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2007年8月12日(日)開設
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鹿沼公園のD52 235[再訪]
12月23日の話。

この日は、鹿沼公園のD52 235号機の公開日だったので、訪問してきました。

※前回訪問時の様子や車両データについてはこちらの記事をご参照ください。

クリスマス飾り付き、保存会員の方が製作されたという特製のヘッドマークも掲出。



この「鹿沼」のHM、凄いクオリティですよね。



この構図からは今まで撮ったことがありませんでした。



傾く西日に、客貨両用D52の巨体が輝いていました。



この日はこれにて帰宅。

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野毛山動物園の横浜市電1518
2月25日の話。前回記事の続きです。

東急車輌の後は、京急に乗って黄金町へ。野毛山動物園の横浜市電1518号車を訪問。

・車歴
不明。詳細が分かり次第追記します。

この市電に 1518 と番号が付けられていたのに気づかれましたか?この車両は、1500型というタイプの車両で、初期のものに比べ、改良が進み、”市電の決定盤”と呼ばれるものです。当時20台製造された車両のうちの1台です、
 昭和47年に全線が廃止となり、その後、交通の手段が地下鉄に移行していきましたが、それまでの間、”横浜市民の足”として活躍しました。    (案内板より)

定期的に整備され、良い状態を保っています。



運転台は片面のみ残存。計器類は紛失が多く、あまり良い状態ではありませんでした。他の部分が良いだけに残念。



車内。



反対側は崖の上で、接近することはできません。



横浜市電の車両は荒廃したものが多く残念だったのですが、最近になって車両が修復されるようになりました。今後は荒廃した車両も整備されるのではと期待しています。

この後は、桜木町まで歩いて、横浜線で帰宅。

−おまけ−
野毛山動物園にはレッサーパンダが2匹います。活発に動いていたのは♀の「キンタ」でした。上海動物園で生まれたそうです。



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東急車輛横浜製作所(現・総合車両製作所)の保存車
2月25日の話。前回記事の続きです。

この日、金沢八景駅付近の東急車輌横浜製作所では「電車市場 即売会」が開催され、3両の保存車も公開されました。まずは展示されていた保存車からご紹介します。

まずは、0系新幹線21−2023号車のカットモデル。
・車歴
製造年月日 1985年1月16日
製造所 東急車輌

0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月東海道新幹線開業時より使用された国内最初の高速鉄道専用車両です。車体は鋼製で在来線車両よりも車体長は長く25m級とし、車体幅も3380mmと拡大しましたので、客室内には腰掛を5列に配列することができ、1両当りの定員が増加しました。東京−新大阪間の「ひかり」「こだま」号に使用され、最高運転速度は210Km/hで、営業列車では当時の世界最速を*りました。開業当初は12両編成でしたが、需要増加に伴い16両編成に増強され、名実共に日本の大動脈を担った車両です。
 1964年から1986年まで38次に亘って合計3216両が新製されました。モデルチェンジをしながら製作が継続された0系のうち22次車の1000番台で即窓が小窓化され、30次車以降の2000番台は普通車のシートピッチが改善されました。1987年JR化後はJR東海・JR西日本に継承され、2009年まで使用されました。東急車輌は1967年(昭和42年)6次車から製作に参入し、492両を製作し国鉄に納入しました。
 本車両は34次車の博多方先頭車であり、1985年(昭和60年)1月に製作されました。JR東海に継承後1998年6月まで東海道・山陽新幹線で「こだま」号を中心に使用され、廃車後は静岡県の佐久間レールパークでシンボル的な前頭部が保存されていました。2009年11月同所の閉園に伴い2010年7月に譲り受け、東急車輌産業遺産3号として指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。(案内板より)

佐久間レールパークが閉園後、こちらに引き取られ「東急車輛産業遺産」第3号に指定されました。



元YK22編成の先頭車。



後ろは真っ平ら。



続いて、デハ5201号車。

・車歴
製造年月 1958年11月
製造所 東急車輛
〜1986年まで 東横線・田園都市線・大井町線・目蒲線で活躍
1986年 上田交通に譲渡
1993年 東急に返還、東急車輌に譲渡

