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2007年8月12日(日)開設
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梅小路蒸気機関車館の保存車(2)
8月10日の話。前回記事の続きです。

前回に引き続き、梅小路蒸気機関車館の保存車をご紹介します。



では、続きからどうぞ。

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C51 239号機の隣には、1080号機とB2010号機が縦に2両展示。

1080号機から。

・車歴
製造年 1901年
製造所 ダブス
1901年 鉄道省 6289として使用開始
1926年2月7日 浜松工場にて鉄道省1080に改造
1940年10月11日 日鉄鉱業赤谷鉱業所に譲渡される
1957年1月 日鉄鉱業羽鶴鉱業所に移動
1980年 最終運転
2009年9月 梅小路蒸気機関車館にやってくる

1901(明治34)年にイギリスから輸入された「D9形651号機(後に6270形6289号機に改称)」は、東海道本線で急行列車などを牽引していた、明治を代表する機関車の一つです。
 その後、1926(大正15)年「1070形1080号機」に改造され、岐阜県の美濃太田機関区で活躍していましたが、後に日鉄鉱業株式会社に移り、同社の鉱山から産出される石灰石の輸送に1979(昭和54)年まで用いられていました。
                              (案内板より)

明治に活躍した小型機関車。このような機関車が1979年まで活躍していたとは驚きです。改めて、蒸気機関車の寿命の長さを実感させられます。



後ろから。



B2010号機。

・車歴
製造年 1946年
製造所 立山重工業
1947年5月17日 姫路第一機関区
1949年6月26日 鹿児島機関区
1972年9月22日 梅小路機関区
2002年10月14日 梅小路蒸気機関車館で動態復元

1945年(昭和20)から1946年(昭和21)にかけて15両が製造された構内輸送用の小型機関車です。
 当機は、姫路や鹿児島に所属していたもので、けん引も小さいので、構内で入換専用機として使用されていました。また、2002年(平成14)に当館開業30周年を記念して動態整備される事になり、見事復活しました。     (案内板より)

入換用機関車ということで、目立つことはありませんでしたが、生涯を裏方に徹したカマです。



形式入りプレートは今も輝いています。



後ろから。



動態修繕の際に取り替えられた部品。



9633号機。

・車歴
製造年月日 1914年11月4日
製造所 川崎造船所
1914年12月9日 新製配置
1933年4月1日 松本機関区
1938年2月3日 上諏訪機関区
1940年5月1日 甲府機関区
1941年7月14日 富山機関区
1941年9月18日 倶知安機関区
1955年3月29日 小樽築港機関区
1971年12月23日 苗穂工場にて全検を受ける
1972年9月24日 梅小路機関区
1979年3月28日 梅小路機関区にて廃車

1913年(大正2)から1926年(大正15)にかけて770両が製造された日本初の本能的な標準型国産機として量産された貨物用機関車です。当機は「キューロク」と呼ばれて親しまれ、1938年(昭和13)に上諏訪から北海道に渡り、最後は小樽築港で入換機関車として活躍しました。1967年(昭和42)放映のNHK朝の連続テレビドラマ「旅路」にも出演した機関車として有名です。
                               (案内板より)

東日本各地を転々とした後、北海道に渡って活躍したカマ。



すっきりとしたプレート周り。



炭水車側から。



C11 64号機。

・車歴
製造年月日 1935年3月17日
製造所 川崎車輛兵庫工場 
1935年3月28日 奈良機関区
1938年10月28日 湊町機関区
1939年2月25日 瀧川機関区
1939年3月26日 深川機関区
1939年11月5日 野付牛(北見)機関区
1940年5月1日 深川機関区
1940年10月6日 室蘭機関区
1944年10月17日 宮古機関区
1948年6月22日 仙台機関区
1954年10月7日 会津若松機関区
1972年8月6日 梅小路機関区
1986年5月30日 梅小路機関区にて廃車

1932年(昭和7)から1947年(昭和22)にかけて381両が製造された 小型のタンク機(炭水車を連結せず、機関車に石炭や水を積んだもの)です。タンク機関車の老朽対策や都市周辺部の増発サービスのため、C10形を改良し製造されました。当機は、奈良で都市近郊の快速列車として使用された後、函館では、ローカル線の旅客・貨物列車のけん引など幅広く活躍しました。      (案内板より)

北海道で1年程度活躍した後、本州に戻ってきたカマ。



「きかんしゃにのぼらないでください」の注意書きが無ければ、すぐに出庫していきそうなぐらいこのカマもピカピカ。



後ろから。



ここからは、細部の観察は不可能の動態保存機になります。案内板は全てありません。

C56 160号機。

・車歴
製造年月日 1939年4月20日
製造所 川﨑車輛
1939年5月20日 静内機関区
1940年2月10日 室蘭機関区
1942年1月30日 苗穂機関区
1942年9月11日 備後十日市機関区
1947年5月28日 津山機関区
1948年10月4日 岡山機関区
1949年9月14日 小郡機関区
1953年4月13日 鹿児島機関区
1954年10月26日 横浜機関区
1965年6月23日 上諏訪機関区
1972年5月17日 七尾機関区
1972年9月8日 梅小路機関区

北海道から小郡まで、全国各地で活躍したカマ。廃車はされず、動態保存されています。「SL北びわこ号」の牽引や、C58 1に代わるC57 1の相棒として「SLやまぐち号」の牽引を年に数回行っています。



