関区の入換用に使用され、昭和12年春にその役目を終え鷹取工場に送られてきました。工場では、台枠を前後1,170mm延長し、動輪を後ろに移動し、スベリ棒、ピストン棒を長く、ボイラーを高く、運転室を広くするなどの改造を行い、小型ながらも当時としては近代的装備の機関車として蘇りました。
 平成12年3月をもって、JR西日本の鷹取工場が100年の歴史を閉じることになりましたが、若鷹号を廃棄することを惜しむ声が多く、トロッコ嵯峨駅の構内に展示し永くその雄姿を保存することとなりました。(案内板より)

19世紀ホールが完成する前から、トロッコ嵯峨駅の構内に保存されていたカマ。



今度は、先日オープンした大ジオラマ「ジオラマ京都JAPAN」へと進みます。長くなってしまったので次回に続きます。
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