本車両は1958年(昭和33年)11月、日本初のステンレス電車としてこの横浜製作所にて製作し、東京急行電鉄に納入しました。既存の5000系をベースに外板のみステンレス鋼を採用したセミステンレス車両と称される車両で、外板の無塗装化およびメンテナンスフリー化を行いました。
 東横線、田園都市線、大井町線、目蒲線で活躍した跡、1986年(昭和61年)に上田交通(現・上田電鉄)に譲渡されました。35年間活躍しましたが、7200系への置換えに伴い、1993年(平成5年)東京急行電鉄に保存のため返還され、その後東急車輌に譲渡されました。
 2008年(平成20年)、東急車輌60周年、このステンレス電車誕生60周年、このステンレス電車誕生50周年を迎えるにあたり、先輩たちの偉業をたたえ、また日本初のステンレス電車として、その後のステンレス車両の発展に大いに寄与した貴重な車両であるため、東急車輌産業遺産第1号に指定して、誕生したこの地に永久保存することにしました。                         (案内板より)
上田電鉄から里帰りした「湯たんぽ」の愛称で親しまれた車両。



車体は輝いておりとても良い状態。今にも動き出しそうです。



後ろから。



続いて、デハ7052号車。

・車歴
製造年月 1965年7月
製造所 東急車輌

1959年(昭和34年)12月、弊社は米国・バッド社と技術提携契約を締結し、オールステンレス車両の生産に踏み出しました。部材から組立までのステンレス車両専門ラインの完成、車両用高張力ステンレス鋼(SUS301)の開発、スポット溶接法による構造設計の研究等、2年間の準備期間を経て、1962年(昭和37年)1月、日本初のオールステンレス車両として東急電鉄7000系が落成しました。
 7000系は1962年から1966年までに計134両が生産され、東横線、大井町線、田園都市線などで使用されました。また、軽量化や無塗装化、そして特に耐食性が良く構体のメンテナンスが容易となったことなどが実績として高く評価され、その後のオールステンレス車両の発展に大きく寄与しました。
 本車両は1965年7月に落成し、2000年6月にこどもの国線での運用を最後に引退するまでの35年間東急電鉄で活躍しました。その後弊社に譲渡され、牽引車として活躍してきましたが、老朽化のため2009年5月に廃車することになりました。
 本車両として東急電鉄最後の7000系であり外観上も冷房改造されることなく、まだ台車も製作当時のパイオニアIII形を使用し原形に近い形で残存されていることから、日本初のオールステンレス車両・7000系を代表して東急車輌産業遺産第2号に指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。               (案内板より)

日比谷線直通としても活躍していた東急7000系の先頭車。最後までこどもの国線で運用されたデハ7052号車。



7000系は日本各地の中小私鉄に譲渡されており、原形顔の車両は弘南鉄道・水間鉄道・北陸鉄道で、中間車改造の車両は水間鉄道・北陸鉄道・福島交通で今も運用されています。



後ろから。



7200系とは違い、前面は平ら。



とても綺麗な状態で保存されていました。



3両とも大変良い状態で保存されており、安心しました。こうなると、渋谷駅前のデハ5001が不憫で仕方がありません。なお、総合車両製作所は外部からの撮影が禁止となっていますので、ご注意ください。

次回は、保存車以外の展示車両などをご紹介します。続く。

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東急電車とバスの博物館の保存車
1月22日の話。

この日は、東急電車とバスの博物館を訪問してきました。

宮崎台駅の高架下から入ります。



まずは、カットモデルとして展示されているデハ3456号車から。

・車歴
この電車は、1931〜1936(昭和6〜11)年にかけて製造され、当時はモハ510形と呼ばれていました。その後、1942(昭和17)年にデハ3450形と形式が変わり、1989(平成1)年まで東横線・目蒲線で活躍しました。これはそのカット車両です。                (案内板より)