やはり生きているカマは違います。この日は北びわこ号牽引直前だったため、すでにHMが掲出されていました。



C61 2号機。

・車歴
製造年月日 1944年7月30日
製造所 日本車輌名古屋工場
1944年7月30日 D51 1109号機として製造される
1948年7月31日 三菱重工にてC61 2号機に改造
1948年7月31日 仙台機関区
1966年10月23日 青森機関区
1971年5月17日 鹿児島機関区
1971年7月21日 宮崎機関区
1972年7月28日 鹿児島工場にて全検を実施
1972年9月13日 梅小路機関区
1978年3月28日 梅小路機関区にて廃車
1987年3月 梅小路機関区にて復活

D51 1109号機として製造されたカマ。東北で長く活躍した後、鹿児島に渡り、その後梅小路へとやってきました。



煙室ハンドルが取り外されています。紛失ではなく修繕か何かでしょうね。



8630号機。

・車歴
製造年月日 1914年6月26日
製造所 汽車会社
1914年6月27日 品川機関区
1926年12月18日 千葉機関区
1930年5月6日 成田機関区
1934年11月23日 安房北條機関区
1939年5月31日 常陸大子機関区
1952年12月8日 平機関区
1970年3月22日 常磐線にてD51 946と重連を組みさよなら運転
1970年3月27日 弘前機関区
1972年9月14日 梅小路機関区
1979年3月28日 梅小路機関区にて廃車

こちらも大正製。関東近郊を走った後、常磐線沿いに北へと向かったカマ。廃車されているため本線走行はできず、構内運転用となっています。この日の「SLスチーム号」の牽引を担当したのもこのカマでした。到着直後にはすでに転車台に乗ってしまいました。



こちらは、今まで紹介してきた保存機を見た後の状態。1日の運転を終え休憩中。





庫に入っているカマはここまで。ここからは、外に出されていたカマ。案内板は全てありませんでした。

C62 2号機。

・車歴
製造年月日 1945年4月28日
改造年月日 1948年5月29日
製造所 三菱重工三原工場
1945年4月28日 D52 455として製造される
1948年5月29日 日立製作所笠戸工場にて、C62 2に改造
1948年6月19日 糸崎機関区
1950年8月12日 宮原機関区
1957年2月7日 小樽築港機関区
1972年9月13日 梅小路機関区
1978年3月28日 梅小路機関区にて廃車
1987年4月1日 梅小路機関区にて復活

関西と北海道で活躍したカマです。SLスチーム号の牽引を行う動態保存機ですが、ボイラーの調子が悪いため現在は牽引を行っていません。



デフレクターには「つばめ」マーク。





C62 1号機と重連を組んでいるD51 1号機。

・車歴
製造年月日 1936年3月22日
製造所 川崎車輛
1936年4月16日 敦賀機関区
1938年1月16日 稲沢機関区
1949年9月14日 大垣機関区
1950年5月14日 上諏訪機関区
1962年6月24日 金沢機関区
1964年9月22日 盛岡機関区
1968年9月26日 青森機関区
1971年10月12日 浜田機関区
1972年10月2日 梅小路機関区
1987年3月28日 梅小路機関区にて廃車

記念すべきD51のトップナンバー。中部〜日本海側を中心に活躍したカマ。



他のカマよりも少し荒れ気味、位置的にももしかすると再塗装前なのかもしれません。



C62 1号機。

・車歴
製造年月日 1944年5月17日
改造年月日 1948年1月17日
製造所 川﨑車輛
1944年5月17日 D52 74として製造される
1948年1月17日 日立製作所笠戸工場にてC62 1に改造
1948年1月23日 広島第二機関区
1950年8月23日 宮原機関区
1957年7月10日 広島第二機関区
1967年7月14日 広島機関区にて廃車
〜小郡機関区にて保管後、広島鉄道学園に保存される〜
1994年2月16日 梅小路蒸気機関車館に移転

記念すべきC62のトップナンバー。東海道・山陽本線沿線で活躍したカマ。準鉄道記念物に指定されています。数年前からこの場所に留置され、庫に入ることはほとんどないようです。状態は悪く、修繕が必要です。もっと大事に扱ってほしいですね。



続いて客車。オハ46 13。
こちらも状態が大変悪く、修繕が必要かと思います。2002年に梅小路に移動してきたそうです。以前はもう1両あったようですが、荒廃のため解体されました。



オハフ50 66。
塗装にヒビが入っています。以前はもっと荒れていたようです。車内は休憩室になつており、家庭用エアコンが設置されています。





−おまけ−
梅小路に所属しているDE10 1118。嵯峨野観光トロッコの予備機。



修繕中だった、動態保存機D51 200号機。



これも忘れてはいけません。資料館に保存されている、C11 324号機のキャブ。

・車歴
製造年月日 1946年3月26日
製造所 日本車輌
1949年3月1日 会津若松機関区
1972年5月11日 和歌山機関区にて廃車

一般に”Cのチョンチョン”の愛称を持つこのC11形は、昭和7年(1932年)から昭和22年(1947年)の15年間に381台も量産され、全国のローカル線で大活躍し、小型タンク機関車としての性能にも優れた機関車でした。前進、後進が簡単にできる特性があり、力量感にもあふれたスタイルとスピード館をかねそなえた、国鉄時代のタンクロコの代表機といえるでしょう。
 ここに展示されているC11 324は昭和21年(1946年)に製造され、昭和47年(1972年)5月11日に和歌山機関区で廃車のときをむかえるまで日本各地で活躍しました。その後、京都府田辺町(現:京田辺市)の交通公園で静態保存されていましたが、今回この梅小路蒸気機関車館に移設しました。  (案内板より)



キャブ内。



というわけで、長々とお送りした梅小路蒸気機関車館の記事はこれにて終了です。

この後は、京都駅で少しだけ列車を撮影しました。続く。
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