車内は混雑していたためほとんど観察できず。



上階から。



続いて、玉電デハ204。

・車歴
この電車は、飛行機のように断面が卵の形をした路面電車です。路面から乗り降りしやすいように車輪をできるだけ小さく設計されました。当時はこの独特なスタイルから「ぺこちゃん」「いもむし」といった愛称で呼ばれ、親しまれました。1955(昭和30)年から国道246号線上を走り続けた人気者です。
                           (案内板より)

現存する車両はこの車両だけとなってしまった、玉電のデハ200形。



車内はつり革などもよく残っており、良い状態です。



ただいかんせん、保存されているスペースが狭く混雑しているため、じっくりと観察できないのが難点。





こちら側の先頭部はヒキが無いため、広角でなければ撮れません。



この画像は退館後に公道から撮影。



公道を挟んで少し離れたイベント館には、モハ510号車が展示。

・車歴
この電車は、1931〜1936(昭和6〜11)年にかけて、通勤・通学用の郊外電車として目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄によって製造されました。
 1942(昭和17)年にデハ3540形と形式が変わり、それから1989(平成1)年までの約60年間、東横線・目蒲線で活躍しました。

デハ3450形を復元した車両です。「ドアーエンジン装置車」の表示が面白いですね。



車内。室内灯が点灯されていないのは節電のためでしょうか?全体的に状態は良好です。



運転台。



先ほどと反対側の前頭部は、残念ながらこちらも展示スペースが狭いためみることはできません。





いずれの車両も、博物館展示物だけあって特上の状態を保っており、大変安心しました。貴重な車両だけに、今後も丁寧に保存していってもらいたいものです。

入館料は大人100円、小中学生50円。6才以下無料。平日は10:00〜、土休日は9:30〜、閉館時間は17:00です。

最寄り駅:宮崎台駅(東急田園都市線)至近

この後は、町田でRSEと371系を撮影。続きます。

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平塚市文化公園のD52 403
1月8日の話。前回記事の続きです。

御殿場線のE231系の後は、平塚市博物館横にある文化公園のD52 403号機を訪問。

・車歴
製造年月日 1945年3月18日
製造所 日立製作所
1945年3月18日 静岡機関区
1946年5月12日 浜松機関区
1951年9月15日 米原機関区
1955年11月12日 岡山機関区
1956年6月24日 沼津機関区
1960年2月10日 国府津機関区
1968年8月8日 国府津機関区にて廃車

この機関車は、昭和43年6月末日まで勾配の多い御殿場線で客貨両用として活躍をしておりましたが、昭和43年7月1日に同線が電化されたのでその任務が終り使用休止、廃車、さらにスクラップ化が計られておりました。これを憂い、市内のSLファンや市民の方々、国鉄OBの方々の機関車保存への熱意が実り、昭和44年11月30日国府津機関車の区長から平塚市長へのメッセージとともに市民の憩いの場である平塚市文化センターに移されたのであります。
 D52型蒸気機関車は、昭和18年に戦時設計で計画され戦時中の資材の乏しいときに木材や、コンクリートの塊をつかってつくられた国鉄最大の機関車です。
 この機関車は、昭和20年3月18日に生まれ昭和3年6月末日までに走ったキロ数は、11000977キロメートルでその距離は、地球を約27.5周したことになります。
                           (案内板より)

ここも保存会が存在し、定期的な整備が行われているため状態は良好です。通常近づくことはできませんが、平塚市博物館に申し出て必要書類に記入すれば柵の中での見学が可能です。



動輪は塗装されています。



今回はせっかくなので中に入って見学。プレート周り。区名札は湘南の湘?

 

キャブ内は網目状の柵があって中には入れませんが、計器類も残っており良い感じ。



後ろから。後部灯が欠損しています。



やはり間近で見るとD52は大きいですね。貨物機だけあって力強さを感じます。



柵外からも見ることはできますが、ぜひ柵内に入って見学してもらいたい保存機です。



最寄り駅:平塚駅 徒歩約10分

この後は、東海道線を上っていつも通り横浜線で帰宅。

−おまけ−
横浜駅で3ドア15両の表示を見かけたので寄り道。211系N23編成。撮影5日後の1月13日に長野に配給され、現在は6両編成に再編成されて豊野駅に留置中・・・とのことです。東海道線の211系も残り僅かになりましたね。

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